私には、会社から帰って毎日、必ずポストを確認する習慣がある。

「あ、今日は来てる」

ふふ、と思わず笑いを溢しながら、それを手に取る。真っ白な封筒に達筆で、けれど決して崩れすぎて読みにくいわけではない綺麗な字が並んでいる。
差出人の欄には万年筆で書かれているであろう、滑らかな線で「五条 鶴丸」と記されていた。

私には「五条 鶴丸くん」という、ペンフレンドがいる。
インターネットの海を漂っていて見つけたサイトに登録して出会った、ただ一人のペンフレンドだ。
最初はこんな膨大な情報社会の中で出会った人とやり取りをしていくのに、勿論不安が無かったわけじゃない。相手も同じ条件とは言え、自分の本名や住所を知られるのだ。リスクはゼロではない。
けれど、そんな不安を払拭してくれるほど、鶴丸くんというペンフレンドは優しくて、良い人だった。
顔も知らない。普段どんな風に過ごしているのかも知らない。私が唯一知っているのは、彼がどんな字を書くかと言うことだけ。
けれど字が綺麗な人の印象は実際に会ったとしてもきっと良いんだろうし、何より文面から優しさが滲み出てきていた。だからこそ、私は鶴丸くんと文通を続けようと、初めて彼からの手紙が来た時に思ったのだ。
まだ数回のやり取りしかやっていない分、私が彼について知っていることは彼の名前、性別、歳が近いこと。それから、彼の近況と、少しの趣味について。
やり取りの回数は少ないけれど、少ないながらにも、私は早くも彼に好印象を抱き始めていた。そして、会社帰りにポストを覗くのが、いつしか楽しみであり、習慣になっていた。

彼との手紙のやり取りはそんなに多いわけじゃない。今で大体二週間で一通程度。でも、そんな少ないやり取りの中でも、彼はいつも決まって真白な封筒に入れて手紙を送って来るから、ポストを覗いた時にすぐに分かる。
今日のポストには彼からの手紙以外には投函されていなかった。相変わらず綺麗な字で書かれている彼の名前を指でなぞりながら、鉄筋コンクリートの階段を音を響かせて登っていく。心なしか、普段の足音よりも音が楽しげに聞こえるのは、私の心持ちのせいだろうか。
ワンルームの狭い部屋の玄関の扉を開けて、パンプスを勢いよく脱ぎ捨てる。いつもはまずスーツを脱いで化粧を落とすのが決まったことだけど、鶴丸くんからの手紙が来た日だけは特別だ。
スーツのままベッドの上に座り込んで、丁寧に封をされた手紙をペーパーナイフで開いていく。
文通を始める時に、どうせならと思って買ったものだった。それを手紙に書いたからか、最初の手紙以降、彼は必ず手紙を丁寧に糊付けして出してくるようになった。
真白な封筒から、二つ折りにされた手紙を抜き出して、広げる。今回は四隅にクローバーがあしらわれている便箋だった。鶴丸くんは封筒は真白な代わりに、便箋を毎回変えてきている。三回目の今回もそうだったから、きっとそうなんだろう。
季節を意識しているのか、一通目は右上に控えめに桜があしらわれているもの。二通目は背景にデフォルメされた大きめな桜が可愛く咲いているものだった。
今回は桜の季節は過ぎ去っているけれど、春らしさを感じられるクローバーにしてくれたのかもしれない。
鶴丸くんのそういう小さな楽しみを仕込んだ手紙が、私は楽しみだった。

今日で三通目になる手紙の出だしは、こうだった。

『春眠暁を覚えずと申しますが、お変わりなくお過ごしでしょうか。
 なんて、堅苦しい文面は此処で終わりだ。この後は特に緊張せずに読んでくれ。』
「ふふ、」

彼の二文目の言葉に、思わず声を溢して笑ってしまった。

鶴丸くんはいつも、丁寧に時候の挨拶を一文目に添えた手紙を送ってくれる。
一通目は「桜の便りが次々に聞かれるこの折、毎日お元気でご活躍のことと存じます」で、二通目は「春爛漫の好季節を迎えましたが、如何お過ごしでしょうか」だった。
けれど、必ず次の文ではフランクな文面になっていて、すらすらと手紙を読み進めることが出来るのが、彼の手紙の特徴だった。

