03


※東方が吐くので食事中は読まないでください。絶対です。


 光陰矢のごとしというが、時が経つのは早く、東方は大学生になった。

 中学高校を山吹で過ごし、テニスは高校最後のインターハイで引退した。東方は最後まで全国区のダブルスプレイヤーとして地味に名を馳せていた。
 勿論、その間は彼女なんて作らなかったし、男にも興味はないから彼氏もいない。そもそもインポだからセックスしなくても平気だった。寂しい人生だと友人の千石に笑われたが、東方はそれで良かった。
 南のことはすっかり記憶の隅に追いやっていた。中学を卒業するまではあの日のことを毎晩思い出しては苦しんでいたが、今では思い出すこともなくなった。ただ、彼女と親友だったきれいな日々だけは今でも思い出す。
 大学生活ものらりくらりとそれなりに真面目に過ごそうと思っていた。それだというのに、運命というのは不思議なものである。

「南健生です。男みたいな名前ですが、女です。よろしくお願いします」

 聞き覚えのある声、名前だと思ったら案の定、南だった。
 数合わせのために無理矢理参加させられた合コン。居酒屋で一人一人自己紹介していく流れになった。女たちが男を引っ掛けようと媚び媚びのカマトトぶった紹介をする中、最後の数合わせらしい女が立ち上がった。
 跳ねがちな黒髪は伸びていてセミロングになっていたし、その顔は中学生の頃より少し大人びていたが、間違いなかった。

「…南?」

 思わず立ち上がると驚いた顔で南は東方の顔を見た。本当なら、気づかなかったふりをした方が良かったかもしれないが、反応せずにはいられなかった。考えるより先に身体が動いていたのだ。

「東方?」
「…久しぶりだな」
「…ああ、久しぶり」

 南はそう言って、目を細めた。何故、自分を見捨てた相手にそんな優しい顔ができるのだろう。甦る罪悪感に胸がちくちく痛む。東方が最後に見た南の顔は絶望と恐怖に満ちていたから、笑えるくらい南が元気になったのだと考えると少しだけ嬉しくなる。

「何? 二人とも知り合いなの?」
「昔、近所に住んでて、よく一緒に遊んでたんだ。テニススクールでも一緒だった」
「へえー、不思議な縁だなあ」

 隣に座っていた友人が目を丸くして驚いている。確かに不思議な縁で繋がれているようだ。まさか、こんなところで会うなんて思わなかった。
 本当のところなら一生涯会いたくなかった。彼女のことを考えるだけでも胸が張り裂けそうなのに本人に会ってしまったら、罪悪感で押しつぶされてしまいそうだ。ほっこりと胸が温まったのは一瞬で次の瞬間には胸のちくちくが更に増していた。

「じゃあ、南さん、あたし席代わるね! 積もる話もあるだろーし!」
「あ、ありがと」

 東方の前に座っていた女が立ち上がって、そそくさと南と席を交換する。南の前に座っていた男の方がタイプだったらしく、嬉しそうにはしゃいで、前になった男に自分を紹介している。
 数合わせ同士で端っこに追いやられてしまった。南を目の前にして東方はすぐにでも帰りたい気分だった。

「不思議なもんだな。まさかこんなところでお前に会えるなんて思わなかった」
「…ああ」
「もしかして…お前も今日、引き立て役?」
「いいや、俺は数合わせ」
「お前も似たようなポジションにいるんだな…」

 そんな東方のことはつゆ知らず、酎ハイ片手に南は話を始めていた。東方も焼酎をあおりながら、それに相槌を打った。

「ほら、私ってこんな風に外見に無頓着だろ? だからよくさ、引き立て役に使われるんだよ。私がいたら他の子の方がかわいく見えないか?」

 ふう、とため息を吐いて南は盛り上がっている他のメンツの方へ視線を向ける。南は薄化粧な方だし、髪だって多少は手入れをしているようだが中学と変わらぬ跳ね具合だ。そして、衣服は合わせ方が本当に地味だった。これは引き立て役に使われても仕方ない。

