□きみはたいよう 6
「三日月のことが好きなんだ。」
それは、俺が言う予定だったセリフだ。
今日のために用意してきたセリフを言えないままで、他人の告白を身をかがめて聞いている俺っていったいどうなんだろう……。
試合の後のミーティングも終わり、自分の教室へ向かおうとした途中だった。
佐久早のクラスのヤツに声をかけられた。
クラスの展示の持ち時間になっても佐久早が現れないのだという。
「なんで他のクラスのことまで」と思わないわけじゃなかったけど、チームメイトのことを放っておくこともできなくて、「ちょっと見てみるよ」なんて安請け合い。
だけど、そんなんするんじゃなかった!
ちょっとの親切が大きな仇になって返ってきたと、俺は階段の下で息を潜めながら佐久早を呪った。
ひと気のない場所を探せば見つかるだろうとやってきた特別教室の並ぶエリア。
文化祭では使用予定のないその場所は、賑やかな他の場所とは打って変わって静まりかえっている。
1階の教室を見て回って、それじゃあ2階と向かった階段で急ブレーキ。
慌てて引き返して、階段裏に身を潜めた。
2階へと続く階段の途中に、三日月と赤葦くんがいた。
(な、んで……!)
どうしてよりにもよってこんな場面!自分の不運が恨めしい。
文化祭の間に、三日月に告白するって決めていた。
だけど、梟谷との親善試合で三日月が赤葦くんと知り合いなんだってことを知って──もしかしてソウイウ雰囲気かもって不安だった。
その赤葦くんが、三日月に気持ちを告げる場面を、俺は今、階段の下でただ黙って聞いている。
「ごめん、急に呼び出したりして。」
「ううん、クラスの子たちも大丈夫って言ってたし。」
これ以上ないくらいにマヌケなシチュエーションが、居たたまれなくて仕方ない。
「試合、見に来てくれてありがとう。」
うずくまった階段裏に、響いた赤葦くんの声。
「あ、ううん。私も、誘ってもらえて嬉しかったよ。」
目の前が、暗くなっていく気がした。
「ずっと連絡してなかったし、変かなって思ったんだけど。」
「中学の時ずっと一緒だったのに、変な感じだよね。」
二人の会話を聞いていた。
試合に誘ったの、俺だけじゃなかったんだ。
「もちろん行くよ」って三日月は言ってくれたけど──俺のために来てくれたわけじゃなかった。
その事実が、胸に突き刺さる。
三日月と出会ってから、俺はずっと浮かれっぱなしだった。
毎日楽しくて、なんか話せたらそれだけでいい気になって、三日月に彼氏がいないことに安心して、もしかして付き合えたらって何度も想像して夢を見てた。
だけど、今は──そんなの全部幻想だったって思える。
三日月は、赤葦くんのこと好きなのかな。
頭に浮かんだ考えを否定できないのは、今日一日の三日月を見てきたから。
赤葦くんと一緒に体育館にやってきた三日月、ずっと前からの知り合いなんだって笑って言った三日月、それに──試合の後のギャラリーから、三日月は赤葦くんを見てた。
俺に手を振り返して、だけどその手前、赤葦くんを見てた気がする。
「もしかして」だったそれが確信に変わっていく気がして、目の前の壁を黒く塗りつぶしていく。
校舎の灰色の壁、それが黒く染まっていく気がして、思わず目を伏せた。
「こんなこと、急に言ったら困らせるかもしれないんだけど……。」
赤葦くんの言葉に、三日月が息を呑む気配。
伏せたままの目を、ぎゅうと瞑った。
本当なら、耳だって塞いでしまいたい。
だって、聞きたくない。
こんなのって聞きたくない。
「三日月のことが好きなんだ。ずっと前から、卒業する前から……それで今も、三日月が好きだよ。」
それは俺のセリフだよ!って、叫びたかった。
俺が用意してた言葉だ、今日のために。
同じクラスになった時からさ、ずっと好きだったんだ。
ずっと好きで、毎日好きで、一日だって三日月のことを忘れたことなんてないよ。
だからそれは俺のセリフ。
お願いだから、取らないで──。
そう思うのに、「ちょっと待った!」なんてテレビみたいに飛び出せるはずもなくて、俺はただその場に隠れてうずくまるだけ。
「急な話でごめん。今すぐ返事してくれなくていいし、決められないなら友だちのままでもいいんだ。ただ俺の気持ちをわかってほしくて……。」
「赤葦……。」
三日月の声に、ただただ胸が締め付けられた。
イエスなんて言わないで、お願いだから。
もしそんなことを聞かされたら、俺は心臓がバクハツして死んじゃうよ……!
「少し……考えてもいいかな。」
思わず大きく息を吐きそうになって、慌てて口を塞いだ。
「もちろん。ごめん、こんな話急にして。」
「え、あ!ううん、あの……なんていうか、ちょっとびっくりしたけど。」
戸惑いを滲ませた三日月の言葉に「そうだよね」と赤葦くんが言って、それから二人して笑った。
気まずさを誤魔化すようにも聞こえたし、出口を見つけた安堵にも思えた。
どちらとも取れる笑い声の後、
「俺、木葉さん迎えに行かないと。」
「あ、私も教室戻らないと……。」
去って行く足音。
それを聞いて、聞こえなくなるのを待って、それからやっと──力が抜けた。
「どこでヘタってんだよ。」
「う、わッ!」
どのくらいそうしていたかわからない。
階段下で脱力した俺を、よく知った顔が覗き込んだ。
「さ、佐久早ッ!」
「犬でもいんのかと思ったら古森かよ。」
なんて、どこから現れたのかソイツは言って、
「ばっか!探したんだからな!クラスのヤツら困ってたぞ!」
「……俺、嫌だって言ったし。」
慌てて言い返した俺からすぐに視線をそらして、ふいと背中を向けた。
「あ、こら!待てって!」
ねえ、もしかして佐久早も聞いてた?
