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□ありふれた人生を 2

年末の東京駅。
新幹線のホームは帰省先へと向かう乗客で混雑していた。

さりとて、俺も例外ではない。
手土産一つとボストンバッグ、周囲より幾分身軽な荷物ではあるものの、これから満員の新幹線で3時間の長旅だ。

指定席のチケットを片手に自分の席を探す。
当然ながらホームに負けじと車内も賑やかで、喧噪の中狭い通路を向かいから歩いてきた乗客とすれ違いながら進んだ。

見つけた番号と手元のチケットを確認する。
二人がけの通路側、その席の手前で──

つま先立ちになって荷物を棚に押し込む後ろ姿。

どこまで行くんか知らんけど、大荷物やな。
それが第一印象。

「わ、っと……!」
その後ろ姿がよろめいて、

「!」
だから、自然に手が伸びた。

コート姿の女の後ろから、棚から落ちそうになった荷物を押し込んで、

だけど、

「え、あ……わ!ありがとうございます……!」
振り返った視線が、俺を見上げて大きく見開かれた。

フチのある眼鏡にマスク、長い髪を束ねた顔はほとんどそれらに隠されてしまっている。
その眼鏡の向こうの瞳が瞬いて、


「治くん……!」

俺の名前を呼ぶ声。

誰やったっけ、それが第二印象。
けれど、どこか懐かしいような声音が記憶の糸を手繰らせる。

「スミマセン。」と背後を歩く乗客に声をかけられたことで、彼女は慌てて奥の席へと引っ込んで、もう一度チケットを確認した俺はその隣に腰掛けた。

「うわ、どうしよう。マスク取れない、ちゃんとメイクしてくれば良かった……!」
丸めたコートを膝に抱えて顔を伏せる。

その指先が前髪を撫でつける仕草、それを見た。

気まずさを誤魔化すみたいに髪を整えるその仕草を、俺は知っている。
知っていると思った。


「……三日月?」

ようやくマスクを外して、それから観念したように俺を見た眼差しは──遠い記憶の中にしまい込んでいたはずの心の痛みを俺に呼び起こさせた。

「ひ、久しぶり。」

「おん……。」
懐かしさと同時、チリリと胃の上部が抓られたような痛みを訴える。

ずっとずっと遠い記憶、とっくの昔話。
今更なんでやと自分の心の構造が恨めしい。

とっくに忘れたと思っていた。
なかったことにさえなっていたはず、たくさんの時間を重ねて、もう何年も何年も色んな記憶を重ねて、とっくに埋もれてしまったはずだと思っていたのに。

甦る記憶は切なくて、「恋だった」と気軽に言えるほどにはまだ乾いていない。
確かな湿度と温度が、その感情にはまだ──残っていた。


「侑」じゃなくて「治」。
同じ制服を着ることも同じユニフォームを着ることもなくなった今でさえ間違って呼ばれることの少なくない名前から、俺の名前をよどみなく選択した彼女。

三日月ゆいは、高校生だった昔に俺がフラれた相手だ。


冬が近づく校舎の屋上で、俺は三日月に自分の気持ちを告げた。
侑の元カノだって構わない、好きなもんは好きなんや、我慢なんてできへん、そういう思いがあったと思う。

決意するでもなく、逡巡の果てでもない、ほんの少しだけ日常の外側にはみ出した瞬間だったように記憶している。
「好きや」と告げた俺に、三日月は目を見開いて、

『授業、遅れちゃうよ……!』
確かそんな風に言ったはず。

それで──それっきり、答えが寄越されることはなかった。

三日月が屋上に現れることはなかったし、それは冬が終わって春が来ても、3年に上がってからも一緒だった。

だから、俺は知らない。
三日月が何を思ってあの屋上に通っていたのかも、イエスかノーの返事さえ俺に寄越さなかったわけも。


「治くんも帰りだよね?今、東京に住んでるの?」

「あ、うん。」

「そっか。だけど、びっくりだね。」

「………。」

「こんなことってあるんだって……なんかまだ、ドキドキしてる。」

なにがドキドキやって、ちょっとむっとした。
自分がしたことなんか忘れてしもたんか、俺がどういう気持ちになったとか考えたことなかったんかって。

「あ、ええと。」
それが三日月に伝わったのか、三日月は口を噤んで──一度外したマスクをまた着け直して黙り込んだ。

動き出した列車は、未だざわめきの中。
帰省ラッシュの賑やかさは年末という季節も相まって、どこか普段の雰囲気とは異なって感じられる。

ちらり、と隣の席の三日月を見た。
膝の上でコートを掴んだ指先が丸まっている。
それがもぞりと動いて暖を取るように擦りあわされると、綺麗に整えられた爪が見えた。

気まずさが支配する時間。
だけど、三日月だってそんなつもりじゃなかったはずだ。

久しぶりに帰る地元に思いをはせて、どこか開放的な気分になって、そうやってこの列車に乗ったはずだ。

なあ、どうして俺のこと避けたん?
まだ侑のこと、好きだった?
あんなこと言うて、迷惑やって思った?

