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□Southern Star 7

古森は俺をネガティブだって言うけど、そんなことない。
常に「最悪の事態」を想定している、それだけ。

予定外とか想定外、そういうのが嫌いだ。

驚いたり動じたり、落ち込むなんてまっぴら、だから俺はいつも──「最悪の事態」を想定しておくようにしている。



「やっべえッ……!」

ゆいの家で目覚めた朝、畳の上に放られたスマホ。
埋め尽くされた着信に跳ね起きた。

何十と並んだ古森の名前、何が起きているかを理解すれば余裕なんて持ちようがなかった。
「また来るから」と告げたと思う。
これきりなんてそんなつもりないし、言ったはずだ。

だけど、ゆいがなんて答えたのか──俺はそれを覚えていない。


「佐久早!どこ行ってたんだよ、今日がなんの日か忘れてたわけじゃないよね?!」
朝の街を全力疾走で駆けて戻ったのは、海沿いのトレーニング施設。

「わかってる。」

「だったら!」

「……わかってるってば。」
着替えて来いよと古森に言われて、足が止まる。

汗の染みたTシャツ。
昨日から着てるヤツだし、こんなのって最悪。
だけど、

「………。」
シャワーを浴びなきゃと触れた服に、自分の肌に、まだゆいの匂いが残っているような気がして。

「佐久早!何やってんの、早く!」

「うん……。」
古森に押し込まれたシャワールーム。
ベタベタの髪や身体が気持ち悪いけど──なんでかシャワーコックを捻るのが惜しかった。


「なんの日か」なんて、古森に言われるまでもなくわかってる。
ちゃんと覚えてた、昨日までは。

所属していた実業団チームからの独立とプロ宣言をしたのは、2年前のシーズンオフ。
1年早くプロ転向した若利くんや海外挑戦を名言していた古森に影響されたのもあるし、何よりも会社の仕事から離れてバレーだけやってればいいっていうのは魅力的だと思った。

チームを離れて海外移籍、2年間の期間限定。

プロ転向した選手としては定番の流れだったし、若利くんも古森もそうしていた。
新しく契約したマネジメント会社に言われるままにそれを受け入れながら「そういうもんだろ」なんて、特に疑問も不安も感じてなかった。

だけど、会社を離れるってことは、より「商品」になるってことだ。
結果、結果結果結果、実力よりまず結果。
放映権とかスポンサーとかそういう大量の金が動く世界──だけど、そんなのどうでもいいって言えるほどの実力がその時の俺にはなかった。

日本でトップ選手なんていっても、海外リーグの中じゃベンチ入りが精一杯。
それだっていろんな金が絡んだ結果かもしれないと思うと居心地なんか最悪だ。


「佐久早!はやく着替えろよ、いつまでシャワー浴びてんの!」
古森の声にのろのろとドアをあけて、ジャージでいいのかなそれともスーツかななんて首を捻る。


移籍期間は満了。
それで、今日はマネジメント会社のお偉いさんが客を連れて来ることになっている。

「ねえ、」

「なに、もう!」

「格好ってこのままでいいの。」

一緒に自主トレしようと誘ってきたのは古森の方。
何万キロも離れた国からかかってきた電話から「夏の合宿しようよ!」なんて古森の声を聞いた時は、柄にもなくほっとしたのを覚えてる。

「いいだろ、別に。あ、ヨレヨレのTシャツとかはやめろよ、印象よくない。」

「古森じゃないから、そんなの着ない。」
急かされるようにして服を着替えて、髪を乾かす。


言葉もロクに通じない海外チームで埋没していく毎日──だけど俺ってすごい負けず嫌いなんだよね。
契約期間の終わりにスターティングメンバーに定着していたことは、エージェントとしても予想外だったんだろう。

チームに残留、日本企業との契約、新しいスポンサーの申し出。
そもそも「商品」の俺に選択肢なんてあるのかどうかわからないけど、そういう金と欲のギッシリつまった話をもって来るであろう今日の来客は、俺にとってまあ大事な相手ってことになるわけだ。


「……なんか息苦しい。」
思わず零れた本音は古森には聞こえなかったみたいで、「早くしろって」とまた急かされて後ろに続く。

──その日聞かされた話は、まあ予想通りのもの。
意外だったのは古巣の日本企業からのオファーがなかったということと別の海外チームからの誘いがあったということ。


「古森はどうするの。」

「うーん。」

「珍しいじゃん、おまえが迷うとか。」
なんでも即決即断の古森は、大学を決めた時も就職を決めた時も、それにプロ宣言も俺よりいつも早かった。
その古森が首を捻っていることになんとなく安心する。

迷ってるのは別に俺だけじゃない、そう思えるから。


「まあ、ほらさ。あるじゃん、住む場所とか言葉とかぶちゃけお金とかさ。」

「ああ、うん。」
来客が帰った後、二人で合宿所のソファー。
「今日はもういいじゃん」なんて昼間っから缶ビールを持ち出したあたり、古森にとってもそれなりに重さのある話し合いだったみたいだ。


