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■メリッサの福音

練習終わりのロッカールーム。

どことなく浮き足だったムードに包まれているのは、試合のない土日を後ろに控えているからだろう。
「飲みに行こうぜ」なんて会話がそこここで交わされていて、さっきまでの緊張感はどこへやら。


「なあ、佐久早も行くだろ。」

「う─ん。」

「いいじゃん、明日休みだし!」
別に行ったって構わないと思ってた。
俺だって、人が言うほどは付き合いは悪くない。

だけど、

「あ、」

「なに?」
期待半分で覗いたスマホの液晶画面。

『日本海上空をただいま飛行中です!』
なんてメッセージに、汗をかいた缶ビールの写真。
飛行機の座席を背景に手だけを写したそれは、整えられた女らしい爪のラインと相まってなかなかにシュールな出来だった。

電話したい思い立って、だけど飛行機の中だったってすぐに気づいて、アプリからメッセージを送る。


羽田?

うん、羽田

今から行く

え、まだ4時間くらい後だよ

じゃあ、4時間後にいく


さっきまで曖昧だった気分が急にすっきりして、頭の中でカチカチと予定が組み立てられていく。
今から部屋に帰って風呂に入って、飛行機がつくのは夜中だから、それまでに少し何か食べておきたいし──だから、

「ごめん、今日は行けない。」

「えー、なんだよ。」

だから、今からの俺はものすごく忙しい。


寮生活で週末は試合やら遠征やらの俺と出張の多いゆいと、こうやってまとめて会える週末は少ない。
だから会いたいし、会うんだったら一秒だって早く顔が見たい。

『部屋で待っててくれていいよ』なんて言葉は無視して、『何時につくの』と返事を送る。
一日繰り上がった予定にやたらとふわふわした気分になった。

「じゃあ俺、帰るから。」

4時間もあるのにってゆいが知ったら笑いそうだなと思いながら、ロッカールームを飛び出した。
背後でチームメイトの呆れる声が聞こえた気がしたけど、そんなのは気にならなかった。

多少変わってると思われてる方が、いっそ都合がいいこともあるんだよね。




「……早く着きすぎた。」

残り数便となった到着予定をボードで確認して、独り言。

夜の空港って、少し不思議な雰囲気だ。

駅なんかみたいに混んでたり賑やかだったりしない、昼間みたいに旅行客の浮かれた雰囲気もない。
広い空間の中で淡々と時間が刻まれていく感じが、どこか居心地が良かった。

椅子に腰掛けて、しばらく行き交う人を眺めていたけど、退屈して目を閉じた。
そうすると、今日一日の練習のことなんかが甦ってくる。

レシーブは良かった、だけど肝心のスパイクがいまいち。
身体が重い?テンポが合わない?えーと、どんな感じだったっけな。

頭の中にボールの音。
いつの間にかそればかりになって、思考がマイナスに引っ張られそうになった時だった。


「聖臣!」

ぱっと明るく開けた視界に、笑顔のゆいが飛び込んできた。

「ふふ、寝てた?」

「寝てない。」
可笑しそうに笑って、正面から俺を見る瞳。

「でも、ちょっと考え事してた。」

嬉しい。
声が聞けた、顔が見れた、やっぱり迎えに来て良かった。
考え事とか悩みなんてもう消えてしまった、だって今はゆいが一番大事だ。


「荷物、持つよ。」
椅子から立ち上がれば、視線の位置が逆転する。
スーツケースを受け取ると「ありがとう」と、ゆいが俺を見上げて言った。

「ねえ、今日ってさ。」

「予定より早く終わったから、フライト前倒ししたの。」

「なんで。」
言わせたいって思った俺の意図はゆいには筒抜けで、

「一日早く会えるかなって。土日オフって聞いてたから。」

「うん。」
お見通しって顔だけど、それがなんとなく嬉しい。
ゆいも同じ気持ちだったってこと、少しでも早く会いたい、一秒だって長く一緒にいたい、そういう気持ち。

本音で言えば、結婚したい。
というか会うたびにほとんど毎回言ってる気がする。

一緒の家で暮らしたい。
寮での生活が不満ってわけじゃないけど、ゆいと一緒の方がいい。

告げるたびに「聖臣と私にはまだ早いんじゃないかなあ」とゆいに言われてしまうから、本当にできるのはいつになるかわからない。
だけど、この気持ちは本当だから、こんな風に誰かとずっと一緒にいたいって思ったのって初めてだから、だから俺はゆいと結婚すべきなんだって思う。