「確かにお前、相変わらず地味だな」
「地味って言うなよ。お前もそう変わらないだろ」

 東方のひどい返答に南は苦笑いを浮かべる。久し振りのやりとりにさっきまでちくちく痛んでいた胸がほっとしていた。

「でも、俺は南の方がタイプだよ。あんまり派手なのは好かない」
「…そうか」

 さらりと口について出た言葉に自分でも驚く。目の前の南も驚いていたようだった。しばらく顔が引きつった後でまた苦笑いを浮かべていた。
 自分で言ってしまったのを必死に取り繕うように焼酎を一口あおる。

「…お前、今どうしてんの…?」
「アパートで一人暮らししてる。この近くかな? 気楽でいいぜ。暑くて下着だけでいても怒られないしさ。お前は?」
「俺は実家通い…」
「へえ、そうなんだ」

 南がにやりと笑うのを見ながら、酒の量がどんどん増えていく。久しぶりに見た南はそれなりにきれいになっていた。多分、彼女を引き立て役に使う女よりきれいだ。ただ単に外見に無頓着と言うだけでそれなりにすれば彼女たちよりもきっと輝くはずだ。

「今度、部屋に遊びに来いよ。スーファミとか持ってきてんだ。久しぶりにやろうぜ」
「あ、ああ…」

 南はずっと、あのときの話を引き出さなかった。それから居酒屋でした話と言えば、昔のことばかりだ。やれ、山吹中のテニス部員はどうしているのか、南の相方は今どうしているのか、その辺りの話が飛び交う。

「そういえば、お前、今もテニスしてるのか?」
「いや? テニスは高校でやめたよ。頑張りすぎて肩、壊しちゃってさ」

 そう言って、南は肩を押さえてため息を吐く。がむしゃらにテニスに打ち込みすぎたツケがこんな風に回っていたようだ。もしかしたら、ここで謝罪するべきなのかも知れない。だが、謝るのが怖い。今、こうして昔と変わらない様子で話してくれている南がいきなり豹変して東方を責めるのかも知れない。それが怖くてなかなかその話を切り出せなかった。
 言葉で取り繕うのが苦手で酒を飲むペースだけが進んでいく。自分の許容量を超えていることになかなか気づくことができなかった。



 酒で話を取り繕っていると気がつけば、東方はすっかりできあがっていた。

 立ち上がっても足下がおぼつかない。まともに思考が働かない。同級生が肩を貸してくれて、立っているのがやっとだった。

「バッカだなお前。飲み過ぎだよ」

 友人が悪態吐いているがそれを言い返す気力もない。

「どうしよ。家まで送るにしろ、俺こいつんち知らないんだけど」
「ていうか、こんなにデカいの担いで帰れねえよ」

 困ったような友人の会話を遠い意識で聞きながら、申し訳ないと思った。だが身体は動かないし、気分が悪くて口を開けない。開いてしまったら最後、吐いてしまうだろう。これから俺はどうなってしまうんだ? などと考えながら、話の行き先に耳を傾ける。

「じゃあ、私送るよ。そいつの家、知ってるから」

 女の声がした。女というか南なのだが、みんな驚いているのか周りがざわめいている。東方も驚いた。そして、その反面怖くもあった。二人きりになったら、彼女は豹変するかも知れない。

「いや、でもさ、南さんこんなの担げるの?」
「肩なら貸せる。それにもしものときは私の家、近くだから」
「で、でもなあ〜…」

 案の定、男たちが難色を示す。女に大男を任せて帰るなど、男が廃るというものだ。

「これでも力には自信があるんだ。それに二次会、行きたいんじゃないか?」

 南はちらりと男たちの顔を見回した。南と東方以外のメンバーはそれなりに良い雰囲気になっていたから、このまま二人きりになりたいはずだ。

「じゃあ…南さんにお任せしちゃおうよ!」
「そうそう! 南ちゃんああ見えて力持ちだからさ!」

 ずっと見ているだけだった女子のメンツが声をあげる。なんとも薄情な友人たちだ。そもそも南を引き立て役に連れてくるくらいだから性格は良くない。

「そうだな…じゃあ、南さんお願いするよ」
「うん。じゃあまた」

 彼女たちに腕に縋り付かれるともう断れないらしく、繁華街の方へと去っていく。東方は内心、薄情者、と彼らのことを罵った。それでも彼らはもう振り返らない。

「東方、行くぞ」

 男の一人に代わって東方に肩を貸し始めた南が歩き出す。背が違いすぎて歩きにくい。

「ちょっと肩は貸しにくいな。ほら、背中にもたれ掛かってろよ」

 よいしょ、と東方を背中にもたれ掛からせるとまた南は歩き出した。先程よりは歩きやすい。だが、南には相当な負担だろう。申し訳ない気分だったがさらに彼女の背中に縋り付いていた。南は繁華街とは違う方面へと歩いて行った。



