Chapter 1-6
家に着くなり、鼻をくすぐる香り。
誘われるままに匂いの元へ向かうと、キッチンでマリーが腕を振るっているところだった。
「あら、スィル。おかえり」
「ただいま、おばさん。いい匂いがしたから何かと思って」
「ふふ、今日は奮発しちゃったわ、楽しみにしていなさいね」
「おおっ、ほんとに!?」
豪華な食事になると聞かされれば、胸も躍るというものだ。期待しながらリビングに戻ると、スィルツォードはあることに気がつく。
「…あれ? おじさんは?」
そう、いつもここに座って髭を撫でつけながら、本なんかを読んでいるジンがいないのだ。
彼の声が聞こえたのか、キッチンからマリーの声が返ってきた。
「ジンなら少し遅くなるわ。ちょっと用事ができたって」
「そうなんだ。晩ご飯までには帰ってくるんだよな?」
「そのはずよ。もうじきに帰ってくるんじゃないかしら?」
そんな話をしていれば、噂をすれば影、玄関のドアが開く音がした。
「ほらね」
そう言ったマリーの声には、ジンのことなら何でも分かる、という色が見えた。
「スィル、やってくれたね」
夕食時。マリーの話に偽りなく、いつもより多く皿が並んだテーブルで、ジンはふいにこう言った。
「え? 何の話?」
突然「やってくれたね」などと言われても、皆目話の見当がつかないスィルツォードは、そう聞き返してジンを見る。
が、次のジンの言葉で何の話であるか、彼には察しがつく。
「街で一番大きな建物に呼び出されてね。顔が腫れた人と会ってきたんだよ」
「あ、はは……なるほどね……」
スィルツォードの顔が引きつる。この流れはまずいと思った。
ジンが会ったという顔が腫れた人、それは間違いなくゴルドアのことだろう。街で一番大きな建物とは、もちろんゴルドアの屋敷のことである。それはギルドよりもうんと広い敷地を持っていた。
「それ、何の話かしら?」
マリーにはまだ話が見えていなかったらしく、間に割って入ってきた。
スィルツォードは観念したとばかりに、今日のゴルドアとの一件をかいつまんで二人に話した。
「……そんなことがあったのね」
「うん、そうなんだ。おじさん、罰金とか払わされた?」
「罰金か……確かに言われたよ。100000ゴールドくらい払ってもらわんと気が済まんとね」
「……」
スィルツォードは背筋に嫌な汗が流れるのを感じた。まさか、そんな大事になっていたなんて――。
「安心していい。向こうにはビタ一ゴールドたりとも払っちゃいないよ」
ジンは顔が引きつったスィルツォードに、心配ないとばかりにそう言った。
「……え?」
「話は簡単に聞いてきた。わたしが判断する限り、確かに手をあげたスィルに非はあるが、そんな法外な金額を払ういわれはないと思ったよ」
「でも……それで解決したの?」
「解決したも何も、あんなバカげた金額を提示してきた時点で応じる気はなくなったよ。だからわたしは言ってやったんだ。『あなたがいくら払えと言わなければ、10000ゴールドなり20000ゴールドなりお詫びはするつもりでしたけどね。ここでわたしと小競り合うより、お仕事に行かれた方がより多額のお金を得られると思いますが』ってね」
ジンは悪戯っぽく笑った。
「ジンったら……」
「いいじゃないか。わたし自身、あの男にはつくづく腹が立っていたからね。あいつの腫れた顔を見て、少し気が晴れたよ。スィル、よくやったぞ」
「ジン!」
「ははは、冗談だよマリー、そう怒らないでくれ」
厳しい目でたしなめるマリーに、ジンは首を振った。
「あっ、そうだ」
とスィルツォード。
「あのさ、今日の話なんだけど」
「なんだい? ゴルドアの話とは別のことかな?」
「ああ、まあちょこっとそれも関係あったりするんだけど…」
少し口ごもってから、スィルツォードは言い慣れた言葉を口にした。
「仕事、クビになった」
マリーとジンは顔を見合わせる。もはやお決まりの話題である。
「けど」
……だが、今日は少し違った。