「まあ色々あったよな、この2年。」

「……うん。」
住む場所が変わって、チームメイトが変わって、食べるものとか話す言葉まで変わって、練習の仕方とか怪我や不調への対応まで、何から何まで環境が変わった。

「行ってよかったけどな、海外。」

「まあね。」
見知らぬ土地で感じたのは孤独よりも集中で、感情を削ぎ落として、雑音に耳を塞いで──地を蹴る脚、唸る背中の筋肉、この腕よ鞭となれ──身体と心が一つになる感覚。
それを思い出す。


「けどさ、」

「うん?」
珍しく口にしたアルコールのせいでぼんやりとした頭で考えると、ますます訳がわからなくなる。

「俺、なにやってんだろ。」

「なに、どういう意味。」
口調は軽いけど、古森も笑ってはいなかった。

「まあ、バレーしてんだけどさ。」

「うん、バレーな。」

「バレー。なんでバレーしてんだっけ。」
そこまで来て、ようやく古森が笑った。

「アハハ、それ言っちゃう?」

「いや、別にいいんだけど。」

ずっと、当たり前にそこにあった。
子どもの頃から傍にボールがあるのが当たり前で、学校とか放課後とか夏休みとか、その辺の記憶はほとんどバレーしかないってくらい。
好きとか嫌いとか頑張らなきゃとか、そういうのもわからないくらい当たり前だった。

どうするなんて聞かれなくても進む先はいつも決まってた。

だけど、それが息苦しい。
はじめて今、そう思った。


──ゆいの顔が、アルコールに霞む頭に浮かぶ。


「まあ、わかるよ。」
ゆいの代わりに笑いながらそう言ったのは古森で、

「ちょっと疲れた、みたいな。」

「……うん。」

「ちょっとだけな。」

「うん。」
言葉にするだけでラクになることもあるんだなんて、その時思った。


「うまくなりたいしな。」

「うん。」

「勝ちたい。」

「そうだね。」

「目の前に金ぶら下げられるとつられる。」

「……まあ、そうかも。」
長いこと付き合ってるけど、古森とこうやってキャリアのことを話すのは初めてかもしれない。


「そういえばさ、高校ん時のインハイ覚えてる?」

「どのインハイ?」

「2年の時のやつ!あの時の試合ってさあ、」

「ああ、あれ。俺も覚えてる。」

「だろ!なんでかすげー覚えてるんだよな、俺も。」

ポツリポツリと、それがいつの間にか思い出話になって、笑ったり声がでかくなったりして、随分と長い間そうして話をしていた。


何日かの間、俺たちはそうして過した。

考えたことを口に出して、それでまた考えて、時々酔っ払って古森と床に転がった。

甘えたい気持ちは確かにあって、すぐにでも駆けて行って「ゆい」って呼んで抱きしめたい。
「どうしよう」なんて思い詰めても、ゆいならきっと「まあいいんじゃない」って笑って抱き返してくれる気がして──。


だけど、俺は行かなかった。
行っちゃいけない気がしてた。

自分で自分がわからないままでゆいに会うことは、もうしたくなかった。

だって俺は──ゆいが好きだから。



──古森は俺をネガティブだって言うけど、そんなことない。
常に「最悪の事態」を想定している、それだけ。

予想の範囲、想定内、もしかしたらって思ってた。
それくらいには時間が経っていたし、それに俺とゆいを繋ぐものなんてお互いの名前と細い路地の家だけ。

だけど、やっぱり堪えるな。
覚悟してたって、ダメな時はダメだ。


ようやく出した答えをもって訪れたその家に、ゆいはもういなかった。
最後に会った日からは幾日も過ぎていて、ゆいがいつそこを立ったのかさえわからない。

主のいない家の前で立ち尽くして、夏の幻を思う。
蜃気楼に消えた、あの日の笑顔。


「部活、好きだった?」と聞いたゆいに、「好きだよ」と伝えたい。
今ならそう言えるから。

ねえ、ゆい。

俺は俺、ようやくわかったよ。
バレーが好き、だからトレーニングも練習も頑張れる、それを思い出した。

勝ちたい、負けたくない、うまくなりたい、もっと高く飛びたい。
だから俺は闘うんだってこと、思い出した。


ゆいに知って欲しい、俺のこと。
それで、ゆいのことが知りたい。

あの日感じた気持ちは、幻なんかじゃないって。
ゆいは確かにそこにいたんだって、もう一度教えて欲しい。


俺を知って、本当の俺を。

それでどうか応えて欲しい。
この声に、この言葉に、抱きしめたいと願う腕に──


「……会いたい。」

行く当てのない言葉が、終わりかけの夏の空気に溶けていった。


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