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■透明な媚薬 2

約束の日の2日前、大地からメールが届いた。

『急な出張で行けなくなった。店は予約してあるから、後は直接二人で連絡とってもらいたい。』
ってさ!マジかよ、大地!
つーか困る!!

メールには彼女のSNSの連絡先が記されていて、「本人に許可は取ってある」って添え書きしてあった。
そこにメッセージを送った時のドキドキは、大地の紹介を了承した時の比較じゃない。
だって、顔も見たことない女の子に会うなんて初めてだ。
こういうの、なんていうんだろう?合コンとも違うし、だけど紹介してくれた相手もお互いいなくて……ああ、ブラインドデート?確かそんな名前を聞いたことがあったななんてただただ俺は焦っていた。


焦って、だけど……結局やってきた金曜日、俺はもっと緊張することになった。
大地が予約してくれた店は、都心の高層階にあるバーレストラン。
会社の近くで行きつけなんだって大地は言ってたけど、正直戸惑った。

(大地、いつもこんなトコ来てんのか。)
薄暗い店内、黒っぽい服を着た女性に案内されたフロアに、ピアノの生演奏と外国人歌手のボリュームある歌声が響く。
仕事帰りらしいスーツ姿のサラリーマンがグラスを傾ける様子は、大地と俺が普段通っている居酒屋とはまるで違う。
コットンシャツにジャケットを羽織ってきてはいるけど、もしかして俺って場違いだったりしないかなってすごく不安になる。

それに、

「お連れ様がお見えです。」

案内されたテーブル、肘をついて窓の外を眺めていた女性が顔を上げた。

「あ……っと、澤村くんの?」

「あ、うん。菅原、です。」
心臓が跳ね上がった気がした。
椅子を引かれて腰かける間も、視線が彼女から逸らせない。

長い睫毛、薄暗闇に浮かんだ白い頬。
大人びたメイクがその場の雰囲気によく馴染んでいた。

「えっと、」

「あッ、ごめん……!」
「飲み物、頼もうか」って俺は慌ててメニューに視線を落とす。
まだ心臓がドキドキしていた。

(……これって反則だろ、大地。)

「スガしか思いつかなかった」なんて、嘘に決まってる。
そう思えて仕方ない。

だって、ひと目見ればわかる。
彼女と俺は───まるでちぐはぐなピース。
洗練された雰囲気に溶け込む彼女と戸惑いと緊張だらけの俺、メニューの端から覗き見た彼女の細い指先が余計にそれを意識させた。

白い指先を彩る爪にはキレイに色が塗られていて、小さな石やラメで装飾が施されている。
指輪なんかはしてなかったけど、十分に魅力的な手先だった。


「す、がわら……さん?」

「え、あ!ええと、ゴメン。どうしよっか、何飲む?」
顔の熱が上がるのがわかった。

「ふふ。」
だけど、彼女はそんな俺に微笑んで、

「えーと、じゃあとりあえずのビール、かな?」
首を傾げてそう言った。

これは……ますます反則だよ、大地!


彼女は「高級品」だ。
そんなの、俺にだって十分わかる。

大地は、彼女は会社の同期だって言ってた。
『仕事は男勝りだし、酒も強くて話も面白いヤツなんだけどさ、出会いがないんだと。』
大地の言葉が脳裏に浮かぶ。
そんなの絶対嘘だって思った。

だって、彼女は綺麗だし、どんなに立派な男の隣だってきっと似合う「高嶺の花」。
澄まして見える顔が笑顔で崩れる様がまた魅力的で、男心を煽った。


見慣れない指輪を嵌めた「あの子」の指先。
何の飾り気もない丸く削った爪と、どこか誇らしげに飾られた不似合いな貴金属。
あの指輪がきっかけで、俺がフラれたんだよな。
───なんて、少し前まで俺の彼女「だった」女の子の指先がなぜかぼんやりと思い出された。

駅ビルで食事して、ウインドウショッピング。
一人暮らしだからお金がないんだと事務員をしていた「彼女」はよく言っていた。
デート代を負担するのは別に嫌じゃなかったし、誕生日だからって強請られれば奮発してプレゼントを贈った。
お礼にって作ってくれた手料理が嬉しかった。


だけど、目の前の彼女の存在に、そのすべてが覆されていく気がした。
胸元を彩る控えめなネックレス、腕に嵌めた時計は使い慣れた様子がわかるブランドもの。
モノトーンのワンピースも肩に羽織る大人びたジャケットもよく似合っていて、テーブル脇に置かれたバッグは見るからに高級そうだった。

『面白いヤツなんだけどさ』なんて───この子のこと、大地はそんな風に言えちゃうんだ。

大地に言われてホイホイ出て来ちゃったけどさ、よく考えたら当たり前のことだ。
同期ってことは、大地と同じように海外とかで仕事して、同じくらいの収入があって……それってつまり俺よりずっと稼いでるってこと。
俺と彼女は───それだけじゃない、俺と大地もきっと……別世界の住人。

俺の見ていた世界と大地が住んでいる世界、その差を見せつけられた気がして、なんだか急に劣等感に嘖まれる。
大都会の夜景を見下ろす店でお酒を飲んで、垢抜けた彼女と気の利いた会話、ドラマか雑誌の世界みたいな大地の生活。
気にするなんて格好悪いとわかっているけど、いつの間にか随分と遠くなってしまっていた大地と自分の距離を突きつけられた気がして、俺はつい黙り込んだ。

