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■きみというひかり

いつからかなあ。
感情を剥き出しにして泣いたり怒ったり──そういうのができなくなったのって。


「え、マジで。」

「マジマジ、びっくりだよね。」

「ウケる、それでどうしたの?!」
ちゃんと笑顔になれてるかなと少し不安になるけど、話す相手の表情はいつもと変わらなくて、きっと大丈夫と思うことにする。

わからないけどね。
私と同じように、相手だって仮面を被っているのかも。

取り繕った会話に少しの感情を混ぜて、作り上げあれたリアリティ。
嘘でも本当でもない、なにか。

大人になるって──こういうこと?
時々すごく疲れる。

大人にだって辛いことはあるし、泣きたい時だって正直ある。
どうにもならない「壁」な感じなら、大人の方がむしろ強い気がする。


だけど、いつも通りの顔をして、いつもじゃない自分を隠して、今日も一日を終えて──

『今日、会えますか?』

会社終わりのエレベーター、届いたLINEのメッセージ。
思わず零れそうになった涙をこらえて、俯いた。

『うん、会いたい』

返したのは、素直なメッセージ。
これくらいなら、私だって言える。

会いたい、会いたい会いたい、傍に居て欲しい。
画面の中のメッセージだけだって、こんなにも感じている──安心。


「ゆいさん。」
最寄りの駅まで来てくれる優等生な彼は、私が到着するよりも早く改札口の外で待っていてくれた。

「お疲れさま。」

「ゆいさんもお疲れさまです。」
週末でもなんでもない今日、会う約束もしてなくて。

「ごはん、何か作ろっか。スーパー寄ってく?」

「そうですね……でも、今日はゆっくりしませんか。」

「ゆっくり?」
心と身体を叱咤して、だっていい彼女でいたいから。
優しいこの人に、相応しい彼女でいたいから。

「うん、ゆっくり。家でピザでも取りましょう。」
だけど、この人の優しさは、いつも私を超えていく。

「ビールだけ買ってきましょうか。」

「うん、そうしよっか。」
本当は料理なんて面倒で、彼が来ていなければコンビニでサンドウィッチとヨーグルトでも買って、それで夕食にしてたと思う。
今の私は、一日を「こなす」のだって精一杯。

疲れて、怯えて、憤って、焦って、不安で──ひび割れた仮面はしっかり抑えていないと剥がれて落ちてしまいそう。
「誰か助けて!」って叫びたいけど、助けてくれる人なんていないこともわかってる。

いつだって、人は結局孤独だ。


「ピザ、いつものでいいですか。」

「うん、ポテトも頼んで。」
割高で、しかも高カロリーな宅配ピザ。
プリン体たっぷりのビール。

普段ならためらってしまうそれらだけど、食べるものくらいは自分を甘やかしたっていいじゃない、そう思うことにする。


「今日って結構涼しい。」

「そうですね。朝晩は結構寒くなりましたよね。」
スーパーのビニールの中の缶ピールが、カシャカシャと歩くたびに小さな音を立てる。

その小さな音が、こんなにも心を揺さぶるのはどうしてなの。


「京治。」

「うん?」
歩く道はもう暗くて、行き交う人はそれぞれに帰り仕度を調えて家路に向かう様子。
散歩中の犬、健康作りのランナー、幼稚園帰りの子供を乗せた自転車、見慣れた景色の中を、二人並んで歩いている。

「今日、どうして会おうって。」

「ヒミツです。」
ちらりと見上げた右側、弧を描く視線がこちらを見る。

「えー、ヒミツって。」

「企業秘密ですよ。」
それが可笑しくて笑ったら、

「ああ、ようやく笑ってくれた。」

「え?」
鞄と反対側に下げていたビールの袋を、彼は同じ手に持ち替えて、

「ずっと難しい顔してるから、心配してた。」
そう言って、私の手を取った。

「そんなの、」

「してましたよ。隠したって俺にはわかるんです。」
そんな自分は見せたくない。
余裕のない顔も、傷ついたり落ち込んだりした自分も、自分の足りなさを痛感して挫折感でボロボロになったこの気持ちも、見せたくない。

だけど、

「昨日、電話で話した時……明日は会おうって思いました。」

「どうして……。」
どうしてわかるの?と聞こうとして、もう声だってでないくらいに感情の波に押しつぶされそうな今。

「だから、企業秘密です。でも俺、ゆいさんのことは結構なんでもわかったりするんですよ。」

彼の腕に、縋り付きたい。
縋り付いて、泣いてしまいたい。

もう無理、もう限界、逃げたい、どうしたらいいのって。

だけど、逃げられないことも、どうしたらいいのの答えなんて誰ももっていないことも、私は知ってるから──できなくて、だけど縋りたくて、ギリギリの攻防。
理性と感情とがせめぎ合って、ギリギリと胸が痛い。


