■恋の果実 5
「キス、してもいいかな?」
衝撃的な一言だった。
だってそうだろ?
好きな女の子に告白して、やっぱりダメかもって思った瞬間さ、「キスして」なんて言われて驚かない男はいないはずだ。
ゆいの一言はそれくらい刺激的で、だけど俺たちの大切な思い出になった。
それはつまり、俺がゆいの「試験」に合格したってことだ。
よろしく、なんて見つめ合った後、小さな声でゆいが教えてくれたこと。
「あたしね、その……なんていうか、男の人とちゃんと付き合ったことないっていうか、ええとね、あの……。」
何度も言いよどんで、言葉を探して、
「……処女だって言ったら、引く?」
そう告げたゆいに、胸の動悸がイッキに増した。
ホント、ゆいって心臓に悪いよな。
はっきり言って、めちゃくちゃドキドキした。
ゆいはどちらかというと大人っぽいタイプだったし、「元カレ」っぽい話も聞いたことがあったから、まさか「ハジメテ」だなんて思っていなかった。
派手目の女の子のグループにいたから余計、「元カレと比べられたらどうしよう」なんて情けないことも思ったりしたことがある。
それがさ、ビックリだろ。
何より───すげーうれしかった。
「引くワケないよ!むしろ嬉しいじゃん!」って言った俺は、きっと真っ赤だったんじゃないかって思う。
だけど、ゆいも同じくらい赤くなっていて、「よかった」なんて笑うからますます照れた。
だけど、実際俺がゆいの「ハジメテ」を貰うには、それから少しばかりの時間を要した。
手をつないで、キスをして、二人でたくさんの場所に出かけて、記念日をつくってお祝いした。
そんな風に毎日を重ねて、何回目のキスだったか───それももうわからなくなった頃、俺の方から言ったんだ。
「今度さ、ウチ来る?」
って、何の捻りもないベタなセリフ。
一人暮らしの部屋にカノジョを呼ぶ。
そんな普通のことだけど、ゆいが相手だとそれだけで何倍も楽しみだった。
「あ、じゃあゴハンとかつくろっか。」
少しだけ照れた様子で、だけど嬉しそうに笑ったゆいに心が弾む。
「ヤダ」って言われたらちょっとヘコむけど、だけど待てるって思ってた。
大事にしたいじゃん、当たり前。
だけど、ゆいは当たり前みたいに頷いて、「それってOKってことだよな?」とか「そんなつもりじゃないとかだったらどうすべ」とかそんな俺の心の内なんて知らないって顔で笑った。
ゆいと一緒にいると、俺のテンションは今までよりも2割くらい上昇する気がする、うん多分。
約束したその日は、バレーサークルの練習の日だった。
大学の体育館での練習が終わる頃、ゆいが顔を見せた。
「もう終わるから待ってて。」
駆け足で走り寄って告げれば、頷いてゆいが手を振る。
それだけで、最後のトス練習も気合いが入った。
帰り道、
「ゆいはサークルとかやんないの?」
二人並んで駅までの道を歩く。
指を絡めて歩くのももう慣れた頃だった。
「うーん、今更かなって思うし。でも、バレー楽しそうだね。」
付き合いはじめの頃は見に来ることのなかった練習も、最近は時々覗きに来てくれる。
それがいかにもカップルっぽくて、俺は気に入っていた。
「だべ?ゆいも一緒にやる?」
一緒にバレー出来たら楽しそうだなって思って言ったけど、ゆいは首を振って、
「え、あはは……いいよ、あたしやったことないもん、バレー。」
少しだけ逸らした眼差し。
この時の俺は───それを深く考えようとは思わなかった。
「ウチのサークル、初めてのヤツも多いよ。それに俺、教えるのって結構得意だしさ。」
「そういえば、バイトも塾講だもんね。」
結局、ゆいはサークルに入りたいとは言わなかった。
バレーボール、それがゆいの心を乱す単語かもしれないなんて考えてもみなかった。
ゆいと───「アイツ」を繋ぐ言葉だなんて、思ってなかった。
その晩、俺はゆいとセックスをした。
俺の家に来たゆいは「そんなつもりじゃなかった」なんてことは全然なくて、夕飯をつくってDVDを見て、それで終電を過ぎても帰りたいとは言わなかったし……抱き寄せた俺の腕を受け入れてくれた。
何度も繰り返してきたキスも、その晩のものは特別な出来事になった。
確かめるように幾度も口付けて、浅いキス、深いキスを交わし合う。
大切な何かを交換するみたいに。
ゆいの着ていたシフォン素材の服の下に手を差し入れた時はさすがに緊張したけど、
「大丈夫?」
と聞いた俺に、
「菅原くんなら平気。」
って……すごい殺し文句、脳天沸騰しそう。
だけど、大事に。
「大丈夫。俺、教えるの得意って言ったべ?」
大事に大事に、ゆいを傷つけないように、壊さないように、優しく抱いた。
女の子と付き合うのもセックスするのだって初めてじゃないし、バージンの子と付き合ったこともある。
けど、ゆいとのそれは───今までのどんな経験よりも嬉しくて、幸せで、忘れられない時間になった。
「す、がわらく……ッ!あ、あ……!」
俺の手で、指で、ゆいが声を弾ませるのが堪らない。
「ゆい、ゆい……ッ!あ……きもち、い……ゆい……!」
いつの間にか余裕がなくなって夢中で先を追う俺をそれでもゆいは受け止めてくれて、
「あッ……!菅原く、ん……!」
ぎゅうと絡みつく腕がたまらなく嬉しかった。
それから、俺たちはお互いの家を何度も往復して、それこそ正真正銘の順調な関係を築いていった。
眩しい毎日、弾むような時間。
それが、あの日をきっかけに……まったく違った方向に進むことになるなんて。
信じられない、今だって信じたくない。
だけど、
「春高予選、見に行かない?」
夏休みまっただ中、そう声をかけたのが始まりだった。
「去年も応援行ったんだけどさ、俺の後輩ももう3年だし今年が最後かなって思ってるんだ。」
影山や日向のことを話せばいつも笑って聞いてくれていたゆいを、宮城県予選に誘った。
二人で旅行というのは魅力的だったし、宮城ならお互いの思い出話もできる。
なんて、俺はちょっと単純だったと思う。
思えば、ゆいは高校生活のことはあまり話さなかったし、バレーボールのことは特に「聞いているだけ」ということが多かった。
そのことに気が付いたのは、
夏の体育館、観客席から身を乗り出して声援を送る途中で───あの男の姿を見つけた時だった。
「ゆいちゃん!」
俺がその名を呼ぶより早く、ゆいが顔を伏せるよりも早く、大きく響いた声。
「ゆいちゃん!ウソ、ゆいちゃん……どうして!」
県内最高と呼ばれたセッター。
俺と同じポジションで、だけど俺には絶対に敵わないその男───及川徹は、ゆいの元カレとして俺の前に現れた。
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