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□だから、FOR YOU 3

練習試合なんてそう珍しいもんでもない。

だけど、その日の侑は朝から随分と張り切っていた。
三度の飯よりバレーが好きという片割れは、好戦的な性格もあってか試合となるといつもそんな感じではあるが、その日はクラスの連中が応援に来るとかなんとか前の日から熱心に戦略なんかについて話していた。

「ちょっと挨拶してくるわ。」
ユニフォームに着替えて皆準備万端という部室を、侑はそう言って出て行った。

「なに、挨拶って。」

「なんかクラスの連中来てるんやって言うとったわ。」

「そんなんで挨拶とか行く性格やったっけ。」
先輩たちはそう言って笑って、

「好きな子でも来てたりしてな。」

「え。あいつ、自分自身より好きな相手なんかおらんやろ。」

「確かに!」
なんて言うから俺も笑った。

このところの侑は確かによく女子からの「告白」なんかを受けているようだけれど、誰かと付き合うという様子はまったくない。
それを「自分大好き」で「バレー大好き」な性格のせいだという先輩の意見は間違ってないと思ったし、俺もそうだと思っていた。

「治。」

「はい。」

「あんま戻ってこんようなら迎え行っとけ。」
北さんに言われて頷いた。

「治も大変だね。」
それを見ていた角名が可笑しそうに言うけど、

「まあ……生まれてからずっとこんな調子やし。」
なんとなくそう請け合った。

実際そうだ。
自由奔放といえば聞こえはいいが、勝手気ままな兄弟をもった俺はいつも侑に振り回されっぱなし。
それでも面倒と思うことさえあれ、イヤだとは思ったことがないから、こういうのも「双子らしい」ということなのだろうか。

案の定、侑はすぐには戻って来なかった。
北さんの予想は外れた試しがない。

「ちょっと行ってくる。」

「アハハ、やっぱり大変だ。」
角名の声に送られて、部室を後にする。


体育館のギャラリーへと続く階段の下で、侑はすぐに見つかった。
予想と少し違ったのは、クラスメイトの輪の中ではなく一人の女の子と一緒だったこと。

「侑!」
声をかけて、

「おー、治。なに、どうした?」
片割れと一緒に振り返った制服姿に、思わず足が止まった。

一瞬で──吸い寄せられた瞳。
あの日涙で濡れていた眼差しに、今涙はない。

笑顔を浮かべてこちらを見返した視線に、心臓が跳ねた。

「……北さんが連れ戻して来いって。」
ようやっとそう言って、だけど視線を彼女から逸らすことはできない。

「うわ、マジで?そんな時間やった?!」
”北さん”というフレーズに侑は慌てた様子で、

「ほな、またな。三日月、帰らんと最後まで見とけよ。」
けれど、彼女に笑顔を向けて告げる。

三日月、そういう名前なんや。
下の名前はなんやろ?
つーか侑のクラスメイトだったんか、そりゃあ見たことあるはずやな。

そう思って、

「治、行くで!」
けれど、

「ちょお、待ってて……!」
俺に呼びかけた侑ではなく、ギャラリーへ向かおうとした彼女の腕を気付いたら引いていた。

「え、」
戸惑う視線、そりゃそうや。
だけど、説明なんかするのも忘れて、侑のことも放り出して部室へと駆け出していた。

あのクマは、今も俺のバッグの中にある。
それを返そうと思った。

いつだっていいと思っていたはずのそれが、今じゃなきゃダメだと思うのだから不思議だ。
だけど、今返したかった。


「これ。」
大急ぎで部室にとって返した俺に角名が何かを言ったけど、ロクに聞かずにまた体育館に引き返す。
手にした茶色の毛並み、たいした距離を走ったわけでもないのに、発した声はやたらと息が上がっていた。

