※現パロ 「えっ」 土曜日の夕方。 バイトに行こうと家を出て駐輪場に向かったら、愛車が無かった。 *** 「はあ!?自転車盗まれたあ!?」 「うん」 歩きで行けない距離ではないけど、今からだと間に合わない。 一瞬タクシーの選択肢も浮かんだけど、私が取った行動はお隣さんに頼ることだった。 アパートの三階に住む私のお隣さんは、太鼓鐘 貞宗と言う。 私と同じ大学の二回生で、お隣さんということもあり、比較的仲良くさせてもらっている部類の同期だ。 大学生にしては少しだけ幼い顔つきに、藍色の髪。派手好きなお洒落さんの彼の頭には、いつも綺麗な羽飾りがうさ耳のように揺れているのが特徴だ。 土曜日になんのアポもなくインターホンを鳴らしてしまったが、どうやら彼は不在では無かったらしい。 どちら様か尋ねられて名前を告げれば、勢いよく扉が開き、「なんの連絡も無しに珍しいじゃん」と少し不思議そうに言われた。 そこでかくかくしかじか、自転車が盗まれたことを告げれば、彼は大層目を丸くして驚いた。 そこまで驚くことか、とは思うものの、口にはしない。彼のリアクションは、常に少しだけ大きいから。 「だから、自転車貸して欲しいんだよね。今からバイトなんだけどさ、歩きだと間に合わないし、かと言ってタクシーで無駄にお金使いたくないし」 「おっまえ、私物が盗まれたってのに呑気だなあ」 貞宗は私のお願いに応えるよりも先に、心底呆れたと言わんばかりにジト目で此方を見る。 確かに、自転車という大きな荷物が盗まれたのだから、もう少し慌てても良いのだろうが、今回は完全に非は私にある。 何せ、自転車の鍵をかけ忘れていたのだから、そりゃあ盗まれるというものだ。 時々予想よりもバイトが忙しくて疲れている時なんかは、鍵をかけ忘れることが多々あった。 今までは運良く盗まれ無かったけど、今回はそうはいかなかったらしい。それもこれも、私の管理の甘さに原因があるので、焦ったり怒ったって仕方のないことだ。 正直、自転車がないと気付いた時には笑いさえ込み上げてきたくらいだった。 それを伝えれば貞宗は「まあお前らしいっちゃそーなのかもな」と笑う。 褒められたのかそうじゃないのか、いまいち判別がつかない。 「そういや、なんで俺なんだ?鶴さんやみっちゃんなら車だし、伽羅ならバイクがあるだろ」 きょとん。 そんな表現が似合うように、貞宗は大きな琥珀色の瞳を丸くさせ、少しだけ頭を傾げた。 貞宗の言う鶴さん、みっちゃん、伽羅というのは、同じ大学に通う先輩達の名前だ。 鶴さんこと鶴丸 国永。みっちゃんこと燭台切 光忠。伽羅こと大倶利伽羅 廣光。 この三人は貞宗と中学の頃から仲が良いらしく、特に貞宗とみっちゃんさんの仲は特別だった。 貞宗は、学内でも同期よりは比較的彼等と過ごすことが多い。そんな貞宗と仲良くなれば、この三人と知り合いになるのもある種の必然だった。 ちなみに、鶴丸さんとみっちゃんさんは四回生。伽羅さんは三回生だ。 それぞれに移動手段として車やバイクを持っているので、何故彼等に頼らなかったのかが不思議なんだと思う。 確かに、自転車よりかは遥かに楽なものではある。 「だって、貞宗が一番頼りやすいから」 「!」 いくら仲良くさせてもらってるとは言っても仮にもあの三人は先輩で、私は貞宗と違って付き合いの年数も浅い。 未だになんでこの人達は私に良くしてくれるのか分からないくらい普段から良くして貰っているし、こんなしょうもない用事に呼びつけるのは気が引けた。 だからこそ、貞宗に頼るのが一番だと思ったのだ。 「そっかそっか!へへへ、分かった。いいぜ、自転車貸してやるよ」 「ほんと?良かった、バイト間に合わないかと。じゃあ鍵、借りていくね?」 「いーや」 「え?」 何故だか急にご機嫌になった理由は分からないけど、取り敢えず自転車は貸してくれるらしい。 じゃあ早速、と自転車の鍵を受け取ろうと手を差し出したのだが、彼はにかりと太陽のように笑ってこう言った。 「どうせ俺もそっち方面に用事があるし、後ろに乗りな。