目が覚めたら、へんないきものがいた。



 まず真っ先に目に入るのはいつも通りの少々薄汚れた天井…ではなく、もさもさとした動く毛のかたまりだった。時折その先が鼻を掠めて、遊馬はむずむずしてくる。風邪でもひいたようにくしゃみが出そうだ。思いっきり鼻をつまんでふんと力を入れ、なんとかむず痒さを回避する。ええい、とにかく起き上がらねえと!意を決して起き上がると、遊馬の上に陣取っていたそのおかしな毛玉はころころと転がり落ちた。「ふぎゃっ」妙な効果音と一緒に、どさ、と何かが落ちる音。

「…ああ、遊馬、おはよう」
「おはようアストラル」

 窓の外を熱心に眺めていたアストラルは、その音に反応してくるりと振り向き、そこでようやくこの部屋の主が目覚めたことに気付いた。それまで興味の対象であった数羽の鳩からはもう意識をはずし、はて、と彼は首を傾げる。さっき、妙な物音がしなかったか。アストラルは怪訝な顔で遊馬を見つめた。なにかが悲鳴をあげたような気もしたのだが、気の所為だろうか。

「…………今のはなんだ」
「へ?今の?」

 遊馬は目を擦りながら寝ぼけた声で返事をする。互いに事情が呑み込めない、という顔で暫く無言で見つめあい、それからアストラルは先程の怪音のしたほうを見下ろした。遊馬が遅れてそちらを見遣る。あ、と、どちらともなく思わず声に漏らした。
 少なくともアストラルが覚えている限りでは、遊馬はペットというものを飼っていなかったはずだ。特に問い質す必要もないので気にも留めていなかったが、それではこの毛玉の説明がつかない。アストラルが見下ろした先、遊馬のハンモックから落下したとみえるその毛のかたまりは、もぞもぞとうごめいて頭、らしい場所を抱えているように見えた。

「なに、なにこれ、なんなのこれ」
「私が訊きたい」
「いやお前が来てからなんかもう怪奇現象とかなんでもばっちこいみたいな感じだったけどさ、俺もこれはわかんねーよ?なんなの?なんで朝から動く毛玉が降ってくるんだよ?」
「私が訊きたい」

 堂々巡りだった。最早問答は出来ぬと悟ったらしい遊馬が、ハンモックに揺すぶられながら溜め息をつく。澄んだ冬の朝の空気にはあまりに重すぎた溜め息に、アストラルがちいさく片眉を吊り上げた。朝の爽やかさなどとうの昔に消えている。遊馬はがしがしと寝癖のついた頭を掻いて、また面倒臭そうに床を見下ろした。と、そこで動きを止める。ようやくはっきりとしてきた視界に入った毛玉。それになんとなく、なんとなくだが、見覚えがあるような気がした。

「…ん?」

 おそるおそる床板に足を下ろして、遊馬はそれをおっかなびっくりつまみ上げてみる。はっきりとは分からないが、漠然とこんなものを見た覚えがあった。しかしどこだったか。まず間違いなく日常生活の、しかも朝ではなかったことだけは確かだ。加えて言うなら、触ったこともないのも。けれど見たことはある。わけがわからずに首を捻りつつ、ころんとそれを床に転がしてみた。むにゅん。柔らかい。動く。とらあ!抗議らしい鋭い鳴き声が上がって、遊馬は思わず口角を戦慄かせた。もう思い当たるものはひとつしかない。

「……おいアストラル、これって」
「…奇遇だな、私もちょうど心当たりが出来たところだ」
「気のせいじゃないよな」
「君も鳴き声を聞いただろう、おそらく私と君が考えているものは同じだと思うが」

 先程から表情ひとつ変えないままそう言い切ったアストラルは、続けて、ベビートラゴン、と優しい声色で毛玉に向けて語りかけた。ぴくん。毛玉から三角のもふもふしたものが飛び出して、ふるふると揺れる。のっそりと毛玉が伸びて、むくりと先のほうが持ちあがって。くるくるとしたおおきな獣の瞳が覗いて、遊馬と、宙にふわりと浮くアストラルとを不安そうに見上げている。ここまでくればもう遊馬だって間違いようがなかった。

「べ、ベビー、トラゴン……」

 遊馬の途切れがちな声にもしっかりと反応した可愛らしい三角の耳が、ぴく、と動いた。不思議そうに瞬く目がふたりを交互に見て、それから、ぱあ、と背景に文字が見えるくらいにはっきりと表情を明るくさせる。嬉しそうな鳴き声はやはり遊馬がデュエル中に何度も聞いたことのあるもので、やっぱり夢か、と抓ってみた頬はひりひりと痛んだ。うそだろ。モンスターが実体化してやがる、とぶるぶると震えそうな声で言った遊馬はひどく混乱しているらしかった。しかしそんなことにはお構いなしに、その毛玉、もといベビートラゴンは、とらあ!とひと声高く鳴いて、彼に跳びかかる。うわあ、となんともぼんやりとした、間の抜けた悲鳴があがった。