『こっちの近況だが、まあ、特に変わりは無いと言うのが現状だな。変わったことと言えば、そうだな、最近住んでいるマンションの近くに猫がうろつき始めたんだ。時々見かけたら構ってやるんだが、これが中々に人懐っこいやつでな。首輪をしているから、どこかで飼われている子なのかもしれないな。この子が、顎の下をくすぐってやると、機嫌が良さそうに喉を鳴らすのが可愛いんだ。今度の手紙にはその猫の写真を添えて送ろうと思うんだが、きみ、動物は好きかい?』

鶴丸くんの手紙は、手紙ということを忘れてしまうことが多々ある。手紙なのに、まるで本当に鶴丸くんに語りかけられているような気持ちになる。顔も、声も、どんな表情でこれを書いているのかも知らないのに、何故だか想像できてしまう。そんな不思議な手紙だった。
そして、どうやら彼は動物が好きらしい。
顔も見知らぬ鶴丸くんが、野良猫かも分からぬ子を可愛がっている姿を想像して、くすりと笑みが浮かんでしまう。
次の手紙には、必ず動物は好きですってことを記そうと思った。

『そうだ、今度北海道に行くことになったんだ。趣味の旅行じゃなくて、まあ、出張なんだが。仕事で行くせいで、あまり観光する時間や余裕は無いだろうから、今度自分でも行ってみたいと思ってるんだ。やっぱり北海道って聞くと、ついつい美味しいものばかりが浮かんでしまうな。
そういえば、三通目になる今回の手紙で、きみに一つ尋ねたいことがあるんだ。無理に答える必要は無いし、答えたくないならそのまま無視してくれて構わない。
 それで肝心の質問なんだが……、きみがあのサイトに登録して、ペンフレンドを探していた理由はなんだい?』

此処まで読んで、はたと気付いた。
そういえば、私はまだ鶴丸くんにペンフレンドを募集していた理由を話していなかったらしい。
別に大した理由でも無いし、隠すほど後ろめたい理由でもない。少し恥ずかしいかもしれないけれど、答えられる範囲内だった。

『気を悪くしてしまっていたならすまない。でも、少し気になってな。ちなみに、俺は相手の顔も、性格も、どんな人物かも分からない人間と手紙のやり取りをするのは面白そうだと思ったからだな。あと、今の情報社会で手紙を書くのは乙なもんだろうなと思ったからだ。
 きみとは楽しく手紙を続けられたらいいなと思っている。私生活の仕事も大変だろうが、お互い頑張っていけたらいいな。
 花冷えの折、くれぐれもご自愛下さい。
五条 鶴丸』

時候の挨拶を冒頭で書いているからか、しっかりとした結びの挨拶も添えられている手紙を読み終えて、一息をつく。
鶴丸くんの手紙は不思議だ。別にお互いにそこまで頻繁に手紙のやり取りをしようと言ってるわけでもないのに、彼の手紙を読むと、どうしてもすぐに返事を書いてしまいたい気持ちに駆られてしまう。
文通という手段で手紙を送って、送られて。その手紙が届くのを今か今かと待っている。この情報社会、SNSや電話なんかで瞬時に連絡が取れてしまう時代に生きてきている私達が、比較的ゆったりとしたペースでやり取りしていることすら、なんだか私には素敵なことのように思えていた。

鶴丸くんに返事を書きたい気持ちは山々だったけど、どうせ書くならしっかりと時間が取れる時にきちんと書いて返事をしたい。
そう思っている私は、彼の手紙を再び二つ折りにして封筒に直す。それから、ベッドサイドに置いてある棚の、一番上の引き出しに入れてある文箱の中に、彼の手紙を仕舞うのだ。
今はまだ三通しか入っていない手紙だけれど、いつかそのうち、この箱がいっぱいになるくらいまで、彼とやり取りが出来ていればいいなと思う。
最初は大した理由でペンフレンドを探していたわけじゃないけど、こうやって相手のことを考えて手紙を書く時間が、私の中で大きな楽しみの一つになっていた。

