ぴちゃ、と彼女の耳を水音が舐めた。足元が揺れ、波が夜の海をぐるうりとうねる。少女を背に乗せてきらきらと輝く波間を漂う海の王は、そのおおきな黄金色の双眸を悲しげに細めた。海の中深くまで響く低い彼の泣き声が、海溝の入り口を過ぎて地中の奥まで潜っていく。彼の大きな両のひれは、暗い海の中を行き場なく彷徨っていた。彼は何も言わなかった。少女も何も言わないで、じいっと遠く大地のうえに輝く灯りを見つめている。きらきら、星が楽しげに瞬く夜空を背景に聳える巨大な火山。優しい胡桃色の髪を潮風に揺らす彼女の瞳は、かすかにその大きな影を映し込んでいた。聞こえるのは風の音だけ。魚たちはみな彼女を慰めてやりたいが、どうすることもできない、と海中に息を潜めてしまっている。今日は静かな夜だった。その夜のなか、ぱたり、ときらめきが降ってくる。星が落ちてきたのかと思ったそれは、少女の瞳から溢れてきた塩っぽい水だった。海水に比べれば幾分甘さのある水が、ぱた、ぱた、と彼の背に次々と落ちてくる。それでも少女は何も言わなかった。もう一度あの大地を踏んで彼に逢いたいとは言わなかった。言ってくれればわたしも少しは楽になれただろうに。歳に見合わぬつよさを持った彼女がどうにも哀れで、彼は黄金の瞳をそろりと閉じた。貴女は人間だから。あの広大な陸地を恋しく思う、人間なのだから。海の底で過ごすことなんて、ありえなかったはずなのだから。少女の頬を伝って止めなく溢れる煌めきを拭えるものはどこにいるのだろう、と巡らせた思考は泡といっしょに融けていく。海の王は最初から分かっている。己の手では彼女の頬を優しく拭ってやることなど出来ないのだと。それを出来る者はいま彼女が見つめている陸地のどこかで、陸の王と共に居るのだろうと。



泣かないで人魚姫




(11.07.24)

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