「鶴丸先輩は、恋人を作らない」

そんな噂が出回っているのにも関わらず、ホワイトデーのあの日。私は彼に「好きだ」と言われた。まさか鶴丸先輩に好かれているだなんて、これっぽっちも思っていなかった私にとっては、衝撃的すぎる出来事である。

バレンタインは一人除け者になるのが嫌なんだと思った。ホワイトデーは強請った分の義理立てだと思った。
だからこそ、私は大してなんの気持ちも抱くことは無かった。
なのに彼は「特別な君の特別になりたいんだ」などと、宣う。真剣な琥珀色のその奥に、密かな熱を燻らせて。
遊びだとか嘘だとは思わない。彼はそんなことをする人ではないと、共に競技に取り組んでいれば分かる。寧ろ、嘘でしょうと笑い飛ばせれば、どんなに良かったことか。
けれど、肝心の私の、自分の気持ちが分からない。今までそんなことを考えたこともなかった相手にそう言われても、ときめいたりなんてしなかった。それに、鶴丸先輩には噂のことがある。バレンタインは真実で、ホワイトデーは私が真実では無くしてしまった。
じゃあ、恋人は?これを嘘にするか本当にするかは、私の返事次第だ。どうするのが、正解なんだろう。
少なくとも先輩のことは嫌いじゃない。かと言って恋愛的に好きかと聞かれれば首を捻る。鶴丸先輩はすぐじゃなくてもいいって言ってくれたけど、ずるずると長引かせるのも悪い。それは、それだけ相手に期待を持たせてしまう、ある意味残酷なインターバルだ。

「はあぁ……。どうするのが正解なんだ」
「わっ!何を悩んでるんだい?」
「っ!?!?」

屋上へ続く階段に一人座り込んでいれば、急に悩みの種の張本人が現れて驚いた。手に持っていた空のパックジュースを、放り投げてしまう。

「よっ、」

綺麗に放物線を描いたそれを器用にキャッチした先輩。「なんだ、空じゃないか」と少しだけ残念そうに呟きながら、私の隣へと腰を下ろした。
パックジュースが空じゃなかったら、どうしたんだろう。頭の片隅で、疑問に思う。

「せ、先輩。なんで此処に」
「んー?きみのクラスに会いに行ったらいないもんだから、どうしたものかと思った矢先にお友達が此処だと教えてくれてな。だから、会いに来た」

彼はあの時と同じような瞳で、私を見つめながら笑う。

此処は私の秘密の場所だ。
屋上はあるものの、基本的に鍵が施錠されていて屋外に出ることは出来ない。だから、みんなこんな暗くて何もない場所に来ようなんて思わない。
人の気配が無くて、静かで。考え事をするには打って付けの、私だけの秘密の場所だったのに。
友人も友人だ。私が考え事をしたい時にこの場所に来ることを知っているくせに、なんでわざわざ煩い先輩を寄越すのか。顔か、顔なのか?顔が良いから簡単に教えてしまうのか。

隣に座る鶴丸先輩が、ジリジリと此方に寄ってくる。彼と私の物理的距離は、あと僅か何センチだろう。

「……部活、今日もありますよね?」
「うん、そうだな」
「わざわざ休み時間を削らなくても、部活の時間に会えますよ」
「うーん。きみは相変わらずだなあ。好きな相手に会いに行くのは、ダメなことかい?」
「確かにそれは貴方の勝手ですけど……。……顔、近いです」
「……はあぁ〜」

先輩が、私の顔を見下ろすように見つめてくる。多分、その距離僅か10センチ。もう少し近づけば、鼻と鼻がくっついてしまいそう。
素直に事実を告げただけなんだけど、何故だか鶴丸先輩には盛大に溜息を吐かれてしまった。途端に、彼は詰め寄っていた距離を離してしまう。

「少しは照れるとかはないのかい?全然顔色が変わらないんだが。手強いなあ、きみ」
「鶴丸先輩の顔はもうこの一年で見飽きたので。美人は三日で飽きるって、ほんとなんですね」
「ぐっ、ほんとに容赦ないな……。ちょっとは靡いてくれると思ったんだが」
「簡単に靡くような女を、先輩は好きになるんですか?」
「……言うねえ」

