「城田、今のはどうだ!?」 「うん、もう大分良く弾けてると思う。通しも殆ど引っかかってないし……。でも、欲を言うならもう少し―」 クラスメイトの城田から琴を教わり始めて、もう2週間と少しが経とうとしていた。彼女は俺の突拍子もないお願いを、快く受け入れてくれてこうして殆ど毎日俺に琴を教えてくれている。彼女の教えはそこそこ丁寧で、決して上手くは無いが下手というほどではなかった。教えるのは普通、というだけで琴を奏でる技術は素人の俺でもそれなりに高いんだな。と思える程の腕前なのだから、技術は確からしかった。 「……ちょっと、鶴丸君。聞いてる?」 「……ああ、すまんすまん。少しぼーっとしていた」 「鶴丸君、疲れてるの?学祭が終わったばっかりだっていうのに、実力テストだなんだって色々あったし。休憩しようか」 「……城田」 「何?」 「何でもいい、君が今弾ける曲を弾いてくれないか」 ぼうっと城田の言葉を聞いていれば、それが顔に出ていたらしい。少し怒ったように俺に聞いているのか。と問うたと思えば、すぐに心配して休憩を提案してくれる。そんな彼女の言葉を遮るように、まるで無かったかのように言葉を紡げば、彼女はその丸い瞳を大きく見開かせて俺を見つめた。 「えっ、何、鶴丸君、急にどうしたの。ほんとに疲れてるんじゃない?」 すぐには俺の言葉を飲み込めなかったのか、言葉の本題云々よりかは俺の心配を真っ先にしてきた。そこはまあ、有難いとは思うのだが、俺が君の演奏を聞きたいと言ったら疲れてるのかをまず疑われるのか……。そう思えば、少しだけ悲しい気持ちに、ならなくもない。 「別に疲れてないし俺は至って正常だぞ。……駄目か?」 「いや、駄目じゃないけどさ……。普通にどうしたのって感じだよ。……練習、飽きちゃった?」 疲れてもなければ、頭が可笑しくもなってないことを告げて、もう一度問えば、駄目では無いが理由が分からない。といった風だった。それから彼女は、俺が琴を弾くことに飽きてしまったのではないかと、眉を八の字に下げて問う。 「いやいや!そうじゃないさ。ただ、たまには君が一人で奏でている姿を見たくなっただけさ。俺が一人で弾くことはあれど、君は基本的に俺との通しばかりだろう?そろそろ弾きたくなってるんじゃないかと思ってな。今は、部活動もそんなに盛んな時期じゃないようだしな」 その姿に、慌ててそうでは無いことを伝える。あまりにも彼女が悲しそうな顔をするから、思わず強く否定してしまい逆に白々しさが際立ってしまった。しかもその後に彼女に弾いて欲しい理由を言い訳がましく並べたことにより、更にその印象を強くしてしまう。 もう少し言い方があっただろう……。と自分のことながら、憐れに思った。 「なら、いいけど……。いいよ、リクエストに答えてあげる。何でも良いんだよね?」 それでも彼女はなんとか俺の苦しい言い訳がましい言葉を受け入れてくれたのか、どうやら俺の急な要求に応えてくれるらしい。まあ、まだ十分不服そうではあるが……。 要求に応えることを決めた彼女は、先程の表情とは違い、少し嬉しそうに見える。なんだかんだ、自分の演奏を聴いてもらえるのは、嬉しいのかもしれない。 「ああ、君が今弾きたい曲でも、好きな曲でも、練習したい曲でも、なんでも良いんだ」 「練習したい曲って……。そんな中途半端なの弾かないよ。えーと……、じゃあ、私が一番好きな曲にしようかな」 「題名は?」 「あとで調べてみるといいよ」 城田の1番好きだという曲の題名を尋ねれば、彼女は微笑むだけで教えてはくれなかった。 その彼女の言葉の後に聞こえてきた琴の旋律は、半年前に俺が初めて聴いたものだった。 *** 実を言えば、俺が彼女が琴を弾くことを知ったのは半年前で、学園祭の発表会では無い。 たまたま箏曲部の部室がある建物に用があり、そこに足を踏み入れた時、二階から普段は聞かない楽器の音色が聞こえてきた。しかしその楽器の音色は、遠い昔に幾度か耳にしたり、少し前には実際に弾いたことのある、琴が奏でるものだった。 その音色は優しげでありながら、何処か悲哀に満ちていて、酷く耳に残る。一体誰が弾いているのだろう。と、この建物に来た本来の目的も忘れ、俺は階段を上り始めた。階段を上りきった先には和室があるのか、襖が締め切られている。その向こう側に、琴の弾く者がいるらしかった。 この時代に覗き見はあまり良く無いことだとは分かっていても、好奇心には勝てそうになかった。ほんの少しの罪悪感を抱きながらも、その襖をほんの少し開けて中を覗き見る。 「……、」 ……一目惚れ、だった。 襖に背を向けているせいで、顔はよく見えないが彼女が琴を弾いている姿に、酷く目が惹かれた。ゆらゆら揺れる髪から垣間見える彼女の顔は、美しいと思ったのだ。 奏でられている曲が、何故だか耳に馴染むというのもあったかもしれない。 暫く見惚れるように、聴き惚れるようにしていれば、曲が終わりを迎えたのか静かに音が消えていく。 此処で普段の俺ならば潔く声を彼女に声を掛けたのだろうが、盗み見と盗み聞きの罪悪感からか逃げるようにその場を去ってしまっていた。後日話し掛けようにも、素直に喋ってしまえば色々とまずいし、そもそも彼女と気軽に話せるような仲ではない。何かないものか。と暫く考えていれば、気付けば半年も経ってしまっていた。 そんな時にあったのが、学園祭の箏曲部の発表会だ。そこに城田の姿を見つけたんだ。 箏曲部があるのを知らなかったのは本当だった。だから、丁度いいと思ったんだ。伽羅坊に琴の音色を聴かせてやりたいと思っていたのには嘘偽りないし、何故この時期なのかと聞かれても城田が箏曲部なのを知らなかったと言えばいい。それを口実に、琴を教えてもらおう。と、そう思った。 我ながらなんて打算的な関係なんだろう。と思う。彼女は好意で俺に琴を教えてくれているのに、俺は下心ありきで君のもとに通っているのだから。 まあ、彼女自身も充分悪いと思うけどな!思わせぶりな言葉を無意識に紡いでくる。無自覚だからタチが悪いったらありゃしないぜ。 そんなほんの少し昔の出来事に回顧していれば、あの題名も分からぬ曲は終わりを迎えたらしい。城田がどうだった?と微笑みながら問いかけてくる。 此処でもし、俺がこの曲が切っ掛けで君に一目惚れしたことを伝えたら、君は驚くだろうか。 |