「着いたぞ」

 十分ほど歩いたところに彼女の住んでいるハイツがあった。一階の角部屋が彼女の部屋だった。
 部屋に入ると玄関で南は行儀悪く足だけで靴を脱いだ。だが、東方の靴は脱がさない。下ろしてからまた持ち上げる労力を考えてのことだろう。

「あー、重い重い。もう少し頑張ってくれよ」

 はあ、とため息と共に放たれる一言。南も疲れてきているのか変に揺れることが多くなった。それが東方を無用に揺さぶって、気分を悪くさせる。これまで口を開かなかったのは相当な位置まで上がってきているからだ。すでに限界は超えている。うぷ、と鼻から変な息が漏れて、思わず口を押さえた。

「どうした?」

 東方の妙な行動に南は振り返る。それが決め手になった。
 一気に身体が揺さぶられて、胃の中のものが口から飛び出してきたのであった。いきなり吐かれて、南も声にならない悲鳴を上げていた。

「…おえ、みなみ、すまん…」
「……アホみたいに飲み過ぎなんだよ」

 吐瀉物は見事にお互いの衣服と床を汚していた。不幸中の幸いと言えば、そこがフローリングだったことだ。まだ絨毯よりは片付けが容易である。
 南は東方を床に寝かせると吐瀉物をティッシュで拭いていた。東方はそれを見つめているだけである。床の片付けが済むと今度は東方の方へ寄ってくる。

「ほんとうに、すまん」
「もういいよ。気にすんな。あと口がゲロ臭いからしゃべんな」

 東方の服を拭きながら南は大きな溜息を吐いていた。彼女はまだゲロまみれのままである。もらいゲロをすることもなく、彼女はかなりえらい。

「ほら、脱がないと洗濯できないだろ」

 ポロシャツのボタンを外してから、南はほら、万歳と両手を上げる。それに言われた通り、両手を上げていた。内心、拒否したい気持ちでいっぱいなのだが、身体は南の言うことに素直なのだ。

「うわ、ここにもついてら。さすがにパンツまでは脱がさないから安心しろよ」

 履きっぱなしだったスニーカーを脱がされてから、カチャカチャベルトを外す音がする。それはさすがにダメだろ、と頭の中ではそう思っているのだが、酒に酔った東方の身体は言うことを聞かずに南に素直だった。
 ジーンズを脱がしてから、南が何故か噴きだした。それに彼女を睨むと、「ゴメンゴメン」と謝ってくる。

「パンツと靴下だけってダッセェなあって思ってさ。ちょっと待ってろよ」

 脱がした服を持って、南は奥の方に消える。それから、ごうんごうん、と洗濯機が回る音がし始めた。
 倒れたまま、素直に待っていると下着だけの南が服らしいものを持って戻ってきた。

「これ、小さいかも知れないけど、着てて。一人で着れるか?」

 南が持ってきたのは男物のシャツとスウェットだった。何故、女の一人暮らしの彼女の部屋にそんなものがあるのだろう。そんな疑問が湧く。だが、東方の身体は南の言うことに素直に頷いていた。だいぶ身体も回復しているらしく、身を起こして、シャツを着始める。

「今は酔って危ないからシャワーは明日にしとけよ。私は入ってくるから、ベッドで寝ていいよ」

 南はぽんぽん東方の頭を撫でてから立ち上がる。そして、また奥へ行ってしまった。間もなく、シャワーの水音が聞こえてくる。
 シャツとスウェットは少しだけ小さかったがほとんど東方のサイズと変わらなかった。一体、誰のものなのだろう。彼女にまつわる男と言えば、中学時代の不良が思い出される。彼もまた身長の高い男だった。

(いいや、ないない…)