「……あの、」

「え!あ……スミマセン、っとごめん!」
余程難しい顔をしていたのか、心配そうに俺を覗き込んだ彼女と視線がぶつかった。

「ごめん……!」
もう一度慌てて言うけど、彼女はどこか困ったような顔をして、

「なんか……私の方こそ、ゴメンナサイ。」

「えっ。」

「もしかして、ガッカリ……しちゃったとか、だよね?」
ピンク色の口唇がそう呟いた。

「え、違ッ……!」
言いかけたところで注文したグラスが届いた。
そのグラスを手にしながら彼女は息を吸い込んで、

「澤村くんが“絶対おまえに合うよ”なんて言うから!もーごめんね、私なんか全然ダメに決まってるじゃんね。とりあえず飲もう、巻き込んじゃってごめんだけど、私フラれるの慣れてるから気にしないで!」
ひと息にそうまくし立てた。

「おつかれー!乾杯っ!」
強引に合わせたグラスがカチンと小さな音を立てた。


「あー、仕事終わりの一杯っておいしー!」
グラスの半分を一気に飲み干して、彼女が言う。

「ね、適当に飲んで帰ろう。なんなら奢るし、ていうか後で澤村くんから徴収しとく!」
笑顔を見せて彼女は声を弾ませるけど、それがワザとだってことくらい俺もわかってる。
俺の態度に失望して、だけど気まずさを紛らわせようと笑ってくれる。

「ここねぇ、ピザがすごく美味しいんだよね。注文しよっか?」
すごくいい子なんだなって思って、その分申し訳なくて、多分傷つけちゃったけどそれって誤解なんだよってちゃんと言わなきゃとすごく思った。

「あのさ!」
グラスを手にしたままで言った俺に、彼女がメニューを捲る手を止める。
その顔から笑顔が消えて、また不安そうに見つめる眼差し。

「その、違うから。」

「え?」

「ガッカリしたとか、そういんじゃなくて。ていうか逆、だから!」
カァ、と頬に血が集まってく気がした。

「ぎゃ、く?」

「だって、君ってすごくキレイだし……モテそうだなっていうか、垢抜けてるっていうか、俺なんかじゃ、さ、釣り合わないよなー……みたいな。」
アハハと今度は俺が笑う番。
だってこんな情けないセリフ、実際笑うしかない。

だけど、

「ぷっ!」
劣等感丸出しの俺のセリフに彼女は吹き出すみたいに笑って、

「ヤダな、そんなワケないじゃん!」
目を細めてそう言った。


「そんなワケないよ、私……。」
何か言いかけて、

「だけど、優しいんだね。本当……澤村くんの言う通り。」
俺を見て微笑んだ。

マズイ、と思ったのはその時だ。
「私なんか」って、「フラれるの慣れてる」って、彼女がなんでそんなことを言ったのかわからない。
だけど、それはきっとあの不安そうな瞳に理由があって……あろうことか、俺は───それを「知りたい」なんて思ってしまっている。

「真面目で優しくて寛容で、懐の深い───俺の一番の親友だって、澤村くんが言ってた。本当だね。」


三日月さんと俺、大地は「合う」って言うけど本当だろうか?
だって、彼女は俺の今まで付き合ってきた女の子とは全然違う。
テレビドラマのキャリアウーマンみたいにピシッとしてて格好よくて、それにすごくキレイだ。
身につけてるものにも仕草にも全部余裕があって、大人の女って雰囲気はやっぱり少し緊張する。


だけど、

「でね、ありえないでしょ!その人が秋田出身だって言ったら“じぇじぇじぇって言うんですか”とかさ、逆だから!日本海側だし!しかも古い!みたいな。」
日頃の出来事をおもしろ可笑しく話す彼女の顔は最初見た時とは全然違って、くしゃりと顔を歪めて笑う様子が可愛らしかった。

「そっかー、数学の先生なんだ。すごいなぁ。」
俺の話も興味をもって聞いてくれて、それが嬉しい。

「私、高校1年の最初のテスト、数学が9点だったんだよね。」

「え、10点満点の?」

「なわけないじゃん!100点中9点!」

「えー、ウソだろ?」

「って先生にも言われた。どうやって高校受かったんだよ、とか。」
大地の言った通り彼女は結構お酒に強くて、その日は二人とも結構な量を飲んだ。


「えーと、」
テーブルに置かれたお会計の金額は一人1万円ちょっとで、内心「うわ」と思った。

「俺、払うよ!」
彼女が財布から取り出したお札を置く前に、伝票を取り上げた。

「あー、でも……。」
少しだけ紅く染まった顔を傾けて彼女が迷う仕草を見せる。
「大地に請求する」なんて彼女は言っていたけど、そんな風にはされたくない。
彼女からお金を受け取ってそれで終わり、みたいになるのは絶対に嫌だって思っていた。


「その代わりさ、いや代わりとか押しつけがましいこと言うつもりないんだけど、えっと……!」
言っちゃってもいいよな。
だって、大地「合う」って言ったじゃん。
楽しいって思ったの、本気で受け取っていいんだよな。


「また、会いたい。会ってくれる?」

「うん」と言って笑ってくれた彼女に心が舞い上がる。
それが、三日月さんと俺の出会い。


そして───甘くて苦しい時間の始まり。
彼女を紹介してくれた大地が内心に抱えていた気持ちを……俺はいずれ知ることになる。

だけど、その夜は……嬉しくて楽しくて、明日がすごく楽しみな、そんな時間。
ふわふわと浮かれた気分だけに包まれたまま、俺はただ期待に胸を膨らませていた。


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