Chapter 2-1
「おはよう……おじさん、おばさん」
いつもと同じような朝の挨拶。だがその声は、はっきりと意志を確かにして、決意を新たにした声だった。
「おはよう、スィル。朝ご飯はできてるわよ、お座り」
対して、マリーの声色には一切の変化はなかった。
「うん、ありがとう」
スィルツォードは言われるままに自らの席につく。隣には、これもまたいつものように広げた新聞を覗き込んでいるジンの顔があった。
「スィル、おはよう」
「おはよう。何か面白い記事あった?」
「そうだなあ。おまえがゴルドアを殴った記事でもあるかと思ったけど、そんなのは全然。特に興味もないセレブの話題とか、労働者募集の広告とか、そんなヤツばっかりだよ」
ゴルドアの名前が出て少しばかり苦笑いしつつも、そっか、と返事をして、スィルツォードは目の前に並んだ朝食に手を付け始めた。彼はいつもより口に運ぶものすべてを丁寧に味わった。ひょっとしたら、ずいぶんと長い間帰って来られないかもしれない。そんな我が家の朝食を食べる最後の朝だから尚更だった。
「しっかりやってくるんだよ、スィル。スィルなら出来るさ、私たちが保証しよう」
「困ったことがあったらいつでも帰って来なさいね。どんな時も私たちはスィルの味方よ」
「うん、頑張ってくるよ。おじさん、おばさん、今までありがとう」
玄関先で、スィルツォードは見送りに出てきた二人に笑顔で言った。そして、新しい生活への一歩を踏み出し、街の入り口に建つルイーダの酒場を目指して駆けて行く。
「……行ってらっしゃい、スィル」
その後ろ姿を見送って、マリーが小さな声でそう呟く。我が子の自立を喜ぶ親の姿が、そこにあった。
「よし……がんばるぞっと!」
酒場の入り口に着き、中に入る前にそう一言、スィルツォードは自分に気合いを入れた。
そうしてドアに手をかけ、引く。開いたドアの向こうへと足を運ぼうとして、彼はすぐ目の前に人影があることに気がついた。
「……あ」
小さく声を漏らしたのは、魔法使いのローブを羽織った少女であった。見たところスィルツォードよりも年下の彼女、手には杖が似合う格好をしているのだが、その代わりにかわいらしいデザインのジョウロが握られている。
「……あっ、ごめんなさい。いらっしゃいませ」
「あぁ、気にしないで。オレ、客じゃないから」
「……えっ?」
慌てて外に出て中への道を譲った少女に答えると、彼女は少しばかり当惑した表情になった。
説明が足りなかったかなと、スィルツォードは言葉を継ぎ足す。
「オレ、今日からこのギルドで働くことになってるんだ」
「ギルド……あっ、そうだったんですか、すみません」
事情を知った少女は赤面して俯き、再び謝る。
「いや……謝らなくて大丈夫だからさ」
「あっ……はい、その……すみません」
おどおどした様子で、少女は頭を下げた。そうして、ジョウロを持って昨日スィルツォードが目を奪われた花壇へと小走りで向かっていった。
「……どうしたんだろ、あの子」
彼女の反応がよく分からないスィルツォードは内心首を傾げながらも、空いた入口を跨いで中に入った。
朝ということで、昨夜のような活気と熱気はなく、むしろ朝らしい涼しげな空気が室内には流れていた。冒険者と思しき人の数もまばらで、カウンターに少しばかりの人の塊が見える程度だ。
「……ああ、それはねぇ…………まぁ、そういうこと……」
カウンターへと近づいていくと、切れ切れにルイーダの声が聞こえてきた。人の群れの中にいたルイーダがこちらに気付き、「あぁ、来たかい! ……ごめんよ、みんなちょっと時間くれるかい」と言うと、人々はさっと左右に割れた。
「どうも、ルイーダさん。おはようございます」
「ん、おはよう、スィルツォード。いい顔だね、今日から頑張っておくれよ」
「はい、頑張ります!」
「そうだね、ちょっと二階で待っててくれるかい。セルフィレリカがいるはずだから」
「分かりました」
彼女の言葉に従い、スィルツォードはカウンターの奥にある階段を上る。ルイーダの言った通り、あるテーブルに席を取って座っているセルフィレリカの姿があった。