Chapter 5-15
いつの間にか、日が地平の彼方へと沈もうとしていた。
時間とともに影法師が長く伸び、彼の後ろをついて歩く。オレンジ色に染められた木々や家屋、街灯たちが、茜差す空を見つめている。

「……ダメだ、何も分からなかったな」
帰路につくスィルツォードの足取りは重かった。
何か手掛かりはないものかと、街の人々に尋ねて回った。しかし、事は思いの通りに運ばなかった。誰一人として、事件の真相を知る者はいなかった。
ミストやセレンたちとも、すれ違うことはなかった。収穫のなさが、棒のようになりつつある足に見えない錘をぶら下げる。時折引きずるように足を動かし、疲労感だけを引き連れてギルドまで戻ってきた頃には、もう太陽に代わって月が空を照らしていた。


「……相変わらず混んでるっぽいな」
ドアを開ける前、一枚板の向こうから聞こえてくる声に、スィルツォードは呟く。今朝方に大変な騒ぎがあったばかりだというのに。部屋に行き着くには、またこの中を掻き分けて進んでいかなければならないのか、とげんなりする。
ひとつ深い呼吸をしてから扉を引いて、最短距離で二階への避難を試みようとするスィルツォード。
と、彼が足を動かすより先に、右のこめかみ辺りにどこかしらから飛んできた何かが当たった。
「いてっ」
ぽすっ、と足元に落ちたものを拾い上げる。それは薬草が一つ入っているだけの小さな巾着だった。飛んできた方に目を向けると、手をぶんぶんと振る低い背が見え隠れしていた。スィルツォードは進路を変えて、酒場の隅に取られたテーブルまで向かった。

「おかえり、スィル!」
「もうちょっと方法を選んでくれよ……」
「あはは、ごめんってば」
巾着をティマリールに返しながら、スィルツォードは彼女の横に空いていた椅子に腰掛ける。
「……リーゼの具合は?」
「シスターなら部屋で寝てるよ。あれから変わったことはなんにも。ぐっすりだったから、寝かせといてあげようと思って」
「そっか、よかった」
リーゼの様子を聞いて、胸を撫で下ろすスィルツォード。そうしてから、この席がかなりの大所帯であることに気がついた。
テーブルは二つ取られていた。囲むように座っているのは、ティマリール、ミスト、セレン、シヴァル、ダンケール、ルイーダ、そして――真っ黒なマントに身を隠し、奇天烈な仮面を被った謎の人物。

「……どちらさま?」
「ピエロだってさー」
「ピエロ……ゼノンさん?」
スィルツォードの問いに答えたのはティマリールだった。こくり、と仮面が上下に動く。どうやらゼノンで間違いないようだ。
「ダンケールさんにルイーダさんは……こんなところにいて大丈夫なんですか?」
「問題ない、店は手伝いが回してくれている。ギルドをまとめる人間として、今はここにいるべきだ」
「……?」
「犯人についての話をするために、あたしらもここに集まってるってわけさ」
ダンケールの返事に要領を得なかったスィルツォードだが、ルイーダの言葉で合点がいった。
「……でも、そんな話をここでやっていいんですか? 人がいっぱいいますけど……」
「ここだからいいんだ」
ジョッキを持ち上げながら、ダンケールが答える。
「上は静かすぎて、近くの席の方々にお話を聞かれてしまいますの。賑やかなここなら聞かれることも少ないですし、仮にどなたかに聞きつけられたとしても酔っていらっしゃるでしょうから、明日には忘れていることと思いますわ」
「誰かの部屋に集まることも考えたけど、この人数でどこか一箇所に押しかけるのも憚られるし……ね」
「木を隠すには森の中、人を隠すには人の中、話を隠すには話の中というわけだ」
頭上に疑問符を浮かべたままのスィルツォードに、ミスト、セレン、シヴァルが順に、その理由を説明した。
「ダンクがちゃんと掃除をしといてくれりゃ、こんな場所を取らずに済むんだけれどねぇ」
「ははは、面目ない。俺の部屋もそのうち片付けておこう」
じとっと横目で睨みを利かすルイーダに、ダンケールは笑って返す。
「いや、絶対片付けないねこれは」
ティマリールからの耳打ちに、スィルツォードは曖昧な笑いを浮かべるしかなかった。

