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■もう一度、碧い夢を見る

あー、重い。
足が重い。
夏の暑さがずっしり全身にのし掛かる。

アルコールのまわった身体が一層それを強くしていた。

(タクシーで帰れば良かった……。)
そう思っても、今は駅の地下道。
今更階段を昇って地上に出るのも億劫すぎる。

仕方なしに地下鉄のホームへと向かいながら───気が付けばバッグの中に手が伸びていた。
悪いクセだと思う。
だけど、気になってしまうのだからどうしようもない。

(……わかってたのに。)
ラインのメッセージも電話の着信も、ない。
絶賛お別れに向けて猛進中、な私と彼氏。
もう未来なんてないってわかっているのに、それでも連絡を待つのを諦めきれない。

飽きられたのだと自覚はある。
冷められていると感じている。
冷たい態度、仕草、視線も合わない。
───ズバリ、終わっている。

きっと新しく気になる子ができたんだと、女の勘がそれを察して、そのクセして「おやすみ」なんてラインを送ってみる自分が情けない。
恋愛ってやっぱり、好きになった方の負け……なのかな。

別れの言葉さえ言ってくれない男。
そんなズルイ男の未練に縋って、寂しさを誤魔化すために同僚と深酒。
平日夜だっていうのに、本当にバカみたいだ。

いい加減ウツな気分になって、何のメッセージも返ってこない携帯電話をバッグへと戻そうとした。


「あッ……!」

「あっと、スミマセン!」
正面から歩いて来た身体にぶつかった腕が空を切って、カシャンと携帯が地面に落ちた。

「うわ!すみません、携帯……!」

「あ、いや……コレ、私が悪いんでホント、大丈夫……です。」
酔っぱらいの歩きスマホなんて怒られたって文句言えないよ、と慌てて地面に手を伸ばして───だけど、その手が直前で止まる。

「壊れてない、かな?確かめてもらえますか?」
私の携帯を拾い上げたその人の顔から、視線が逸らせない。

「あの、」
だって、その人は……

「大丈夫、ですか?」
どうかしました?と心配顔の男の人。
その顔は───ずっと昔から変わらない。


「大丈夫……、澤村くん。」

「えッ……!」

「澤村くん、だよね?」

「え、あ……そう、ですけど、ええと……。」
変わらないなぁ、ちっとも。
意志の強そうな眉、まっすぐに向けられた視線、迷いのない澄んだ眼差し。
澤村くんは変わらないのに、私の方は───まるでわからない?
それがなんだか可笑しかった。

「もしかして……三日月?!」

「うん。」
ようやく思い当たったらしい彼に頷けば、

「マジか!三日月!本当に、ああ……確かにそうだよな!一瞬わかんなかったよ!」
そう言って笑う顔までが、あの頃のままで。

「ビックリ、した。」

「うん、ビックリだよな。」
情けない気持ちでいっぱいだった心さえ、その人の笑顔がまっさらに描き替えてしまう。
眩しい、澤村くんの───笑顔。


好きだったな。
ひどく懐かしく感じるくらい、あの頃はもう遠い。
烏野の青空、畑の中の帰り道、教室の隅で……いつも視線で追いかけた、大きな背中。

3年間の片想い。
だけど、結局言えなかった。
「友達」の距離は意外に遠くて、たった一歩を踏み出す勇気が持てなかった。

その澤村くんに会った。
ボロボロで歩いた東京のコンコースで。

「ホント、なんかまんま。」

「え、俺?」

「うん、変わらない。」
そう言ったら、

「そんなことないだろー、ちょっとは大人らしくだな!なったろ?サラリーマンだぞー。」
なんて、だからそういうトコが変わらないんだって!ってホント思うよ。

眩しくて、目を細めた。
いつまでも変わらない、まっすぐなその人に。


「三日月はちょっと……変わったかもな。」

「そう?でも、わかんなかったんだもんね、そうかな。」

「そう言うなよ。」
きっと、澤村くんの言う通り。
私は───変わった。

今一つ弾け切らなかった高校時代。
オシャレしてみたくて、だけど勇気が足りなくて。
地味でも派手でもなくて、いつも無難だった私。

今は?

「なんていうか、すごく……東京の人っていうか。」
そう言った澤村くんに、思わず苦笑い。

背伸びしてオシャレした大学時代。
珍しさも手伝って、それはよく遊んだ。
就職してからは、仕事だって必死にやった。
泣いたり、めげそうだったり、だけど歯を食いしばって頑張った、私なりに。

だけど、見てよ。
こんなボロボロ。
彼氏にフラれそうなクセに、いざとなればフラれる勇気もなくて、仕事だって実際、最近はつまらないと思うことが多い。
───あの頃の純粋ささえ、遠くに忘れてきてしまった。

「そんなこと、ないでしょ。」
オシャレしてピンヒール、ネイルにマツエク。
ブランドバッグとアクセサリー。
見栄っ張りな私。
惨めだと思われないための予防線。

楽しく生きてますよ、ってせめてもの意地のつもり。
バカみたいだけど。


「そうか?俺はすごく、綺麗だと思うよ。」

「……ッ!」
澤村くんがそんなことを言うから、もう逃げ出したくなった。
綺麗なんかじゃない。
あの頃大事にしていたものは、きっともう残ってない。

「じゃ、またね。」

「あ、おい!またねって!」
連絡先もわからないのに、「またね」。
体のいい社交辞令で呼ぶ声を振り切った。

だってもうその場にいられない。
変わらない彼が眩しすぎて、澤村くんを好きだったあの頃が懐かしくて───泣きたい気分になる。

「三日月!連絡、する!」
どうやってすんのと背中に聞く声に独り言。
私の連絡先なんて、知らないクセに。


だけど、その晩───奇跡は起きた。
それは、過ぎた年月が起こした小さなサプライズ。
文明の利器は、10年前なら絶対に起こらない奇跡を起こしてみせた。

『また、会いたい。今度はちゃんと話そう。』
更新もせずに丸1年のSNSに届いたのは、一通のメッセージ。
こんなことが起きるなら、面倒なSNSだってきっと悪くない。


『そうだね。』
迷って、やっと返した一言はそれだけ。

懐かしくて、眩しくて、変わらないあの人に───また惹かれた。


こんなのって、やっぱりマズイ。
だって、澤村くんは私には眩しすぎる。

あの瞳に見つめられたら、きっと……それでも、いいの?
澤村くんは、いいの?
ねぇ、だって───


(また、好きになってもいいの?)


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