ぎゅう、と繋いだ指先に力を込めた。
縋り付くなんてやっぱりできなくて、精一杯の甘えたポーズ。

「うん。」
それに応えるみたいに、彼も手を握り返して、

「ピザ、俺が受け取っておきますから、お風呂入っちゃっていいですよ。」

「……うん。」
寄越された言葉は、裏側にたっぷりの優しさを含んでいた。


「あんまり飲み過ぎたらダメですよ。」

「ん、わかってる。」
スーツを脱いでしまえば、少し素直になれる気がする。
寄りかかった肩に感じる厚み、細身に見えてしっかりと筋肉のついた彼の腕が安心を感じさせてくれる。

「あんまり食欲ありませんか。」

「ううん……だけど、今は京治がいい。」
すりすりと頬を二の腕に寄せたら、クスリと笑う気配。

「企業秘密、教えてあげましょうか。」

アルコールに霞みかけた頭でのぞき込んだ顔が、笑っていた。

「……うん。」
そっと髪に触れる大きな手のひら。

後頭部を撫でて、それから背中に回った彼の手に抱き寄せられて──鼻孔に感じるのはよく知った香り。

「俺、ゆいさんのことをすごく観察してるんです。声も表情も仕草も見逃さないように、どんなこと考えてるのかな、どういう気持ちかなって、全部わかるように。」
背中に感じる体温の優しさとは裏腹の大胆な告白。

「全部知りたい、全部欲しい、だからちょっとのことも見逃したくないし、知りたいんです。」
彼の企業秘密は少しばかりスリリングで、だけど刺激的。


「ゆいの全部が、欲しい。」

抱きしめられた腕の中で、彼の声を聞いている。
大胆で、まっすぐな言葉──だけど、それは今の私が欲しいもの。

京治はいつも、私の一番欲しいものをくれる。


今日という日が不安で、明日に怯えて、眠れない夜もある。

だけど、一人じゃない、それを教えてくれたひと。
人生の答えなんてきっとない、それでも帰る場所があれば──明日も歩いていけるから。


「ゆい、ゆいさん……。」
不安な気持ちが消えたわけじゃない、けれど嬉しくて、素直に溶け出していく心。
我慢なんかもう出来なくて、鼻を啜った。


神様、どこかにいるかもしれない神様。
感謝します、こんな私に彼という素晴らしい人を与えてくれて。

いい彼女でいたいの。
笑って、励まして、癒やして、そういう存在になりたい。
あなたに相応しくありたい。

だけど、

「ゆいさんの泣いた顔、見たいです。」
そう言って彼は笑うから。

「ダメですか?」
問いかけた声にまた鼻を啜って、

「……今、考え中。」
答えながら揺らした肩を、また彼の腕が抱く。


すっぴんの泣き顔ってどれくらいブサイクかなあと思案して、「そんな風に思えてるうちはまだ大丈夫かも」なんて、自分を励ました。

「企業秘密、教えてあげたでしょう。交換条件ですよ。」
そんな風に言われては、もう降参するしかなさそう。


押しつぶされそうな日々、早足で過ぎていく毎日。
完璧じゃない自分に苛立って、背伸びして取り繕って、笑いたくないのに笑う、そんな日常。

だけど、ごちゃごちゃの世界の中で、彼だけが──まっすぐに立って私を見ている。
こちらへおいでと手を振るから。

子供の頃に描いたような世界はどこにもないって、知ってしまった私。
器用になった分だけ、なくした自由。

手放したものばかり数えて、足りないものの分だけ傷ついて。


それでも、あなたがいるなら。
夜の街に灯るあかりみたいに、ほっとする。

道しるべ、よりどころ、あなたがいればそれだけでいい。

「好き」だけじゃもう足りないね。


「絶対笑わないでよ。」

肌も瞳も、アゴにできた一粒ニキビもさらけ出して向けた顔。
触れる指先の体温に、泣き笑い。


「ゆい。」

押し当てられた口唇は、トマトソースの味。
涙が苦いのは、ビールのせい?

特別じゃない夜に、だけど特別な約束事。


「ずっと一緒にいよう。」

今晩だけじゃなくって、ずっと傍に居たい。
あなたの心のとなりに──。


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