「あ、これ……。」
突き出した俺の手にあるぬいぐるみを凝視して、彼女が小さな声を漏らす。

「屋上で拾って……あの時、あんたが落としたんちゃう。」

「ええと……。」
伸ばされた細い指先に、視線が釘付けになる。
手のひらに乗せたぬいぐるみを受け取る華奢な指先を──思わず握りしめたいと思った。

「え、治。なんやの、それ!少女漫画か!」
やりとりを見ていた侑が大きな声を出したことで、慌てて手を引っ込める。

もしも侑がいなかったら、そのまま手を握っていたかもしれん。
それくらい、頭で何かを考えるということができなくなっていた。


「ありがと、でも……。」
俺の手から受け取ったクマをじっと見つめて、

「でも、私のじゃないんだ。」
彼女はそう言った。

「え、ほんま?」
素直に沸いた疑問、だけどその答えはすぐ返ってきた。

「私の、ここにあるから。」
言いながら彼女が示した通学バッグに、お揃いのクマがぶら下がっている。

「……カレの、かな。お揃いで買ったから……ディズニー行った時。」
その言葉に、あの日の二人のやりとりが甦る。
あからさまに不穏で険悪な男女の会話、それは多分──

「捨てられちゃったの……かなあ。」

多分別れ話やったはず。
そう思った俺の思考を遮ったのは、また侑の声だった。


「ディズニーってなんなん!」

「え、ちょっと。」
その声の激しさに、驚いたのは彼女も一緒だったらしい。

「ディズニーって東京やろ!おまえ、あいつと東京行ったんか!」

「そ、だけど……なんでミヤアツが怒ってんの。」

「東京っていったら、泊まりやろ?!そんなん……そんなん……!」
侑が怒る理由がわからない、そう言う彼女の言葉の方がもっともだ。

だけど、侑は怒りが治まらない様子で、

「ッ、もうええわ!」
ギリ、と彼女のほうを睨み付けてひと言。
それから、「行くで、治」とその場に背を向ける。

「おい、侑!」

「はよ行かんと北さんにどやされるわ。」
俺を見るでもなく背を向けたままで言った侑の声は珍しく震えていたけれど、それが怒りなのかそれとも別の感情によるものなのかはよくわからない。

とにかく、こんな侑は珍しい。
珍しすぎて、俺も呆けた。

そんな俺をおいて、侑は早足でそこを去る。
自然、俺と彼女──三日月とが残された。


「なんか……すまん。」

「え、ううん!あの……ええと、なんていうか、治くんが謝ることじゃないし……。」

「せやけど、」
驚いた様子で侑の歩いて行った方を見ていた三日月が、慌てたように首を振る。

だけど、俺は普段と違う侑の様子よりも──三日月の手の中にあるクマのぬいぐるみの方が気になった。

「それ。」

「え、あ!うん、ええと……ありがとう。私のじゃないけど、私の関係物ではあるというか、ええと!この子には罪ないし、だから……。」
ぎゅうとそいつを握りしめて、また──あの日の顔。

「ご、ごめん。」
涙を滲ませた三日月に、どうしようもないほど締め付けられる胸。

なんで?なんでや?
なんでこんなに苦しい?この子の泣き顔になんで──。

ぽたりと床に落ちた涙をぬぐってやろうにも、生憎タオルもなにももって来ていない。
溢れた涙を三日月がハンカチで抑える様子を、俺はただ見ていた。


それから、

「あ、あのさ。」
なんとか涙を止めようとひとしきり努力をした後、その努力が叶ったらしい三日月が顔を上げた。

「治くん。」
俺の名前を呼ぶ三日月の瞳は紅く染まっていて、それがまたザワザワと胸のうちをかき乱す。

「このこと……あ、あの時のこともなんだけど!ミヤアツには言わないでもらえるかな。」

「え?」
なんで?と思ったことが顔に出ていたらしい。

「や、なんていうか!ほら、フラれて泣いてたとか恥ずかしいし、ミヤアツとはそういうんじゃないっていうか、そういうヤツだって思われたくないっていうか、だってホラ……楽しく……いたいじゃん。」
慌ててそうまくしたてた三日月の頬が赤い。

三日月の言うことは特段おかしなことでもない。
それに、俺だって女の子が泣いてたなんてベラベラ喋るつもりもない。

だけど、

そうじゃなくて、
そうじゃなくて、言いたいことがあった。

「別に泣いたってええやん。」

弾かれたように三日月の顔が上がって、まっすぐに俺を見返した。
その視線を、俺も見返して──言った。

「腹減ったらメシ食うし、眠かったら寝るし、それで悲しかったら泣くんだって普通のことやろ。別に我慢することあらへんやん。」
思ったことを告げただけ、言ってしまえばそれだけだ。

けれど、再び溢れだした三日月の涙。

それに向かって手を伸ばす。
見ているだけだったさっきとは違う、今ははっきりと──その涙を拭いたいと思った。


「腹減ったなあって……それと一緒やろ。」
頬を伝う涙に触れた時、ようやっと気付いた。

あの日から頭を離れなかったシーン、三日月の泣き顔。
慰めたいって思ってたんやってようやく気が付いた。

泣いたってええよ、いくらだって慰めるから。
いくら涙が流れたって、俺が拭ったる。

そう思うから。


なんで?どうして?
──理由なんてもう、どうでもええわ。

俺、この子のこと好きになっとる。


「なあ。試合、帰らんで見てって。侑だけじゃなくて俺も出るし……帰らんで。」


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