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□Southern Star 9

「家の空気、入れ替えなきゃ。」

鉄製の門を開くと錆びかけたそれがギィと鳴って、「ホームセンターに行ってサビを取るやつ買って来ないと」と片手を彼に塞がれたままで思う。

締めきっていた家の玄関を開ける。

「放っておいたらカビ生えるんじゃない」と旧家の匂いに文句を言う彼だけど、ブツブツと何事かを言いながらも家中の窓を開けるのを手伝ってくれた。

「ねえ、お茶とかないの。」

「えー、買いに行かなきゃ。」

「マジかよ。」
なんてやりとりをして、ようやくお互いのこれまでを打ち明けあった。

祖母の持ち家だったこと、長い夏休みの理由、東京に戻ってからのこと。
2年の海外生活に区切りをつけた彼が、今は日本のチームでプレイしているということも、この時に知った。

「なんでだよ、調べるならちゃんと最後まで調べろっての。」

「あはは、だってヨーロッパにいると思ったんだもん。」
会えるはずがないと思っていた理由を打ち明けた私に、彼は今日一番の不機嫌顔でそう言った彼。

「それにフェアじゃない、俺はゆいのことずっと待ってたのに。」
余暇を見つけては片道1時間半をかけてを件のトレーニング施設まで通っていたという話を聞いた時はさすがに申し訳ないと思ったけれど、「ごめんね」と謝る私に彼は怒ったりはしなかった。

「まあ、草の根分けてでもとは正直思ってたから。」

「え、そっかあ。」

「ゆいが人間ならね。」

「ふふふ、失礼だなあ。」
開け放った縁側の窓から吹き込む風はまだ少し冷たい。
あの夏とは違う、水分よりも太陽の匂いのする春の風。

「幽霊じゃないかって言われたけど。」

「足、あったでしょ。」
チームメイトにそう言われたんだという彼の主張には、さすがに笑った。
だけど、笑い声は束の間、

「うん……まあ、触ったしね。」

幾筋もの糸の中から掬い上げるように彼は言葉を紡いで──畳の上に置かれた私の指に触れた。
体温が重なって、導かれるように触れた視線。


そして──そっと、重なりあった吐息。

触れた口唇が思い出を呼び起こし、心ごとあの夏に私を運ぶ。
あたたかな血液の流れを口唇に感じると同時、わずかに震える吐息が彼の心を伝えてくれた。

「きよおみ。」

「……ゆい。」
あの夜に置いてきたままだった互いの名前。
心の奥にしまい込んで時々ひっそりと覗きこんだ大事な思い出、それを取り出して今また抱きしめる。

その名前が音を成すだけで、幸せだと思えた。
奏でた音が、映し出す未来。

それを見つめている。



「サビって何で落ちるんだろ。」
街へ向かうために閉めた門が、また音を立てる。

「知らないけど、なんか薬剤とかあるんじゃない。」

「じゃあ、やっぱりホームセンターかなあ。」
金属音に顔をしかめて鍵をかけると、「ホームセンターって卵売ってるの」と彼が言う。

「卵?なんで?」

「……アレ食べたい、最初に作ってくれたやつ。」

「えー、卵サンド?!つくるの?!」
驚くけど、どこか子どものような顔をしてむくれる彼を見れば悪い気はしない。

「じゃあ、パンも買わなきゃ。調味料とかもないし、スーパーも寄ろっか。」
久しぶりに冷蔵庫に電源を入れて、ガスの元栓もあけなきゃ。
やることリストを指を折って数えれば、

「あと、市役所も。」

「え、市役所?なんで?」
一緒に数を数えていた彼がそんなことを言うから、思わず隣を見上げた。


「住所不明なんだから、せめて戸籍くらい抑えとかないと安心できない。」

「いや、せめてって……!ていうか、住所不明じゃないから!」
飛びのいた腕をがっしりと彼に捕まれて、引き戻された。

「逃がすつもりないけど。」

「に、逃げないよ……。」
黒目がちな瞳にじっとりと見つめられるのは、なかなかの迫力。

「……じゃあ、合鍵。」

「え、」

「あの家の鍵、ちょうだい。外で待たされるのはいい加減ムリ。」
示された愛しい妥協案に、「市役所で婚姻届でもいいかなあ」と口唇が緩む。

「そうだね、そしたらベッドも買おうかな。」
腕を引く彼に触れて、そっと指を絡ませた。

「賛成、布団は背中が痛くなる。」

「ふふ、そうかも。」
週末をあの家で過ごすことはいつの間にか既定路線で、坂道をゆるゆると歩きながら先のことをあれこれと話した。


過去にとらわれていた日々、今だけを見つめた時間。
そのどちらでもない、「未来」を描く喜び。

彼となら──聖臣と二人なら、きっとどんな未来も楽しめるはずと思わせてくれる。

不機嫌の仮面の下にある、優しい素顔。
知るほどに愛しいと、思える人だから。


サビ落としを買ったホームセンターで、レジの前に見つけたもの。
小さな袋に入った花の種。

「あ、これ。」
週末に通うなら、庭に何か植えたいと思っていた。
毎日水を遣るものは無理だけど、花の咲く植物がいいなとなんとなく想像してた。

「なに、買うの?」
花の写真のついた袋を持つ手元を、聖臣が覗き込む。

「うん。だって、ほら……ピッタリだなって。」

「ふうん。」

「うん、この街に。」
オキシペタルム、夏に咲く五つの花弁。
「土壌を選ばず、肥料も多く必要としません」という文字をふんふんと読んでから、蒔いてみようと決めてレジに向かう。