どうやら先輩は自分の顔の良さを十分に理解しているらしい。こうして、整った顔に見つめられれば、簡単に女は靡くと思っていらっしゃる。まあ、それは間違いではないのだろうけど、少なくとも私はそうではなかった。生憎と、先輩の顔はこの一年で嫌という程に見てきた。
そんな軽い女に見られた意趣返しのつもりで発破をかけたのだけど、思いの外鶴丸先輩に効いたらしい。

「普通にしてれば確実にきみは靡かないな」
「そうかもしれません」
「しかし、俺はきみが好きだ。返事はいつでもいいなんて言ったが、あわよくば良い返事が欲しい」
「そりゃあまあ、そうでしょうね」
「だからきみに一つ提案がある」
「なんですか?」

どうやら、私は鶴丸先輩に火をつけてしまったらしい。
大人しく私の返事を待つだけじゃダメだと気付いてしまった彼は、私に一つ提案があると言う。
私が聞く姿勢を見せたことで、彼は上機嫌に口角を上げた。

「それはまた部活の時に話そう。もう昼休みも終わるだろうしな」
「あっ、はい。……ちなみに言いますけど、話を聞いたからって提案に乗るとは言ってませんよ」
「……、」
「……」

一応念の為。心の中でそう前置きして事前に予防線を張れば、鶴丸先輩は分かりやすく顔を歪めた。
私は提案を聞くとは言ったが、乗るとは言ってない。揚げ足取りのような、頓知のような言い訳だが、事実ではある。
詰めが甘かったのか、何故その事実に気付いたのかと言いたいのかは分からないけど、こうやって素直に感情を表出する先輩は、可愛いなと思う。そういえば、私が先輩に対して可愛いと思うのは、いつも私の一挙一動に右往左往する姿だなと思い至る。
うーん、対してSっ気は無いはずだが、鶴丸先輩に対してはどうしたってそう思ってしまう。

「……まあ、その辺はどうにでもなるさ。放課後、楽しみにしておいてくれよ!」
「私はあんまり楽しみにしたく無いです」

だって、絶対突拍子もない提案をするに決まってる。
素直にそう告げたのに、彼は楽しそうににこりと笑って階段を駆け下りて行った。

「そういえば、結局なんの解決にも繋がってなくない……?」

私はこのお昼休み、何をしていたんだろう。

***

「失礼しまーす」

無事本日の授業も終了し、部活の時間。教室の掃除当番に当たっていたため、いつもより遅れて道場に顔を出す。

「……?」

その瞬間、既に中にいた部員達が一斉にざわめいた、気がした。

「ああ、きみ。待ってたぜ!」

そんな空気を物ともせず、鶴丸先輩が近付いてくる。その笑顔はやたらと輝いているように見えて、嫌な予感が私の頭を過る。正直、今すぐにでも逃げ出したい。

「なんだか私、とてつもなく嫌な予感がするので帰ってもいいですか」
「そんな理由で俺が許可するとでも?」
「先輩は男子の部長であって、女子の部長じゃありません」
「まあまあ。そんなに悪いことじゃないさ、きっとな」
「きっと」

それはもしかしたら悪いことかもしれない、ということになるんですがその辺はどうなってるんですかね。
先輩は入り口で突っ立ったままだった私の手を引いて中へと入っていく。そんな私たちの姿に、道場内は更にざわめきが増したようだった。

「……というわけで、彼女が俺の恋人だ!」
「……。……はあ!?」

道場の真ん中まで来ると、先輩は一度一呼吸置いてから高らかにそう宣言したのだった。




「ちょっと鶴丸先輩!どういうことなんですか!」
「きみの澄ました表情以外は珍しいな」
「誤魔化さないで下さい!!」
「分かった分かった。説明するから落ち着いてくれ」

部活が終わった帰り道。さっさと着替えを済ませて鶴丸先輩を捕まえて。私は先輩に事の真相を問い詰めるべく、学校から少し離れた道路脇で彼に詰め寄っていた。

高らかに宣言した後。大して重要なことではなかったと言わんばかりに、彼はいつも通りに部活を開始した。あの一瞬の宣言はなんだったのかと戸惑うくらいいつも通りな先輩につられるように、他の部員達も各々練習を再開した。私はすぐにでも鶴丸先輩に詰め寄りたかったけど、先輩が「部活が終わった後でな」と言って男子部員の方へと行ってしまったので、それな叶わなかった。というかそのせいで稽古に全くと言っていいほど集中出来ず、部長にも先生にも身が入ってないと言われてしまった。しかしこれは不可抗力だと思いたい。寧ろ何故あんなことのあとにしっかり集中出来るのか。誰かコツを教えて欲しい。