***

『桜花も散り葉桜に変わり、春本の季節にとなりました。最近は、新緑が目に眩しいですね。
 私も鶴丸くんを倣って、時候の挨拶を取り入れてみました。普段あまり手紙を書く機会は少なくて全然分からなくて、インターネットで調べてしまいました。合っていると嬉しいです。
 此方も特には変わりないです。毎日がルーチンワークのように過ぎていきます。そんな中で、鶴丸くんとのやり取りは生活の中で数少ない楽しみでもあります。私からの手紙を送った後、そんなにすぐに返事は返ってこないのを分かっていながら、毎日ポストの中を覗くのを辞められません。おかしいでしょうか?
 前回頂いた手紙を読んで気付いんたんですが、私がペンフレンドを探していた理由、鶴丸くんに話していなかったんですね。すっかり失念していました。
 大した理由じゃ無いんです。そもそも募集したきっかけは「字が綺麗になりたいから」なんです。それならペン字練習帳を買えばいいだけの話なんですけど、それよりも誰かに向けて書く方が、気合も入るし、上手くなる気がするなって思って。それで始めました。
 本当に大した理由じゃなくてびっくりしましたか?
 そういえば、北海道に行くんですよね。もうこの手紙が届く頃には行った、っていう表現になるんでしょうか。
北海道、楽しかったですか?お仕事で行ったのに、こう質問するのもおかしい気がするんですけど。鶴丸くんが少しでも楽しんで過ごしていたら、私も嬉しいです。
 私も、鶴丸くんとの手紙を長く続けられたらいいなと思っています。文箱いっぱいになるまで、出来ればいいですね。
 連休もすぐそこです。楽しい計画をお立てください。

追伸
 動物は大好きです。是非、鶴丸くんに懐いているという猫ちゃんを見てみたいです。』

そんな返事を、鶴丸くんからの手紙が届いた翌週の週末、会社が休みの時に書いてポストに投函した。
自分が手紙を受け取ってから返事を書くまでは途切れる習慣が、ポストに投函してからは、また毎日そわそわとポストを確認する日々に戻っていく。鶴丸くんも、私と同じだったらいいなと、ポストを確認しながら不意に思った。
それからきっちり三週間後。私のポストには真白い封筒は一通、ポストに投函されていた。
差出人は見なくても分かりきっているのに、つい確認してしまうのは相手が鶴丸くんだということを、彼が万年筆で記す美しい字で認識したいと思っているからかもしれない。

いつもと同じ手順で家に上がって、ペーパーナイフで封を切る。今回は前回記されていたように、二つ折りの便箋が二枚と共に、写真が一枚同封されていた。真白の毛にオッドアイの美人な猫が、写真の中で優雅に佇んでいる。その写真の中には、猫の気を引こうとしているのか、鶴丸くんと思しき指先が少しだけ映り込んでいた。
可愛い猫だなあ、と映っている猫をひと撫でしてから、二つ折りの便箋をゆっくりと開く。
二つ折りにされた便箋の模様は、今回はなんと手書きらしかった。デフォルメされて描かれた三匹の鯉の親子が、風に揺られている姿が右下に小さく描かれている。慌てて鶴丸くんの手紙の内容を読み進めていれば、いつもの時候の挨拶の後に、五月ならではの便箋が中々見当たらなかったから、鯉のぼりを描いてみたんだと書かれていた。
しっくり来なければ、手書きまでして毎回便箋を変えてくれる鶴丸くんに驚きを隠せない。

『俺は君の字、可愛らしいと思う。』

更に読み進めれば、近況と、それから北海道での出来事(なんとお土産を後日に届くようにしたことも記されていた。ペンフレンドからまさか贈り物をされるとは思わなくて、此処でも驚いた。ちなみに六花亭の六花のつゆというボンボンらしい)の後に続いて書かれていた言葉が、目に留まる。
一瞬何のことだか分からなくて眉を潜めてしまったけれど、前回の私の手紙で話した、ペンフレンドを募集していた理由に対してらしかった。

『俺は君の字、可愛らしいと思う。
 なんて書くと、きっときみは「でも、綺麗な字の方がいいでしょう」と思うんだろうな。短い手紙のやり取りだが、少しだけきみのことが分かってきたぜ。
 確かに、綺麗な字の方が大勢の人間に印象は良いかもしれないな。それは事実だと思う。けれど何より、俺はきみのその姿勢が好ましいと思う。そのままの字も俺は好きだが、字を綺麗に書こうと一生懸命に努力するきみも、俺は素敵だと思う。』

達筆な字で書かれるその言葉に、どきりとした。
相手は顔も知らない人で、声も、何をしている人なのかも、本当の性格も知らない。知っているのは少しの趣味と、手紙から滲み出るような優しさと。
それから何より、字がとても綺麗なこと。
それだけなのに、私は手紙の向こうの彼に、惹かれ始めていた。

 

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