「さて、それじゃ話の続きをしようじゃないか。スィルツォード、何か手掛かりは見つかったかい?」
ルイーダが切り出した。
「……それなんですけど」
力なく、彼は言った。
「街の人に聞いてみたんですけど、情報が全然なくて。街の盗賊団は犯人じゃないってことくらいしか分かりませんでした……すいません」
やや重たげな空気が、テーブルに流れた。皆、心のどこかで、スィルツォードが成果を持って帰ってくることを期待をしていたのかもしれない。
そんな空気が漂う中、コトリという音とともに、ひとつのグラスが彼の前に差し出された。グラスは淡い黄色を湛えていた。薄い輪切りのレモンが一片、ゆらゆらと水面に浮かんでいる。
「お疲れさまでした、スィルツォードさん」
優しい声が、頭の上から降ってきた。透き通るような青髪が、ゆらゆらと揺れていた。
「……ありがとう、ミスト」
そのグラスを手に取って、一口飲む。ほどよい酸味が、声を張り続けて疲れた喉を駆け抜けた。
「手掛かり……僕もなかったよ。けっこうあちこちの店を回ってみたけど……」
「教会のみなさんも、詳しいことをご存知の方はいらっしゃいませんでしたわ」
「私も独自のルートを当たってみたんですが、今回は坊主でしてね……」
口々に報告するメンバーたち。どうやら、骨折り損に終わったのは自分だけではなかったようだ。
「独自のルート」というのはどんなものなのだろうか。だがそれよりも、ゼノンの声が気にかかった。ずいぶんと女性的な声色だったのだ。スィルツォードの記憶が正しければ、今朝方出会ったはずのゼノンは間違いなく男の姿、そして声をしていたのだが。

「シヴァさんは?」
ダンケールとルイーダを除くと、結果を述べていないのはシヴァルだけだった。
ティマリールが促すと、彼は口元に運んでいたグラスをそっとテーブルに置いた。
「私は」
ローブの中に手を突っ込みながら、シヴァルが言った。
「勝手ながら、この件を依頼に出した」
中から紙切れを取り出し、テーブルの真ん中に置いた。

『今朝のギルド襲撃事件の情報求む。報酬:10000ゴールド』

「10000ゴールド……!?」
予想をはるかに越えた金額に、思わず目を疑った。しかし何度目を瞬いてみても、ゼロの数は変わらない。
「で……情報は来たんですか?」
「それはもうわんさかと。犯人を目撃した、って情報がね」
「それってどんな……」
スィルツォードは固唾を呑んで、シヴァルの報告の続きを待つ。小さく咳払いを挟んで、シヴァルはすました顔で答えた。
「皆から聞いたものをまとめると……犯人は中肉中背、小太りで禿げ上がった男で、年齢は10歳前後、腕が五本あって、腰まで届く長髪、骨の浮き出た皮膚に、皺の深い初老の容貌で、下町で暮らす寝たきりの幼妻。夜中に単身で酒場に侵入し、緑色の触手で花壇を掘り返し、足跡をベタベタとつけてから一階に入って暴れ回った後、30歳ぐらいの息子二人とともに空を飛び、東の方角へ逃げていったとのことだ」
「……は?」
思わず唖然とするスィルツォード。何が何だかわからず、脳の処理が停止する。
見ると、隣の肩が震えている。俯いて隠れた口元から、くくくと笑いを押し殺した声が漏れている。
「シヴァさん、『一つ目玉の』が抜けてた」
「あと『モチモチ肌の』もね」
「そうだったかな、それは失敬。しかしあれだけ覚えていたのだから、むしろ褒めてほしいところだ」
楽しげなティマリールと投げやりな様子のルイーダ、二人から指摘を受けるシヴァル。スィルツォードが戻ってくるより先に、一度この話をしていたらしい。
「……まあ、要するに依頼を受けた人たちの想像の産物の寄せ集め、ってわけだ。もちろんそんな情報に報酬はなしだ。期待させてすまなかったね」
「結局、まともな情報はなかったってことですね……」
おどけた様子の彼に対し、スィルツォードは落胆した。が、シヴァルは微笑しながら、何でもない風に言った。

「――いや、一人だけには報酬を支払った」
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