「きみと俺が付き合っていることにした」

余りにも真剣にそう言われてしまうと、此方も強く詰め寄る気が失せる。
というか、逆に冷静になった。この人は一体何を言っているんだろう。

「……端的過ぎます。もっと詳しく」
「外堀から埋めてしまえば逃げられないだろう?だから、そういうことにしてしまおうと思ってな」
「外堀どころか城壁で囲まれた気分なんですが。それに私、先輩の返事に答えてません」

外堀を埋めるにしたって限度がある。これはもはや私が逃げられないように外堀どころか一夜城を建てたレベルでは?
そんな私の冗談みたいな言葉に、鶴丸先輩は面白可笑しそうに喉を鳴らして笑っている。「成る程、城壁。確かになあ」そんなに城壁云々の流れが気に入ったのか。

「勿論、ほんとに付き合うわけじゃないさ。偽の恋人ってやつだ」
「……何故、そうするのか理由を聞いても?」
「そうすれば俺は堂々ときみとイチャイチャ出来るし、デートに行ったりして、きみを靡かせる事ができる」
「……好きになるとは限りません」
「うん、そうだな。きみが俺を好きになってくれるとは限らない。だから、」

今だって先輩の顔の良さには大してときめきは感じないし、ホワイトデーの時に好きを告げられて動揺はしたが、それ以外は特に何も無い。
……あれ、これは早々に断っても良かったのでは?と改めて思うものの、此処までする鶴丸先輩である。簡単に諦めるとは思えなかった。

「期限は一年だ。来年には俺も大学生だしな。俺が卒業するまでにきみに好きになってもらえなかったら、その時は潔く諦めるさ」
「……、」

なんだかんだ強引に進めて来る割に、最終的には逃げ道が用意されている辺り、どうしようもなく目の前の人はいい人なんだと実感する。全部の逃げ道を無くすなんて、きっとこの人には容易い筈なのに。
それに諦める、だなんて言いながら、そんな悲しそうに眉を下げて笑わないで欲しい。絆されそうに、なってしまう。

「そもそも、これは提案ではなくある意味脅迫です」
「そうかもなあ」
「提案だって言ったくせに……」
「それはすまなかった。でもこうでもしないと、きみは乗ってくれないだろう?」
「……まあ、そうですけど。ただ、鶴丸先輩が何か突拍子もないことをするって予想がつきながら、止められなかった悔しさが私にはあります」
「悔しさを感じるのはそこかあ」
「だから、先輩の脅迫に、付き合ってあげます」
「そうだよな。やっぱり嫌がるよな……って、え?」

鶴丸先輩の琥珀色の瞳が、きょとんとする。私の言葉を疑うように、首を傾げた。

「期限付き彼女、受けて立ちます。好きにならなければ、先輩の思い通りになったってことになりませんから」

そう、これはある種の勝負だ。
あと一年で彼を好きになったら負け。好きにならなければ勝ち。
そんな、シンプルな勝負。

自分の気持ちが分からなければ一緒に過ごしてみる他ない。そうしてときめかなければ、つまりはそういうことだった、と向こうも割り切れるだろう。そこに行き着くまでの流れは強引だが、個人的にやり方としては理に適っているような気がする。
だからこそ、彼の提案を受け入れた。ただ無条件に受け入れるのは癪だったから、理由は適当にでっち上げたのだけど。

「……後からやっぱりやめた、は通じないぜ?」
「分かってますよ」
「……じゃあつまり、今からきみと俺は恋人なんだな?」
「偽の、ですけど」
「ああ、勿論分かってるさ」

本当に分かっているのか。
そう問いたくなるほど、鶴丸先輩は酷く愛おしげな琥珀色で、私を見つめるのだ。

「これから宜しくな、きみ」

ちゅっ、と可愛らしいリップ音が鼓膜を微かに揺らす。気付けば、額に先輩の柔らかなそれが触れていた。
私が先輩に詰め寄るように近付いていたのが悪かったのか。提案に乗ったのが悪かったのか。
そもそも、彼に目を付けられた私が悪かったのか。

「〜〜っ!?」
「うん、きみは澄まし顔以外の表情も可愛いな」
「へっ、変態!すけべ!すけこまし!」
「ははは、なんとでも」
「鶴丸先輩の馬鹿!!!」

……提案に乗ったのは、早合点だったかもしれない。

 

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