「咲くのが楽しみ。」

「そんなに簡単に育つものなの。」

「そこは聖臣も面倒みてよ。」
液体肥料も一緒に買ってご機嫌の私に「えー」と彼は言うけど、その顔を見ればどうやら抵抗は口ばかりのよう。


「何色の花が咲くの?」

「青!きっと綺麗だよ。」

幸せのブルースター。
誠実、幸福、純潔──小さな花弁が紡ぐ美しい言葉たち。
トゥイーディア、サウザンスターとも呼ばれる小さな花に、私も願いをかけた。

この花が咲く夏を、彼と一緒に迎えられますように。
来年も花を咲かせることができますように。

この街で、あの庭で、聖臣と二人──時を重ねることができますように。


「ねえ、一つ言い忘れてたことがあるんだけど。」
パン屋からの帰り道、坂道を下る途中で彼が言った。

「部活、好きだったかって前に俺に聞いたよね。」

「え、あ……う、ん。」
花火の音を聞きながら問いかけた、あの日のことを思い出す。
この世の不機嫌を集めてきたような彼の──「好き」が知りたくて、尋ねた夕暮れ。


「好きだったよ、部活。おもしれーって思ってたの、思い出した。」
あの日とは違う顔をして彼は言って、

「それにさ、」
口許を緩めて、微笑んだ。

「バレーが好きだ。しんどくても辛くても今も好き、ちょっと忘れてたけどね。」

彼の笑顔というのは、私の記憶の中にはなかったように思う。
珍しくて思わず見つめるだけになった横顔、それが振り返る。


「……あともう一つ。」

──ゆいのことが好きだよ。

「!」
気が付けば、二人とも足を止めていた。


不機嫌を塗り固めたような顔をして、「嫌い」とか「興味ない」とか否定ばかりを口にする彼が──「好き」と肯定したもの。

彼という存在を形づくるバレー。
それと同じ言葉を与えられた幸せ、その事実が心を揺らし、想いを溢れさせ、今は言葉さえ出てこないくらいに──愛しいという気持ちだけがそこにある。


「……何か言えよ。」

すぐにまた不機嫌の顔に戻って、そう言った聖臣。
そのことになんだかほっとして、それが可笑しくてつい頬が緩む。

「私も、」

同じだけのものを返せるのかなって、ちょっと怯んじゃうな。
まっすぐに向けられた想いに圧倒されて、大事にしまっていた恋心が少しだけ陳腐なものに見えた。

だけど、そうじゃないよね。
淡い恋でよかった、ひと夏の夢でも構わないと思った、だけど今は違う。

愛しいと心から言える。
むせ返るくらい、息苦しくさえなるほどに、溢れて止まらない想い。

ねえ、聖臣。
私も同じだけ──あなたを想ってる。
傍にいたい、離れたくない、未来にあなたが居て欲しい。

これが、愛しいってことでしょう。


「私も、聖臣が好きだよ。」

一人きりで過ごすと決めた夏だった。
けれど、夏の風を纏って現れたその人に──私は恋をした。

あの日からずっと、私は彼に恋をしている。
もうずっと同じ気持ちで、あなたを想っている。

「ずっとあなたが好きだった。はじめて会った時からずっと……聖臣が好きだよ。」

ようやく告げた言葉は、大きな手のひら掬い取られて彼の胸の中。
抱き締められた腕の中で、「そういえば、ポスターの写真だいぶよく写ってたね」と言ったらぎゅうと思いきり締め付けられた。

「ちょっと、いった!痛いってば!」

「……ゆいだって、思い出補正かかってたから。」

「えー、何それ!ひどい!」

二人して笑い転げたのはその後。
聖臣もこんな風に笑うんだなって新発見に、明日からの日々を楽しみに思って。


ねえ、明日はお花見にでも行こうか。
海を見に行くのもいいよね。

あの花が咲く頃には花火、人混みが嫌いなら高台に登ろう。
車を借りて野菜を買いに行くのもいいし、東海道を西に下れば温泉だってある。


色んなことをしようね。

ちょっとくらいイヤがられたってヘコたれないから大丈夫。
安心して仏頂面しててよ。


そんなあなたが、どんなあなたも好きだから──ねえ、聖臣。


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