Chapter 2-6
「……今だ、逃げろ!!」
輪が切れた方を指差し、スィルツォードは叫んだ。
懸念はあった。間に合うのだろうか。
だが、少女は期待した動きをしてくれたようだった。さすがは今まで逃げ回っていただけのことはある、俊敏にその間隙を縫うようにして脱出、そのまま遠くへ駆けてゆく。明るい茶色の髪が、だんだんと遠くなっていった。
その様子をちらりと見て、ひとまずは安堵したスィルツォード。思考を自分に切り替えたところで――。
彼は、頬を強かに殴りつけられた。
◇◇◇
「あ、いらっしゃいま……」
「まーたシスターってば。ボクだよ、ボーク。おねーちゃんのこと、もう忘れちゃった?」
酒場の入口の手前、花壇の側。
いつものように定型文を述べようとする彼女に、これまたお決まりの構文を返す少女。するとシスターと呼ばれた少女は、どこか赤らんだ頬で、
「そ、そんなことない……! というか、お姉ちゃん……じゃないし……ティマだって、あたしの名前、覚えてるの……?」
「え? シスターはシスターで」
「ほんとの名前だよ……!」
「へ? あ、ああ、うん。えっとね、リー…リー…」
「……リーゼだよ……もう、いつになったら覚えてくれるの……!?」
身体と一緒に、小さく震える。半ば泣きそうになるその少女――リーゼを目に、慌てたようにティマと呼ばれた少女はリーゼを宥めにかかる。
「あああ、そうだったね、リーゼリーゼ! ほら、ちょっと忘れてただけっていうか、そのね。だから泣かないでって」
「泣いてなんかない……もん」
ぐっと堪えた様子で、リーゼは顔を上げた。ティマはそれを見て、うんうんと頷いた。
「……今日は、どうしたの?」
話変わって、リーゼはティマがここに来たわけを問う。
「や、ちょっと悪いやつらに追っかけられててさー。それを振り切ってきたらここが近かったから、寄ろっかなーって」
「また……? もう、今度は何したの……?」
「ボクは何にも知らないんだってー! ずっとそう言ってたのに聞いてくんなくってさー」
自分は無実だ! とティマ。
が、リーゼはそれを鵜呑みにして信じはしないようで。
「ほ、ほら、思い出してみて……今日、朝から……どうしたの?」
「んーっとね……起きて、ご飯食べて、外出かけて……あ」
常套句が飛び出した瞬間、リーゼはやっぱりとため息をついた。
「……なに?」
「そういえば、小さなメダルを借りに行ったんだっけ。あいつらのアジトに」
「それだよー……だいたい、なんで悪い人たちのいる所に行くの……」
「だって、悪いやつらってメダルとかお宝とかいっぱい持ってそうでしょ? だから、ね♪」
「ね♪……じゃ、ないよ……もう」
「だって、ボクだってドラゴンテイル欲しかったんだもーん!」
「……はぁ」
呆れ果てたように、リーゼが再びため息をつく。
「あっ、そういえば、誰かに助けてもらったんだった」
今の話を受けて思い出したように、ティマが言う。
「……え……?」
「そいつらに囲まれちゃったんだけど、ばっと男の子が出てきて逃がしてくれたんだよね。んー、なんかかっこよかったなぁ……」
「はぁ……今度会ったら、忘れずにお礼、言っとかないとだよ……?」
「だいじょーぶ、顔はバッチリ覚えてるから!」
えへんと胸を張るティマに、リーゼはまた訊ねる。
「あ……あたしの名前は……?」
「え?えっと……ね、シスター……じゃないほうだよね、リーザ、だっけ……?」
「……うぅっ……!」
「ああ、ごめんって、シスター!」
このやりとりはしばらく続く。
◇◇◇
「ててて……」
裏路地から出てきたのは、腫れた頬の少年だった。
「くっそー、あいつら好き放題殴りやがって……」
押さえた頬骨がじんじんと鈍い痛みと熱を返してくる。止めに入った部外者を殴っても時間の無駄だと判断したのか、男たちはひとしきりスィルツォードに殴りかかった後、再び少女の捜索へと戻っていった。が、あれだけ時間を稼いだのだ、逃げおおせた少女があまりに下手に動いていない限りは大丈夫だろう。
「それにしても……なんで追っかけられてたんだろ、あの子……」
彼女が追われていた理由を知らないスィルツォードは、そんなことを考えながら歩を進める。脚にもやや痛みがあるが、たいしたこともない。
人が溢れる表通りを、ギルドに向かって歩く。ふと側の古風な建物につけられた大時計を仰ぎ見ると、セルフィレリカとの約束の時間にはちょうどいい頃になっていた。少し予想外のイベントがあったが、特にもうやることもないことだし、と、彼は別段急ぐこともなく、しかしやや早足で待ち合わせの場所へと向かった。