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□とるに足らないあまたのこと 3

カシャ、

スマホのカメラで学生証を撮影する私に、呆れた様子で彼は言った。

「警戒しすぎじゃない?」

「するでしょ、普通。」

「そう?」
勝手な理屈で勝手に我が家に上がり込んで、なおも気ままに振る舞う彼に疲労を感じずにはいられない。

「もし私が変死したとして、クラウドを調べればこの写真が証拠に……。」

「ッはは、そんなわけないじゃん。」
可笑しそうに笑いながらジャケットを脱いで、「ねえ、ここに置いていい?」なんて尋ねる様子がなんとなく育ちがよく見えて、彼のイメージを作ろうとする私を混乱させた。


赤信号を加速して通過したバイクから私を救ってくれたのが彼であるということは、まあ概ね事実だと言える。

だけど、その見返りとして「今晩泊めて」などと言い出したのだからあのバイクと同じくらい危険な存在なんじゃないかと私は思う。


「それで、彼女の家ってどこなの。ここから近いんでしょ。」

「坂のぼって奥のほう。結構歩いたから、10分くらいかな。」
この近くの大学に通っているという彼──角名倫太郎いわく、今日は同じ大学に通う彼女の家に泊まるはずだったのだという。

「彼女じゃなくて、もう元カノだけど。」
事もなげにそう言って、「手、洗ってくるから洗面所貸して」などと言いながら元来た廊下を引き返して行く。

大学2年生、ハタチ。
それは、学生証で確認した。

喧嘩の末に別れ話、大学生の時って確かにそういうことあったよなあなんて一応は思う。
だからって、「スマホも財布も置いてきちゃったから泊めてよ」なんて行く道で会った相手に頼もうという発想は私にはまったく理解できないけど。

『だって、命の恩人でしょ。』

散々に揉めはしたけど、そう言われるとつい言葉に詰まる。
あとは多分──どうかしてたんだと思う、人生に落ち込みすぎて冷静な判断ができなくなっちゃってたのかも、そういうことにしておく。

「コンビニにいるしかないかなあって思ったから助かったよ。」
洗面所から戻ってきた彼に「座れば?」と促せば、「ありがとう」なんてまた礼儀正しい返事──相変わらず敬語はないんだけどね。

「コーヒー、紅茶、緑茶、それか炭酸水もあるけど。」

「うわ、大人の家ってすごいね。」
「じゃあ炭酸水」と答えた彼にペットボトルを渡すとそれを受け取った彼は、勢いよく喉を鳴らしてそれを飲み下した。

「めっちゃ喉渇いてた。」

「ああ、そう。」
家に泊めてくれなんて突拍子もない申し出の後だけに、まるで友だちの家に上がり込んだかのような「ごく普通」の態度にはなんだか少し拍子抜けしてしまう。
いや、本当に学生証の写真が役に立つようなことになっても困るんだけどさ。

「明日、私7時半には出るよ。」

「俺も朝練あるから。」

「ふうん。」
どうやら「寮暮らし」というのは、本当らしい。
大学のバレーボール部に所属していてそこの寮に入っているけど、門限を過ぎているから戻れないのだと「泊めて」と言った後で彼は説明した。

「外泊とかはいいわけ。」

「そりゃあいいでしょ、大学生なんだし。」

「そういうもの?」

「まあ、学校によるのかもだけど、堅苦しいのは好きじゃないから。」
「今どきそこまでスポ根なんてやってられないよね」と彼は言うけど、朝練なんていうくらいだから結構マジメにやってるんじゃないかなと思ったのは、どうやら挨拶はきちんとしているらしい彼を見たからでもある。

「……仲直り、できるといいね。」
なんとなく、そう言っていた。
深い考えがあったわけじゃない、だけど喧嘩別れをしたんだという彼になんとなくそんな言葉をかけた。

けれど、

「しないよ、そんなの。」

「え、」
酷薄な笑顔を浮かべた彼に、少しばかりゾクリとなる。

「別れようって言われたんだよ、俺。」

「そうかもだけど。」
だけど、そんな簡単に終われるものなの。
大学生の恋愛ってそんな感じだっけ?

思わず眉を寄せた私に、彼は言った。

「そういう言葉、簡単に言える女は好きじゃない。だから、嫌いになっちゃったんだよね。」

すごくシンプルで、至極当たり前の言葉だったかもしれない。
だけど、その言葉が──私の胸を抉った。

「……そうだね。」

「もう好きじゃない」、「別れよう」、「話しても無駄」、全部付き合っていた恋人に言われた言葉。
「簡単に言わないでよ」って、私も思った。

ねえ、結婚するって決めたんだよ?ウェディングドレスだって着ちゃったし、ご祝儀だってもらっちゃったじゃん!そういうの全部、どうするのって。
ちゃんと説明して、ちゃんと謝って、ちゃんと私と向き合ってよ!って。

だけど言えなくて、どうやったって変わらない答えを「ちゃんとちゃんと」って混ぜ返そうとする自分が大人じゃないみたいに思えて言えなくて──言えない分だけ、一人で泣いた。


「本当、そうだね。」

つぶやくように繰り返した私に、彼は何も言わなかった。
言わない代わりに私の目をじっと見つめて、

「だけど、むかつくことばっかりじゃないね。」
今度は、小さく笑った。

「なに?」

「ううん、なんでもない。ソファー借りていいの。」
小さく欠伸をしてから、彼はそう言って膝の上に置いていた腕をぐっと伸ばした。


「うん、どうぞ。私はお風呂入って寝るから、テキトーにそこ使って。」

「えー、覗いちゃおうかな。」

「バカなこと言わないの。」

「わりと本気だけど。」

くすくすと笑い合って、それから告げた「おやすみ」。


日常を抜け出した今日の終わりに待っていた、一番の非日常。

明日から何かが変わるかもしれないし、やっぱり何も変わらないかもしれない。
それでも少し前を向こうと思った。

今すぐにじゃなくても、変わろうと思った。
自分を信じられるように、信じたものを大事にできるように、強くなりたい。

想定外の侵入者が教えてくれたのは、忘れかけていた私のこころ。


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