「まだ早い」の理由、年齢なのか立場なのか、それとも時期の問題なのか。
もしもそれ以外だったら、立ち直れる気がしない。

だから、ずっと聞けてない。
答えを知って絶望したくないから、なんて本当どうかしてると思うけど、でもそれが本当のところ。


さっきみたいにさ、ゆいも同じ気持ちになってくれたらいいんだけど。
──できるだけ早くにさ。


「さすがに空いてる。」
もうすぐ23時、深夜のモノレールは通勤客も旅行客も少なくて人影はまばらだ。

「JRも空いてるといいけど。」
混んだ電車なんて最悪って顔を歪めたら、ゆいに笑われた。

満員電車は大嫌い、人混みなんて行きたくない。

だけど、ゆい──知ってる?
俺、ゆいとなら割とどんな所だって平気なんだよ。

苦手だった場所がイヤじゃなくなったり、時々は行ってみたいなんて思えたり。
一人でいると偏りがちな考えだって、ゆいと会えばいつの間にかリセットされてる。


「聖臣、シャンプーの匂いする。」

「……ゆいは飛行機の毛布の匂いだ。」
隣に座るゆいの髪をくんくんと嗅いで、それから左手をそっと伸ばす。

「あはは、そうかも。」
確かめるみたいにつないだ手。
伝えたい、どうか伝わって、この気持ち。

「ねえ、」

左の肩に寄りかかった、ゆいの頭の重み。
許されてると思えば、そのことにまた──溢れ出す。


「結婚して、ゆい。」
もう何回目かなんてわからない、お決まりのセリフ。
何百回、何千回言ったら叶うのかなんてわからないけど、今日もやっぱり言ってみる。

だけど──

「……うん、しよっか。」

お決まりの言葉に返ってきたのは、お決まりじゃない言葉で。

「え、」

「うん?」

「ゆい……!い、今さ……!」
飛びつくみたいにのぞき込んだゆいの顔、その笑みが深くなる。


「しよっか、聖臣。」

「……ッ!」
冗談のつもりなんてないし、俺はいつだって本気。
だけど、まっすぐに返された言葉に、思わず頭の中がフリーズした。

「い、いいの?」

「うん。」

「本当に?冗談とかじゃないよね?」

「うん。」
もっと嬉しい気持ちになると思ってたのにビックリの方が大きくて、そんな自分にまた面食らったりする。
人生って本当、予想外、予定外、自分のことだって案外よくわかってない。


「そ、そっか……。」
一旦落ち着け!って、背もたれに戻ってゆいの手を握り直す。

「ふふ。」
握った手に、いつの間にか汗が滲んでいた。

「ゆっくりでも、いいよ。」
ゆいがそう言って俺の手を握り返して、だけど慌てて首を振った。

「すぐ、する!」

「そう?」

「うん。」

でも、なんで──


「今日ね、」
問いかけるより早く、寄越された答え。

「本当は仕事ですっごくイヤなことあったの。だから、早く帰りたかった。」
空港からずっとゆいは笑ってたから、俺は全然気づいてなかった。
驚いた俺に、ゆいは少し眉を下げて、

「でも、聖臣に会ったら……そんなのどうでもいっかなって、思えちゃった。」
そう言って見上げていた目蓋を閉じた。

顔を見れば、笑顔になれる。
触れ合うだけで、満たされる。

一緒にいたら、強くなれる。

ゆいも同じ気持ちなんだってこと、その事実がまた──世界を変えていく。


だってほら、深夜まで賑やかな乗り換え駅のコンコースも。
酔っ払い客の騒がしい声も──いや、やっぱこれは無理だな。

「タクシーにしよっか。」
改札の手前、ゆいはそう言って苦笑して、だけど一度離れてしまった俺の手を取った。


「早く帰りたいしね。」

「うん……!」
その言葉だけで、また気分は上昇。

帰ろう、早く帰りたい。

それで、キスしたい。
シャワーを浴びて、キスして、それから二人で眠ろう。


明日のこと、それからもっと先のことなんかの話をしてさ。

ねえ、ベッドは大きい方がいいよね。
それから、カーテンは絶対遮光がいい。
ロボット式の掃除機ってずっと欲しいと思ってたんだ。

ゆいが欲しいものはなに?
一緒に買いに行こうよ。

二人でなら、きっとどんなことだって楽しい。


それにさ、もしも何かつまづいた時は──少しだけ俺を信じてみて。
まだまだ頼りないかもだけど、きっと俺は強くなるから。

俺が感じてるみたいに、ゆいにも感じて欲しい。
楽しい、嬉しい、すっげーほっとする、そんな風に思って欲しい。


きっと頑張るから。
ゆいのためだったらさ、俺は何にだってなれるから。


だから、

「明日さ、どうしよっか。」

「そうだなあ、」

明日も明後日も、それでこれからも──


ずっと一緒にいてよ。


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