□きみはたいよう 3
「うわ、背伸びた?!」
1年半の時間なんて、一瞬で飛び越えた気がする。
秋晴れの空の下で見た三日月の笑顔が眩しくて──毎日の教室とか密かに抱えてた気持ちとか、胸の奥が摘ままれたみたいな甘い痛みまで、全部が戻ってきた。
「えー、赤葦!誰だれ!」
「マジかよ、待ち合わせとか!言っとけよ、そういうのー!」
先輩たちと連れだって訪れた井闥山学院の校門前、「もう着くって言ってたから」と三日月が迎えに来てくれたことは、俺にとっても完全に予想外だった。
ほとんど半年ぶりに送ったLINE。
「久しぶり」から始まる自分の文章を何度も見返して、「今度、そっちの文化祭で親善試合することになったよ」と出来るだけシンプルな言葉を選んで伝えた。
『実は知ってた!』
三日月からの返事はすぐに来て、連絡が途絶えていた気まずさなんて少しもない。
機械的な文字からでも伝わる、三日月の明るさ──それが変わっていないことが嬉しくて、ずくりと疼く胸。
試合に出るのかと聞かれてイエスと答えれば、
『そっかあ、すごいね!友だちと試合見に行く約束してるから、応援するね!』
そんなメッセージの後に、『梟谷も強そうだけど、井闥山も負けないよ!』なんて言葉が添えられていて、三日月らしい言い回しに思わず口元が緩んだ。
その日から、毎日続いているLINE。
放課後になると文化祭の準備の進捗なんかが送られてきて、それがいかにも楽しそうでこちらまでつい浮かれた気分になる。
試合のことを考えれば、正直そうも言っていられない。
井闥山学院は言わずと知れた強豪で、スパイカーの佐久早は2年ながらに全国の3大エースに数えられる実力者だ。
負けられない、たとえ公式戦じゃなくたって。
だって、三日月が見に来るんだ。
いいところを見せたいなんて、柄じゃない。
だけど、そう思ってしまう。
中学の時みたいに三日月に、「格好いいじゃん」なんて言ってもらいたい。
少し気恥ずかしいけれど、それが正直な気持ちだ。
ずっと続いていたLINEに、「もうすぐソッチつくよ」とメッセージ。
いよいよかなんて、近づく校門に胸の音が大きくなった。
それが──
「おーい、赤葦!聞いてる?ねえってば!」
待ち合わせなんてしていないのに、校門前に三日月の姿。
「背が伸びた?」なんてどこか的外れなことを言って笑う、明るい瞳。
あの頃のままの笑顔、あの頃のままの仕草。
だけど、
「……ごめん、ちょっとビックリした。」
「えー、そんなに?ウケる、確かに驚かそうと思ったけど!」
あの頃と同じ顔で笑う三日月は、1年半分──綺麗になったと思うから。
こんなに大人っぽかったっけって、一番最初に思った。
文化祭だからなのかな、化粧なんかしてるのだって初めて見た。
見慣れない制服もカラーリングして少し明るくなった髪も全部が新鮮で、それにすごく似合っている。
「なあなあ、赤葦。」
俺のすぐ後ろに立って、木葉さんが耳打ちする。
「マジで誰?めっちゃ可愛いじゃん。」
「あ、ああ赤葦!彼女なの?赤葦って彼女いたの?俺、主将なのに知らなかった……!」
その木葉さんの横で木兎さんが大げさに肩を振るわせて、
「あ、すみません!自己紹介遅れました。私、赤葦と同中で三日月ゆいって言います。」
それを見た三日月が、また楽しそうに笑った。
「先輩たち、みんな楽しそうだね。」
「え、ああ……そうだね、ちょっと賑やかすぎるけど。」
だけど、俺の「いつものペース」はすっかりどこかに行ってしまったみたいで、うまく言葉が出てこない。
木葉さんの言う通り、今の三日月はすごく可愛い。
というか、めちゃくちゃ可愛くなった。
賑やかでころころ変わる表情はあの頃のまま、だけど大人っぽい雰囲気はどこか別人にも思えるから不思議だ。
