■夏×ファーストキス(赤葦編)
金曜深夜のコンビニに、その人はいる。
「三日月さん。」
アルコール類、と書かれた棚の前で声をかけると、振り返った後ろ姿。
「あー、お疲れぇ。」
頬が紅い。
今日も結構飲んでるな、なんてこっそりと眉を顰める。
「まだ飲むんですか。」
「うん、ちょっとだけね。」
言いながら手を伸ばしたロング缶。
三日月さんの「ちょっとだけ」は、どうやら缶チューハイ1本らしい。
「ずっとワインだったし、お口直し的な?」
「甘い物が飲みたいなー」などと軽い口調で言いながらそれを手に取ると、三日月さんはレジに向かった。
ドレープの効いた薄手のカットソーは白。
黒のタイトスカートにジャケットを手にした後ろ姿に「接待帰りかな」と思い及ぶ程度には───俺は、この人を知っている。
「赤葦くんは?何か買わないの?」
レジ袋を下げた三日月さんが俺を見た。
「ええ、特には。そこで三日月さんを見かけただけなので。」
「ふぅん。」
俺と三日月さんの関係は、一言で言ってしまえば極めてシンプルなものになる。
「マンションの隣人」、それだけだ。
俺の住むマンションの隣の部屋に越してきた三日月さんから挨拶の洋菓子を受け取ったのは、ちょうど1年前。
1つ年上、仕事は大手企業の営業職、華の独身OL……というよりは見事な独身貴族の生活ぶり。
最初は挨拶だけだった。
何がきっかけで、互いのことを話すようになったのかは覚えていない。
友達よりも同僚よりもきっと遠い、一番近くで暮らしているのに。
その距離感がもどかしく感じているのは───果たして俺だけだろうか。
サクサク、とコンビニ袋の音だけを聞いて、夜道を歩く。
三日月さんの少し後ろで、その細い背中を見つめた。
綺麗な人だと思う。
綺麗で、賑やかで、時々皮肉屋なひと。
多分、ただの隣人でいるには───俺は、この人を知りすぎている。
「三日月さん。」
一人が得意なクセに、寂しがり屋。
仕事人間のクセに、仕事が嫌い。
モテないのはイヤなのに、男に好かれるのは怖い。
たくさんの矛盾でできたこの人から、俺は目を逸らすことができない。
だから、追いかけて、そっと近づいて、今みたいに寄り添って。
「ん──?」
電灯に照らされた三日月さんの白い肌に、思わず喉が鳴った。
「俺が止めてほしいって言ったら、もしかして止めてくれますか?」
自惚れだろうか。
こうして出会う夜の偶然が、本当は偶然でないことを三日月さんも願っているんじゃないかって、そう思うのは俺の自惚れなのか。
緊張に汗ばんだ手を握る俺の視界で、三日月さんが笑った。
「お酒?止めないよ、仕事だもん。」
「缶チューハイは仕事じゃないでしょう」、という言葉は言わずに呑み込んだ。
「違います。」
これは否定じゃない。
だったら肯定じゃないかと自分で背中を押して、
「一人で、」
伸ばした手。
掴んだ二の腕の細さに、ドキリとなった。
「一人でそうやって飲んで、それで泣いたりするの───止めてほしいって言ったら、やめてくれますか?」
滅茶苦茶ドキドキした。
まるでガキみたいに、ドキドキした。
取り繕った“いつもの顔”が端から崩れてしまいそうで、緊張した。
だけど、
「……そうだね。」
「三日月さん、」
「私も、止めたいって思ってたから。」
そう言って口唇を歪めた三日月さんの瞳から溢れる涙を、指先で掬い取る。
「泣かないでって言ったでしょう。」
「でも、今のは赤葦くんが悪いよ。」
「俺のせいですか。」
濡れた感触は、夏の空気に消えて。
抱き締めた背中。
「じゃあ、こういうのはどうですか?」
夏の暑さよりももっと熱い抱擁と───キス。
「ゆいが好きだ。」
初めて触れた口唇は、甘いアルコールの馨り。
だけど、もっと酔わされたっていい。
俺はとっくに、
あなたに夢中なんだから。
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