聞きたいことは山ほどあって、だけど品川を過ぎて窓の外の景色が変わる頃には──今度は自分のしていることの子供っぽさが恥ずかしく思えてくる。


「爪、」

「え?」
昔話やと笑えない自分の未熟さを誤魔化すようにして、発した言葉。
はっとなったように三日月が顔を上げて、

「爪はちゃんとしとるのに、化粧はせえへんの?」

「ッ、」
マスクの下の頬が、紅く染まったのがわかる。

「だ、だからたまたまだってば……!いつもはちゃんとしてるんだからね?!」

「ッはは、信じられへん。」

「いや、本当だってば!」

それから二人、笑って話をした。
東京で会社員をしているという三日月のことや夏に同級生の結婚式で帰省した時のことを聞いて、俺も話をした。

三日月の声は昔と変わらず明るくて、いつしか自然に俺も笑えていた。
調子に乗って頼んだビールは、名古屋の手前で二本目になった。

あの頃の俺たちもこうやって色んな話をした。
三日月はいつも前髪を気にしていて、侑とのこともシツレン話も結局一度も口に出さなかった。

それを思い出しながら、気づいたことがある。

斜に構えたフリをして、本当は素直なほうやったと思う。
気丈な風に振る舞ってるくせに、内心は案外ジメジメしているのがなんとなく伝わってきて、そういうところが守ってやりたいなんて思わせた。

──三日月のそういう部分は、きっと今も変わってない。

笑いながら、茶化しながら、だけどそういう三日月は全部強がりだったりして。
だから、知りたいと思っていた。
三日月の本音を、知りたいと思った。

今も、知りたい。
あの日のことじゃなくて、今の三日月の本当の気持ちが知りたい。


『次は、新神戸。新神戸です。』

3時間と15分の旅は、気がつけばあっという間。
京都、大阪と乗り降りの続いた車内のざわめきがまた大きくなる。

何も聞かなければ、きっと永遠にこのままだ。
三日月とは駅で別れて、「またね」なんていうけど連絡先も知らない。

それでいいのかもしれない、きっとそれでいい。
そうすれば三日月はこれからも思い出のままで、前よりも少しわだかまりがなくなって、「そんなこともあったな」なんてたまに思い出す程度。

もう俺は高校生じゃないし、三日月だって同じだ。
お互いに恋愛も失恋もきっとたくさんしたし、お互いだけが相手じゃないってことくらい良くわかってる。

高校時代の思い出話、そんなものはいっくらだってそこら辺に転がってる。


それでも、
なんでやろ、それでも──もう一度三日月に会いたいと思ってしまう自分がいる。

子供だったあの頃よりもきっとうまくやれるはずなんて、ずるい大人が顔を出して、

「三日月。あんな、」

「治くん。あのね、」

だけど、声を発したのは、ほとんど二人同時だった。


「ええよ、言うて。」
言ったところで、駅に滑り込んだ列車。
三日月の話を聞きたいのにって思うけど、慌てて荷物を引っ張り下ろして二人で新幹線を降りた。

東京駅と同じ、混み合うホーム。
捨てそびれたビールの缶を、手持ち不沙汰でなんとなく振った。

「じゃあな」と言うには微妙な空気で、三日月もどこか居心地悪そうに服を整えたりして、


「あのね。」
けれど、もう一度向けられた視線はさっきまでのものとはまるで違っていた。

「こんなこと言うのって今更かもだし、なんていうか……言い逃げみたいでズルイかなって思ったりもするんだけど……。」
だけどちゃんと言っておきたくて、と三日月は言葉を切った。

何について言っているのかくらい、察しはついている。
「ええよ」と告げた声は、少しだけ緊張してしまった。

今更な二人。
笑って済ますには、最後のチャンス。

だけど、

「あのね、高校の……あの時、私……怖いなって思っちゃったんだ。」
告げられた言葉が、また俺の胸を掻き乱す。

「治くんのこといいなって思った。だけど、そういう自分が怖かった。侑くんと別れたばっかりなのに、今度は……って、そんなの良くないって思ったから。」

人の言葉には、嘘と本当がある。
だから、俺は三日月の言っていることを疑うことだってできる。

だけど、信じられた。
三日月の言うことは、信じられた。

「だから、逃げちゃった。本当に……ごめんなさい。」

ちゃんと信じられるくらい──俺は、三日月を知ってる。
ちゃんと、知ってるから。


さよならになんかしない、したくないしさせない。
これで終わりの思い出なんかじゃない。

「……許さん。」

「ッ、」
カートバッグの柄を掴んだ三日月の手首を取った。
二人の距離が近くなって、三日月の視線が持ち上がる。

「言い逃げなんて許さへんよ。」

思い出とか初恋とか、そんな綺麗な言葉で飾れんくらい、三日月は俺にとってトクベツやった。
トクベツってなに?

わからん。
なんでとか何がとか、わからん。

けど、わからんものの方がきっと大事なんやって思うから。
理由なんてわからないくらい、昔も今も俺は──。


「もう一度、会うて。三日月、もういっぺんちゃんと……会いたい。」


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