照れくさくて視線を落とすけど、短いスカートから伸びる足がまたスタイルの良さを強調していて目のやり場に困る。
「へえ、同中かあ。赤葦どこ中だっけ?俺、木葉秋紀ね。よろしく、ゆいちゃん!」
「あ!ずりぃぞ、木葉!俺、木兎な!木兎!」
木葉さんだけじゃなく木兎さんまで身を乗り出して挨拶し出して、三日月もそれに応えている。
「あー、ボクトさん!エースの人ですね!」
「お!俺のこと、知ってんの?!」
「梟谷のエースで主将さんですよね。すっごいイメージ通りだからそうかなって実はさっきから思ってました。」
交わされる会話に、「あれ、俺木兎さんのこと話したっけ」とふと思う。
「ボクトさん、赤葦のトスはどうですか?」
「おー、めっちゃ打ちやすいぜ!サイコー!」
「だって。赤葦、よかったね。」
「おー、そうだよな。トスだけじゃなくって、赤葦いないとおまえは何にもできないもんな、木兎。」
「んなッ!木葉ッ、ヘンなこと言うなよ!」
初めて会う梟谷の先輩たちともすぐに打ち解けた様子で、笑う三日月。
「ね、赤葦。体育館、行くんでしょ。」
その笑顔が、今度は俺に向けられる。
それだけで、ドキリと胸が鳴った。
「あ、うん。木兎さん、体育館でいいんですよね。」
予定なら木兎さんよりよっぽど把握しているつもりなのに、ついそんな言葉を選んでしまった。
「おう、いいんじゃね?!てか、いいんだよな?え、赤葦、確認してないの?!」
そんなやり取りにみんなまた笑って、それから三日月の案内で体育館に向かう。
「……賑やかだね、文化祭。」
ようやく普通の言葉が出てきた。
「うん、すごいでしょ。夏休みから準備してるの、みんなお祭り好きみたいで。」
「そっか、そういえば毎日居残りしてるって言ってたよね。」
「そうそう!あ、試合終わったらウチのクラスにも来てよ。コスプレするの、コスプレ!ハロウィンカフェ!」
歩きながら話していると、どうにかペースが戻ってくる。
胸に手をやれば、まだ心臓の跳ねる音がする。
だけど、変わらない三日月の様子にほっとして、嬉しくて、また楽しい気持ちになって。
「試合、頑張ってね。」
「うん、ありがとう。」
「でも、私は井闥山の応援だからなあ。」
悪戯な視線が、すぐ横にある。
「だから、赤葦のことはこっそり応援する!」
小さく囁かれた言葉に、ぎゅうと心臓を捕まれたようになる。
だって、そんな言い方って反則だ。
──ずっと好きだった。
蓋を破って溢れだした思いが、止まらなくなる。
幼いままで蓋をした、あの日の恋心。
それが、色を変えて、強いうねりとなって、押し寄せてくる。
そんな感じだ。
今また、三日月に惹かれていく。
あの頃よりも、強い気持ちで。
「試合、13時からだっけ?」
「そう、監督ももう来てるはずだから合流して挨拶しないと。」
広い校内を話しながら歩いて、たどり着いた体育館。
強豪校らしい立派な施設は、ウチの学校と比べても見劣りしない。
その入り口に「親善試合─梟谷学園対井闥山学院─」の文字が大きく書かれている。
「去年もすごかったよ、早めに行って場所取りしなきゃ。」
「井闥山は強豪だもんね。それに今年は……。」
そう言いかけたところで、途切れた会話。
「あれッ、三日月なにしてんのー?」
体育館の中から、顔を覗かせた生徒が一人。
井闥山のバレー部のジャージだとすぐにわかって、背筋に緊張が走る。
「古森!」
三日月の呼ぶ声に、もう一度相手を見返して──すぐにわかった。
「なになに、もしかして梟谷に知り合いいんの?」
「うん、同中。ね、赤葦!」
振り返った三日月の向こうで、目を見開いている顔。
古森元也──強豪井闥山学院のレギュラーで、リベロとして高校ナンバーワンと呼ばれている。
「赤葦京治です、よろしくお願いします。」
