沈んでいく少女の身体を、いくつもの泡と魚たちが掠めてはそっと撫でていく。瞼を閉じ、膝を抱えてただごぽごぽと落ちていくばかりの彼女を心配して、きらきら光る魚の群れがそっと覗きこんだ。ねえ、きみはどうしたの。大丈夫かな。彼らはそう言い合って、それでも何も返さない少女に溜め息をついた。この子は沈みたいのだ。そう結論づけた彼らは光に輝く尾鰭をすいと泳がせて、どこか遠くへ姿を消えてしまった。海の中、うたた寝をしているだけだというのに。皆が皆彼女の心配をしてそっと表情を窺っていた。珍しいわ、人魚姫がお昼寝してるなんてね。遠くに流されてしまわないか心配だわ。そうね、見守っててあげましょう。そうだわ、ねえねえ、あれはなあに?なあに、あれ。通り過ぎる魚たちの囁きに鼓膜を揺すられ、少女はふと瞼を持ちあげる。魚たちが上を見て、何かを言っていた。彼女はそれに釣られるように視線を動かし、そして、遥か頭上、水面に揺られ波に揉まれる光を三つ、視界に捉える。寝ぼけ眼ではあったがその形をはっきりと見とめ、少女は勢いよく浮上した。

「いま助けるとよ…!」

 流されていきそうな丸いボールたちに手を伸ばし、彼女はそれをしっかりと胸に抱きとめた。







「今日もいい天気だね、まさに、フィッシング日和!」

 少年は自らを乗せて波の合間に漂う滑らかな身体をしたミロカロスにそう呼びかける。彼の言う通り、入道雲が白くぽっかりと浮かぶ夏空が頭上に広がっていた。小洒落たパラソルを差して釣りをする少年に彼女はほんのすこし微笑んで、おおん、と鳴いた。その応えに彼はいとしげに目を細める。

「こんな日はMIMIと一緒にコンテストに出るのが一番なんだけど…あいにく今日はやってないんだよねえ」

 残念だなあ、と少年はルビー色の瞳を揺らした。目を閉じた彼の瞼の裏には、スポットライトを浴びて煌びやかなステージに立つ己の相棒たちの姿が映っている。惚れぼれするような毛並みを持つグラエナ、滑らかで愛らしい曲線を描く尾を揺らすエネコロロ、圧倒的な存在感で客席を魅了するラグラージ、小さいながらも瞳からは隠しきれぬ賢さを溢れさせているポワルン、それに他者の追随を許さぬ美しさを誇るミロカロス。何度も共にステージに立ったルビーにははっきりと、その光景が浮かんでいた。相変わらずだ、とでも言いたげにミロカロスは静かに尾をくゆらせる。「でも、」ルビーは釣り竿を器用に足で支えながら呟いた。

「こんなふうに自然に囲まれてる日ってのもいいものだよね、うんうん」

 くる、と手にした新鮮な果実を一口齧って彼はひとり頷いた。頭上にパラソルの影を作ってやっているポワルンも、同意するように笑顔を見せる。

「それより何かお腹すいてない?NANAもCOCOも、ZUZU、も……あれ、うそだろ、ちょっ…、みんな!?」

 腰に下げるボールたちにそう問おうとしたルビーの声が、凍りついた。あったはずのボールが、ない。どこで失くしたんだ。焦る彼の横、ミロカロスもポワルンも揃って捜し始める。大海原にはボールが浮かんでいる様子もなく、どこまでも混じり気のない群青が広がっていた。さあ、とルビーの顔まで青くなってくる。どこで落としたのだろう。

「MIMI、戻ろう!」

 元来た道を引き返せば、きっと見つかる。彼はそんな思いでミロカロスに呼びかけた。彼女も少し焦った様子で応えると、ぐるりと身体の向きを変える。ポワルンはふわふわと浮かびながら、パラソルそっちのけで辺りを見回している。ルビーももはやそれどころではない。

「ZUZUー!NANAー!COCOー!」

 声を枯らさんばかりの勢いで名前を呼ぶ。広い海を渡ってくる声は、やはりというか、なかった。肩を落とした彼の耳に代わりに聞こえてきたのは、ざば、と波の音。顔を上げれば、波を掻き分けて誰かがこちらに向かってきている。誰だろう、そう思ったルビーのもとへ、それはイルカみたいな軽やかさでやってきた。

「見つけたったい!」

 波の合間から覗いているのは、可愛らしい造形をした少女の顔。恐らく彼女と呼んで良いのだろう、彼女は海のなかへ突っ込んでいた手をざばりと引き上げて、「ほら」と言いながら唖然とする彼に何かを手渡した。ころころ、転がる赤。三つばかりあるそれが自分が失くしたと思っていたモンスターボールだと気付いたときに、ルビーは思わず「あっ」と声を上げていた。再会を喜ぶより前にお礼を言わないと。彼はボールを大事そうに抱えながら顔を上げた。

「君が見つけてくれたんだね?ありがとう、えっと、」
「礼はよか。それより、もう失くさんように気をつけり!底に沈んだら、見つけられんようになってしまうとね」

 少女は波に揺られ浮かんだまま、にこ、と快活そうな笑顔を見せる。彼女のそんな顔に思わずぽかんと口を開けたルビーにくる、と背を向けた。

「それじゃあね!海で溺れんように!」

 そう言い残し、彼女は波間にざぶんと姿を消してしまった。少女が現れてから消えるまで、ほんの一分ほど。夢だったんじゃないかと思ってしまうのを、塩水に浸かったボールだけがそれが現実だと教えていた。深い色を湛える水面を覗きこんでも、少女の茶色い髪はどこにも見えない。ぐい、と身を乗り出したルビーの身体を、落ちるのを心配したポワルンが思わず支えてやった。

「あ、ありがとうPOPO…」

 それでも彼の視線は、相変わらず海に注がれている。ボールの中にいる三匹が不思議そうな顔をして、顔を見合わせた。ミロカロスはポワルンと視線を交わして、どうしたのだろう、と主の顔を覗きこんだ。それでもルビーはただ海原を見つめるだけだ。ざあ、と真夏の風に彼の釣り竿の糸が流されていった。不安定な波乗りの最中なのだから大して動いていないはずなのに、何故だか動悸が早かった。




(11.07.30)

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