だとしたら、どう思った?
情けない気持ちを吐き出す場所が欲しくて、追いかけた背中。
だけど、
「スタバ、」
「え?」
「スタバ、どっちが奢るか決まった?」
言われて、足が止まる。
それと同時、弱音なんて吐けなくなった。
「まだッ、決まってない……!」
「ふうん。」
早くしとろは佐久早は言わなくて、だからもしかしたら全部知ってるのかもしれない。
だけど、もう聞いて欲しいとは思わなかったし、躊躇う気持ちもなかった。
俺は、三日月にフラれるのかな。
そしたら気まずくなっちゃうのかな。
そう思う気持ちは、昨日までよりずっと強い。
告白なんかしなければ、ずっと友達でいられる。
もしも三日月が赤葦くんと付き合い始めたって、「よかったね」なんて言ってあげることもできる。
だけど、それはしたくない。
赤葦くんのこと、男らしいなって思った。
格好いいなって正直思った。
言えるか言えないかって迷ってる俺とは全然違ったなって思った。
だけど、負けたくない。
俺だって負けたくない。
もしもうまくいかなくたって、ちゃんと気持ちくらい伝えられる。
自分をそういう男だって思いたかった。
それでも──やっぱり緊張はした。
文化祭は二日目。
今日はクラスの展示にも参加して、三日月たちの用意した衣装で接客なんかもした。
三日月は昨日と変わらず笑ってくれて、そのことにやっぱりざわつく胸。
だけど、俺も笑って、そしたら結構楽しくて、楽しいのと苦しいのが行ったり来たりでやたらと疲れた。
「古森、似合ってんじゃん。」
「絶対思ってないだろー!」
部活の連中に冷やかされた衣装を脱いだのは、その日が終わりに近づいた頃。
元の制服に戻ったら、なんだかまた緊張してきた。
ネクタイを締めて、手のひらをグーパー2回。
そうしないと、震えてしまいそうだった。
「三日月!」
ちゃんと笑えてるかなあって不安だったけど、三日月が笑顔を向けてくれたことで多分大丈夫って思えて、
「お疲れ、古森。試合の次の日だし、今日も疲れたでしょ。」
「まーな!でも一年に一度だしさ。」
同じく制服姿の三日月と教室の中。
外はもう日が傾きかけていて、2日間の文化祭もフィナーレに近づいている。
「そうだねえ、次の文化祭は3年生かあ……なんかちょっと考えちゃうね。」
珍しく三日月が眉を寄せて、困ったみたいな顔をつくる。
「あー、受験とか。」
「とかとか。」
「まあ、あるよなあ。」
「色々あるよねえ。」
高校二年、高校生活最後のモラトリアム。
来年になったら志望校を決めて、受験戦争にまっしぐら。
もちろん俺だって例外じゃなくて、ずっと続けているバレーと改めて向き合うことになるんだろう。
そう思ったら、自然と覚悟は決まっていた。
「あ、体育館。」
昨日試合をした体育館から、流れるメロディ。
今日は文化部のステージとして使われていて、そこで一日の締めくくりのステージが始まったようだった。
在校生以外を帰した時間、音楽関係のステージがつづくラストシーンは、文化祭の目玉の1つでもある。
ふと周りを見れば、声を掛け合ってクラスメイトも次々と教室を出て行く。
「古森、ステージ行かねーの?!」
「あ、行く行く!ちょっと先行ってて。」
俺や三日月に声をかける仲間もいるけど、みんな先を急いでいる。
「すぐに行くよ」と言えば、それ以上何かを言ってくるヤツはいなかった。
「古森、私たちも行こ。」
残り数人という教室、三日月が俺を見上げてから歩き出す。
「うん、そだな。」
答えながら、なんだか泣きたい気持ちになった。
軽音部の生バンドに泣かされるなんて、文化祭らしすぎてちょっと笑える。
だけど、それくらい切ない気分。
だって、運命へのカウントダウン。
その音を心の中で聞いてる。
「三日月。」
教室の入り口、振り返った二つの瞳。
まっすぐに見つめ返されて、言葉に詰まる。
だけど、もう決めた。
ごめんね、三日月。
こんなのって独りよがりかも、だけどどうしても言いたいんだ──。
「俺、三日月が好きだよ。」
大きく見開かれた視線に、昨日の階段裏を思い出す。
赤葦くんと話した三日月は、どんな顔をしたのかな。
俺はそれを知らないけど、できるなら今の方が反応いいって思いたい。
「こ、もり……。」
三日月の華奢な喉が上下するのが、スローモーションみたいに見えた。
「すっごい好きでさ、友だちでいいって思えなくなっちゃった。だからさ、三日月……俺の彼女になってもいいかって、考えてみてくれないかな。」
緊張して、口から心臓が飛び出そうなくらいなのに、言葉は案外自然に出てきた。
好きだよ、すごく好き。
そりゃあ時間じゃ敵わないかもだけど、気持ちの大きさなら俺だって負けない。
黙って渡すなんて出来ないよ。
だから、三日月──俺のこと、考えてみて。
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