「うわ、なんだよやめろって、の、く、くすぐったい!」

 滅多にしないような変な笑い声をあげながら、遊馬はすり寄るベビートラゴンから逃れるように身を捩る。しかしベビートラゴンはやはりとらあ、とらあ、と可愛らしく鳴きながらもふもふの身体をぎゅうぎゅうと押しつけてくるものだから、遊馬も引きはがそうとするのを躊躇った。あまりにかわいい。そして気持ちがいい。触ったこともないような暖かいふかふかのぬいぐるみ、と言えばちょうどいいだろうか。湯たんぽ代わりにずっと抱きしめていたい、と頬をすりよせて「あったかいなあおまえ!」と幸せそうに遊馬が言う。ベビートラゴンも嬉しいのか、すっかり慣れたペットのように遊馬の柔い頬にふかふかの頭をすりよせた。

「おー……柔らかーい……」
「遊馬、遊馬、」

 それまでじっと眺めているだけだったアストラルがすいと床まで降りてきて、口を挟んだ。遊馬もベビートラゴンも揃ってひょいと顔を挙げる。アストラルは至極真面目な顔をして、真っ白な腕を彼のほうへ伸ばしてみせた。

「私にも触らせてくれないか」
「お?おお!いいぜ!ほい」

 猫を抱き上げるようにベビートラゴンを持ちあげて、そっとアストラルの腕に渡す。触れるかどうか自信がないらしいアストラルの腕が、ぶらぶらと宙に揺れていたちいさな後ろ脚に、ゆっくりと近づいていく。真っ白な指先が恐る恐るちいさなモンスターに触れようとするのを、遊馬は固唾を呑んで見守っている。触れるか触れないかのところで一瞬止まった手は、その次の瞬間には、ベビートラゴンの重すぎない重量をしっかりと捕らえていた。

「触れた…」

 なんとなく嬉しそうだ。そういえばこいつあんまりこっちのもんに触ろうとしねえもんな、触れないし。遊馬はひとりそう納得して、彼から心地良いぬくもりを見事に掻っ攫っていったアストラルを見上げた。本当に、嬉しそうだ。ベビートラゴンも構って貰えて喜んでいるようで、柔らかく笑うような鳴き声が遊馬の耳をくすぐってくる。きゃあきゃあと戯れる一人と、一匹。遊馬はぼんやりとそれを見つめ、しばらく逡巡した末にふとアストラルのほうに手を伸ばした。もしかしたら今なら触れるかもしれない、そんな淡い期待をこめて伸ばした腕はやはり、虚しく彼の白い身体をすり抜けていった。

「どうした、遊馬」
「べつに」

 ベビートラゴンも、急に静かになった遊馬を不思議そうにくるくるとよく動く赤い瞳に映している。真っ赤な目に映った自分は拗ねて床に座り込んでいるように見えて、それが余計に遊馬のもやもやとした気持ちを増長させた。

「別に、なんでもねえよ!」

 目を逸らして言うと、自分でも意図せずに語尾が投げやりになってしまって、ああ、と溜め息をつきたくなった。ふわりと浮かんだままのアストラルはきっと苦笑しているか、不思議そうに首を傾げていることだろう。ちいさなちいさなドラゴン族モンスターをひどく羨ましく思っただなんて言えるわけがない。口が裂けても言うもんか。なんだかますます苛々としたわけのわからない気持ちになってきて、遊馬は自分が惨めなもののように思い始めた。「遊馬」後ろでアストラルの呼ぶ声がする。頭に何かが乗る。あたたかい、何か。

「そんなに気を悪くしないでくれ、遊馬」

 君は笑っていたほうがいい。アストラルがそう言っているあいだ、ベビートラゴンは珍しく静かに押し黙っている。頭に乗せられたベビートラゴンのぬくもりがもしかしたらアストラルのてのひらかもしれない。そう錯覚してしまいそうだった。少なくとも、そうであったらどんなに良いかと思うのは、間違いなく本心である。自分はもしかしたらとても重症なのではないかと、遊馬はこの名前のつけられないぼんやりとした感情を押しこめるように彼を振り仰いで笑ってみせた。



触れたら終わり



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miyuさま、リクありがとうございました!



(14.01.10)

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