 心の中で首を横に振った。彼は加害者で南は被害者だ。そんな男に二度も身体を許すはずがない。
 東方の身体はそのまま座り込んで、うとうとし始めていた。



「おい、こんなところで寝るなよ」

 気がつけば、やたら熱い手に肩を揺すられていた。目を開ければ、寝間着姿の南がいた。髪はまだ乾かしていないらしく、肩にタオルが掛かっている。しっとり濡れているのがなんだか色っぽい。

「ああ…」
「寝るならベッドで寝ろよ。ほら、つかまれ」
「ん…」

 言われた通りに南の首につかまると彼女はゆっくりと立ち上がる。八十キロ近い東方の身体は女の南には相当重いだろう。しがみついている間、南の濡れた髪に顔を埋めた形になる。シャンプーのにおいに混じってなんだかいいにおいがした。

「……いいにおいがする」
「あんまりひっつくなよ」
「南…うわっ」
「うわわっ!」

 くんくん頭のにおいを嗅いでいると東方の足のバランスが崩れる。南を道連れにして、ベッドに倒れ込んだ。
 自然と南を下敷きにしている形になるのだが、いわゆるラッキースケベというやつで思いっきり南の胸に顔を埋めていた。ブラジャーをしていないのか柔らかい感触がリアルに頬に伝わってくる。

「…南、柔らかい」
「そんなに太ってねーよ。バカ」

 普通の女なら怒るところのはずなのに、南は笑っていた。あのとき見捨てたことも、さっき吐いたこともなんでもないかのように彼女は笑っていた。まるで、あの事件以前に戻ったかのようだ。
 女に触れても嫌悪感を覚えない自分がいることに東方はここで初めて気がついた。むしろ、柔らかいしもっとこのままでいたいと思っている。酒のせいなのか、それとも南だからなのか、それが分からない。しかし、だいぶ東方の酔いは醒めてきていたからきっと酒のせいではないだろう。

「……怒ってないのか?」

 南の胸に顔を埋めたまま、訊ねてみる。酔っているふりをしようと思ったが、思った以上にはっきり言葉が出てきたから、もう醒めていることはバレているだろう。

「吐いたことか?」
「違う。中三のとき、お前のこと、見捨てただろ…俺」
「……いきなりだな」

 はあ、と本日何度目か分からない南のため息が聞こえてきた。

「あれはな…怒ってるとか怒ってないとかっていうよりも……悲しかったかな」

 そう言って、もう一度ため息。

「お前が私のこと、汚いって言ったときは本当に悲しかった」

 次の一言は泣き出しそうに震えていた。じかに感じる南の胸の奥から心臓の音が聞こえてくる。それはやたらと速かった。

「……すまなかった」
「謝んなよ」
「でも、すまん」
「別にもういいよ。直後は男に触れられるのも嫌だったけど、ほら…今は全然平気になってるだろ」

 南の手が東方の背中をぽんぽん叩く。男に犯されて、好きな男に見捨てられて、絶望したはずだというのに彼女はどうやってトラウマを乗り越えたのだろう。東方など十年近く勃たなくなったというのに。

「そんなことよりも重いからそろそろどいてくれないか」
「ああ、すまん」
「お前さっきから謝りっぱなしだな…」

 東方が身を起こすと南も起き上がる。

「ベッドで寝て良いよ。私床で寝るから」
「いや、いいよ。俺が床で寝る…」
「じゃあ、久し振りに一緒に寝るか」
「え?」
「お前インポなんだろ? だったら、全然大丈夫じゃん」

 さらりと南が口にしたインポと言う言葉にがっくり肩が落ちる。女がさらっと言っていい用語ではない。南のそういうところはあまり変わっていないようだ。
 東方ががっかりしている間に南は布団の中にもぞもぞ入って、隣を勧めてくる。シングルベッドだから、朝になれば床へ落ちている自分が想像できる。だが、家主の勧めは無碍にはできないと東方もそこに潜り込んだ。

「誰かと一緒に寝るって楽しいな! 小学生の頃を思い出すな!」

 規格外の体格で割り込んだため、ほぼ南を抱きこむ形になる。だが、南は全然気にしていないようだ。

「昔はこんなに狭くなかったけどな」
「お前がデカくなりすぎなんだよ」

 ははは、と笑いながら南はすり寄ってくる。東方に媚びるとかそういうところはまったくない。嫌な女のにおいは南からまったくしなかった。

(130903)



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