ニケツしよーぜ!」 「ひゅー!気持ちいいな!」 「私は怖いんだけど!?」 「だったらもっとしがみ付いてくれていいんだぜ?」 「馬鹿!!」 そんな冗談言うくらいなら、スピードを緩めて欲しい。 あれから嫌だの無理だの怖いだの、軽く貞宗と押し問答を繰り返したが、結局は「早くしないと間に合わないんじゃないのか?」という彼の言葉に負けて、人生初の自転車二人乗りの真っ最中だった。 私達の住むアパートは、少しだけ小高い丘のような場所に建っていて、私のバイト先に行くには坂を下って行く必要がある。 貞宗はその坂をノンストップスピードで下っていくものだから、私はいつ転げ落ちないか不安で不安で仕方がなかった。 びゅうびゅうと耳元で風の囁きが聞こえる。 いつも通っている道なのに、あまりのスピードに知らない道を走っている気分になる。 貞宗は心底楽しそうに笑い声をあげながら自転車を操作していて、こういうところは男の子だなと思う。 軽口を叩きながら坂を下り終えて、平坦な道を少し行けば、私のバイト先に到着だ。 「特急貞宗号、到着だぜ!」と明るい声で彼が言う。 時計を見れば、遅刻扱いにはならない絶妙な時間だった。 「有難う!と手放しにお礼を言いたいところなんだけど、二度と二人乗りしたくない」 「ええー!そう言うなって。次は安全運転すっから!」 「ほんとに?」 「ほんとに!」 にこにこと悪びれもなく笑う彼に、ほんとに安全運転する気はあるのかと詰め寄りたい気持ちはある。 あるにはあるけれど、それでも少しは楽しかったという気持ちがあるのだから、強くは彼に言い出せない。 「……分かった。いいよ、もし次があればね」 だから、こんなことを言ってしまうのだ。 「言ったな?言質は取ったからな」 「はいはい。じゃあそろそろ行くよ、流石にまずい」 「ん、そういや今日は何時上がりなんだ?」 「?多分、いつも通りなら21時くらいだと思うけど」 「りょーかい!じゃあ、バイト頑張れよ〜」 貞宗は何故か私に上がりの時間を聞いてから、ひらひらと手を振って颯爽と来た道を戻っていった。 今までもバイト終わりに飲みに誘われることはあったから、今日もそれかもしれないな、と思いながら、私はバイト先の裏口をくぐった。 *** 「よっ、お疲れさん」 「?貞宗?」 バイトが終わった21時15分。 他のバイトや社員さん達にお疲れ様を告げて、裏口から出れば、夕方と同じ場所に貞宗が立っていた。 隣には、昼間乗せてもらった彼の愛車が止まっている。 一体全体何故こんなところに彼がいるのか。 自惚れかもしれないが、明らかに私を待っていた風な感じである。 「なに、どうかした?」 「迎えに来たに決まってんだろ!」 「え?」 「流石に夜道を女一人で帰らせるほど、男が廃っちゃいないぜ」 どうやら彼は、一人歩きで帰路に着く予定だった私を迎えに来たらしい。 流石、普段から伊達男を自称するだけはある。 「わざわざ良かったのに」 「自転車を貸してりゃ、歩きで帰ることも無かっただろうし、これは俺の自己満足」 「だったら素直に鍵だけ渡してくれれば良かったのでは?」 「それとこれとは話が別なんだよ」 貞宗はそっぽを向いて、分が悪そうに頬を少しだけ膨らませる。 それがなんだか可愛くて、ちょっとだけ笑ってしまった。 「あー、もう。ほら、帰ろうぜ」 恥ずかしさが勝ったのか、それとも誤魔化したかったのか。 いずれにせよ、少々強引な話題転換をした後に、彼は自転車を押しながら歩き出した。 それに、私は首を傾げる。 「あれ?乗せてってくれるんじゃないの?」 「んー?……だって、歩いて帰る方が、長く一緒にいられるだろ?」 「!」 本気なのかそうじゃないのか。 貞宗はそう言ってにこりと口角を上げて笑った。 むず痒い感覚が、背中を駆け上ってくる。 これは、どう返すのが、正解なのか。 それよりもこれは、自惚れてもいいのか、違うのか。どっちなのか。 頭が混乱して、上手く言葉を返せない私に対して、貞宗は追い討ちをかけるように口を開く。 「へへっ、自惚れてもいいんだぜ?」 |