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□Southern Star 4

「えーと、スリッパ。」

「……別にいい。」
探しても見つからない様子に焦れたのかこれまた不機嫌そうに彼は言って、「そう?」と返した私に一瞬顔を歪めたものの板張りの廊下をひたひたと裸足でついてきた。

「そこ、クーラー入ってるから。」
障子張りの居間の前で、「どうぞ」と合図。

「涼しい」と小さく言った声を背中に聞きながら、彼のスニーカーを持って私は居間を突っ切ってその先にある縁側へ向かった。


「はーもー、超暑いし。」
開け放った縁側の引き戸、その先の庭に濡れたスニーカーを置いた。
丸まった靴下を伸ばして同じように縁側に干す。

(なにやってんだかな。)
よく知りもしない男の靴下を干しているという状況のシュールさになんとも居たたまれない気持ちになるけど、背中に突き刺さる視線は「ちゃんとやれよ」とさも当たり前のように私を見ている。


私がこんなことをしているのは、何も彼の靴を水浸しにしてしまったからだけではない。


「干した?」

「ああ、うん……。」

「じゃあ、やり方教えるから。」
縁側を背に居間に戻ると、ビニール袋から取り出した湿布やらテープやらを無造作に放って寄越した。

「ガーゼ巻いて、それで足首は90度。」

「う、ん……。」
庭先に現れた彼が手にしていたのは、ドラッグストアの名前の書かれたビニール袋。
ずぶ濡れの足に「あり得ない」とぶすぶすと文句を繰り返しながら、それから彼は言った。

『腫れたりしてないの。』

『え、』

『足、大丈夫なのって。捻挫を甘く見るなって、俺言ったよね。』

『え、あ……ええと。』

なんだろう、うまく言葉にできない。
「えー、なに心配してくれた系?」とか「ていうか、普通そこまでしなくない?」とか色々思いはした。

だけど、なんだか──強引な物言いの中に少しの戸惑いを滲ませる彼の表情に気づいた時、ひどくほっとしたようなあたたかい気持ちになった。


だって、悪いひとじゃないよね?


「違うって、下から上だって言っただろ。足首動かすなよ、それじゃ意味ない。」
そんなこんなで結局、私はこの男から謎に説教を食らっているわけですけども……。

だからって、

「もういい、貸せって。見てらんない。」

「え、ちょっと……!」

「なに、足触ったとか言うなよ。全然キョーミないから。」

「言わないけどッ!」

わかんない、わかんないよね。
「貸せ」と私の手から奪い取ったテープを使って、慣れた動作で固定していく手先。

へえ、器用なんだ。
なんて少しばかり見とれて、それからふと気付く。

本当、何してんのって話。
だって、これって奇妙すぎる。
ていうか、実は笑える気がしてきた。

「ふ、ふふふッ……!」

「……なに。」

「えー。」

暮らしはじめて数日の街。
知り合いなんていないこの場所で、どうしてか出会った風変わりな彼。

日焼けした黄色い畳の上で背中を丸めた背の高い男のことを、私は何も知らない。
今更のようにそれが可笑しかった。

「だって、変でしょ。」

「なにが。」

「何って全部。」
不信感たっぷりの黒目がこちらを見て、そのことにまた笑った。
不機嫌目一杯の視線が、睨むように私を見ている。

「あのさ、」

「え、うん。」

「言っとくけど、捻挫って要は靱帯の損傷なわけ。だいたいの場合は内側に捻って前距腓靱帯か踵腓靱帯が傷ついておこるわけだけど、外側だったりしたら重症化することだってある。三角靱帯が切れたりしたらそれこそ治るのにどれだけかかるかわかったもんじゃないし、要するに……。」

「わかった、ごめんってば!」
彼の台詞はまるで呪文のようで、言っていることの半分も私には理解できない。

「とにかく、あんたがあそこで行き倒れでもしたら後味悪いし、怪我が悪化して逆恨みされたりしたら困る。だから様子を見に来ただけ、文句言うなよ。」

「……文句なんて言ってないじゃん。」
反論したりしたらまた呪文を唱えられそうだから、諦めた。
だけど、やっぱり少し可笑しい。


なんだ、優しいだけじゃん。

なんて、思ってしまっている私がいるから。


「ねえ、」
疑う気持ちがなくなれば、今度は好奇心が沸いてくるというもの。

「もしかして、なにかスポーツやってる人?」

「なんで。」
赤の他人、見ず知らずの通行人、どちらかというと不審者、さっきまでは確かにそうだった彼の正体。

「だって、怪我がどうとかとか言ってたし、テーピングするのも慣れてる。」
それを知りたいと思って水を向けた。

「もしかして、有名な選手とかだったりして。」
テープを持つ手が止まって、少しの沈黙が訪れる。
だけど、彼の視線は畳の目をじっと見つめたままで──

「さあ。」
それからまた、テープを巻く動作が再開された。

「あんたが知らないんだから、違うんじゃない。」

「ふぅん。」
それきり、後追いはなし。
無理矢理知りたいわけじゃない。

それに、私だって十分ナゾの女だ。

はじめて暮らす街、はじめて会った男、その人と──はじめて過ごす夏の日。


「ねえ。今から卵サンドつくるんだけど、食べる?」

「はあ?」

「コーンスープもあるよ。ゴールドラッシュって、すごく甘いトウモロコシなんだって。」

笑って問いかけたら、ようやく目の前の顔が持ち上がった。
はじめて会った時のまま、神経質そうに寄せられた眉がじっとこちらを見る。


だけど、

「それって、作る時に手袋した?」
寄越された言葉に、思わず吹き出した。

「ッはは、なにそれ!しないよ……!」


息苦しいほどの高層ビル群、アスファルトの照り返し、真夜中でも消えないネオン。
そこから抜け出して、たどり着いた街。

日常のほんの少し外側、いつもの毎日の脇道。
ほんの少しだけの寄り道が、だけど心を溶かしていく気がした。


今日とか明日とか明後日とか、それが曖昧に感じられる。
いま、そう「今」だけを強烈に意識する。


「だけど、美味しいと思うよ。」

名前や職業なんかはどうでもよくて、今のあなたを知りたいと思ったのは──ねえ、夏のせい?


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