恋人の名前


 鎌先の身体からは機械油のにおいがする。だが、別に気にならない。機械科だから、だけが理由ではない。それはどこの家にもよくある家庭のにおいだった。茂庭の家は犬を飼っているから犬のにおいがするだろうから、それと一緒で鎌先の家は町工場だった。

「鎌ちの家に行くの、久しぶりだな」
「おう、いつぶりだっけ?」
「笹やんと三人で俺のお誕生日会して以来かな」
「あー、あれな」
「さすがに十八でお誕生日会は恥ずかしかったなあ」

 前を歩く鎌先の広い背中を追いながら、そのにおいにスンッと鼻を鳴らした。茂庭はそのにおいが好きだ。彼と一緒にいることをしっかり認識できる。
 鎌先の家に近づくごとにチュイイイーンともキィイイイーンともとれる大きな鉄扉の向こうから聞こえてくる機械音が大きくなっていく。なるべく近所迷惑にならないようにはしているらしいが、やっぱり聞こえてしまうのだろう。
 鎌先の家は工場の隣にある。少し年季の入った二階建てで玄関はガラガラ開く戸。鎌先はポケットから取り出した鍵を開ける。ガラガラ戸を開きながら、大声で叫んだ。

「ただいまー!」

 そんなに大声を出さなくていいんじゃないかとは思うが、隣が工場だからやっぱり仕方ないのだろう。最後に入った茂庭は戸に鍵を掛けると行儀悪く足で運動靴を脱ぎ、そのまま放置で家へと上がる鎌先を横目に座って運動靴を脱ぐと鎌先の分もきちんと靴を揃えておいた。

「先に俺の部屋、行っといて」
「分かった」

 そう茂庭に告げた鎌先が真っ先に向かったのは洗面所だった。よく鎌先の母が彼に負けない大声で靖志、すぐに洗濯物出しとけって何回言えば分かるんだい! と吠えているのをよく聞くから言われる前にするつもりなのだろう。
 茂庭は勝手知ったる鎌先の家でとりあえず、二階にある鎌先の部屋に向かおうと階段を上がりきった。鎌先は就活をしているし、茂庭も受験対策の補講を休日も受けているため、なかなか二人で会う暇がなかった。だから、今日勉強を教えて欲しいと言われて嬉しかった。
 茂庭は鎌先とそういう関係である。工業高校は女子の数が圧倒的に少ない。だから、そういう道に走る生徒も多いという。自分たちもそういう若気の至りの一種だと茂庭も一時期は思っていた。
 しかし、茂庭は日に日に鎌先に対して本気になっていった。心から好きだ。『鉄壁』を名乗るには心許ない自分に対して鎌先は恵まれた体格を持っているし、チームが苦しいときにだってキレのあるプレイと大声で励ましてくれる。自分よりも主将に向いていたんじゃないかと思うこともあるが、それを言えば彼に怒られてしまうから絶対に言わない。茂庭が鎌先のことを認めているように、鎌先靖志という男は一番茂庭のことを認めていた。
 鎌先の大きくて、低い声が好きだ。鎌先の広くて筋肉質な背中が好きだ。鎌先のバカに見えるが、バレーに関してはよく考えているところが好きだ。バカなのも本当なので、そこも含めて。
 階段を上がりきって、鎌先の父が幼少の息子のために作った金属の名前プレートがぶらさがった部屋に入る。ロッカーは雑然としているのに、意外と片付いている部屋にまた愛しさがこみ上げてきた。
 鎌先の両親が息子を呼ぶ名前、ドアに掛かった名前プレートに書かれた名前。それを思うと自然と笑みがこぼれてくる。

「…鎌先靖志」

 恋人の名前を呟いて、一人笑う。鎌先の、靖志という名前が好きだ。


end

(140924)
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