「マジかあ、赤葦くんて三日月と同中なんだ。あ、俺!古森元也。同い年だよね、よろしく!」
向けられたのは明るい笑顔で、だけどその態度は自信に溢れて見えた。
そう見えるのは、「相手が格上」であることを意識して挑む試合を控えているせいかもしれないけど。
「おー、古森くんじゃん!ホンモノだ、ホンモノ!」
「ボクトさん!今日はよろしくお願いします!」
公式戦前とはどこか違う雰囲気で、だけど笑顔で握手を交わす裏には水面下の闘志が見え隠れしている。
「あ、ヤベ。俺、佐久早探しにいかないと!教室にも体育館にもいないんだよね、アイツ。三日月、どっかで見なかった?」
「えー、見てない。」
「困ったなあ、挨拶あるから早めに来いって言われてんのに。」
目の前で交わされる三日月と古森の会話。
「日常」を感じさせるそれに、急速に広がっていく──焦り。
「私も一緒に探そっか。」
「マジで?超助かる!あんま人いないとことか、軽く見てみてもらえる?」
「オッケー。見かけたら古森にLINEする。」
もう俺のクラスメイトじゃないんだ。
三日月には新しい学校の友達がいて、クラスメイトがいて、三日月の応援するチームだって他にある、その現実が強烈に意識されて、目の前の古森のことが羨ましくて仕方ない気持ちになった。
木兎さんのことを知っていたのだって、きっと古森から聞いたんだろう。
そう思うと不安な気持ちが押し寄せてきて、胸がやたらにザワついた。
「あ、ボクトさん!皆さんも!すいません、俺そんなわけでちょっと行かなきゃいけなくて!中に監督いるんですけど、大丈夫そうですか?」
「オッケーオッケー!ここまで案内してもらったし、ダイジョーブ!」
「つーか、サクサって木兎とは真逆にマイペースなのな。ウケる。」
近づいたと思っていた三日月との距離。
だけど、それは俺が思っているよりももしかしたらもっと遠いのかもしれない。
「じゃあね、赤葦。また後で!」
「あ、ああ……うん。」
手を振った三日月が、古森と一緒に出て行く。
「つーか、まだ制服?」
「うん、私当番夕方からだし。」
「えー、アレ着て応援来いよ!その方が目立つじゃん。」
「あはは、超ヤダ。それより古森も明日ちゃんと着てよー。」
「わかってるけどさあ、アレってどうなの?ヒドくない?」
三日月の笑う声を聞いて、振り返る。
「だいじょぶ、古森なら似合うってば!」
肩を揺らして笑う三日月の手が、古森の腕に触れるのを見た。
「あかーし!」
「ほれ、赤葦。行くぞ、挨拶挨拶!」
「あ、ハイッ……!すみません!」
気合い満点の木兎さんの後ろ姿を追いかける俺の肩を、木葉さんがポンと叩いた。
「気落ちすんなよ、赤葦。あれ、付き合ってるって感じじゃねーって。」
「!!」
途端に全身が、火がついたみたいに熱くなる。
「こ、木葉さん……!」
「いやあ、赤葦もそーゆーとこあんのなあ。」
ニヤニヤと愉快そうに笑う木葉さんに焦るけれど、でも──「付き合ってる感じじゃない」、その言葉に励まされたのも事実で。
「とりあえず、勝とうぜ!赤葦、今日も木兎の世話よろしくな!」
目の前に張られたネットに、気合いを入れ直す。
「勿論ですよ……!」
格上?インハイ優勝校?
そんなの今は関係ない、目の前にある一試合、それに集中するだけ。
一つ一つ、丁寧にトスを上げる。
それで、スパイカーを活かす。
相手がどんなチームだって、負けない。
俺たちのやり方で、いつも通りに──勝ちを取りに行くだけ。
どんなボールも無駄にしない、一本を勝ちにつなげて見せる……!
三日月、
三日月はすごく綺麗になったけど、だけど俺だって結構変わったよ。
だからさ──今の俺を知ってよ。
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