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■透明な媚薬 7

いつからなんて、わからない。
どうしてなんて、もっとわからない。

いつの間にか、捻じれて拗れて、出口が見えなくなってしまった。
もしかしたら最初から、そんなものはなかったのかもしれない。

出口のない迷路、正解のないゲーム。
三日月が俺のものになる可能性なんてほんの少しだってなくて、全部が独りよがりの虚しい三文芝居──それだけ。


だけど、それでも。
それでも俺は、三日月が好きだ。


居酒屋での一件以来、スガからの連絡はない。
俺からもしてない。

スガは俺の一番の親友で、誰よりも信頼している相手で。
だからこそ、三日月のことを紹介した。
三日月が幸せになってくれるなら、それでいいと思った。

だけど、今は──純粋な気持ちだったと言い切ることができない。

心を閉ざした三日月、その素顔が見たい。
もう二度と傷ついてほしくないと思う一方で、今度こそ三日月に触れるチャンスがあるかもしれないと思っていた。

──俺はスガを、一番の親友を利用したのかもしれない。



「あ、俺半蔵門だから。」

「そっか、じゃあここで。お疲れ!」
代わり映えのしない面子だが、集まる間隔は開くようになっていた。


いつもの同期会。
本社を離れるやつ、海外赴任、結婚、出産。
仲間たちのステージが変わっていくのを感じている。

それでも集まれば仕事の話ばかり。
家庭の話を持ち込むやつはいなくて、昔話はしてもいつだって前を向いてる。
古い時代の企業戦士にでもなったつもりで、熱く語らうのだ。

熱気を忘れないために、見え隠れするキャリアの天井に挑む恐怖を少しでも拭うために、俺たちはまだ戦うんだってお互いを鼓舞して。


『シンガポール?』
それを聞きながら平静を装うのは、少しばかり根性が必要だった。

『うん、ちょっと検討中。』

『マジか、いい話じゃん。今熱いだろ、ASEAN。』

『だよね。まあ、食事も美味しいしね。』

『それ、ロンドン5年の俺に言うかあ?』

『アハハ。』

いつだって前向きな同期同士の会話。
その中にあっては、別に不自然じゃない。

──三日月に、海外赴任の話が来ている。

「受けるべきだ」という連中しかここいはいない。
決めるのは三日月だとわかっているのに、それでもヤキモキした気持ちを抑えられない。

「行くのか?」と聞けず、「行くなよ」とは言えるはずもない俺は、ただ黙ってその話を聞いていた。



結局、その話は一度出たきり。
遅い時間になってようやくお開きになるまで、話題を変えて熱い議論は続いていた。

その帰り道。
地下道で手を振って家路につく同期たちを同じようにして見送って、だけど意識は三日月に向けたまま。

「澤村くんとは逆方向だよね。」
同じ路線、だけど行先は逆。
それがなんだか俺と三日月の関係を表している気がして、皮肉に思う。

近くて遠い、三日月との距離。
一瞬交わってもまた離れてしまう、そんな関係。


「おう、そうだな。」
同じ路線だから、ホームまでは一緒だ。
改札までは200メートル、一人で歩くには億劫な距離だが、今の俺には短すぎる。


今が良かったのかわからない。
それもそうだ、正解なんか最初からないんだから。

半ば衝動的に、三日月を引き留めていた──。


「なあ、」

「うん?」
少しだけ話せるかと言った俺を、三日月は拒まない。
「明日にしてよ」などとは言わない律義さになんとなく苦笑い、だってこれで逃げ場はついになくなった。

覚悟なんてない。
失うのは、いつだって怖い。

自分の卑怯さを責められでもしたらと思うと、足元がぐらついてひどく不安だ。


「酔ってる?」
三日月が聞いてくる。

「いや、そんなに飲んでない。」
そう言いながら、本当にそうかといえばわからない。
長い時間の酒席だったし、それなりには飲んでいたと思う。

だけど、頭は冴えていた。

「……三日月。」

深夜のコンコース。
コーヒーショップも閉まってしまって、三日月を呼び止めたものの収まる場所は見つからない。
居心地の悪い構内で、二人並んで壁にもたれた。


「シンガポールに行くのか」と本当は聞きたかった気がする。
だけど、口をついて出たのはまるで違う言葉だった。

「あの時さ、」

「あの時?」

「三日月が、自分が怖いって……俺に言った時、覚えてるか?」

どうしてその時のことを話そうと思ったのか、自分でもよくわからない。
だけど、もし戻れるのならあの日まで時間を巻き戻して欲しいと思っていたから、だからその話をしたんだと思う。

「……うん。」
昔話かもしれないその話題を、三日月が受け止めてくれたことにほっとする。
もし茶化されでもしたら、それで即終了。
それくらいはわかっていたから。


「俺、間違ってたよ。」

吐く息が、ひどく熱かった。

けれど、やっと言えた言葉に深い安堵を感じていた。
それに、三日月が聞いてくれているという事実にも俺は安心していた。


「いい加減な気持ちで言ったわけじゃないんだ。だけど、三日月の気持ちを俺は知ろうとしてなかった……知るのが怖かったのかもしれない。」

”他人を悪く言うのはよくない”とか”三日月らしくない”とか、そんな上っ面の言葉。
三日月は、「聞くつもりがない」ときっと受け取ったと思う。
だけど、違うと伝えたかった。


「結婚とかさ、経験がないから俺にはその重みがよくわからなかった。それを三日月だけが知っているのは少し嫌だったし、それに、」

こんなことは言いたくない。
三日月の前では、格好つけた男でいたい。

それでも、俺は自分をさらけ出すことでしか三日月に誠意を示せない。
本心を告げてくれた三日月に応えるには、きっとそれしかない。


「受け止めきれる自信がなかったんだ。おまえはいつだって俺の憧れで、それで……。」

──ずっとおまえが好きだったから。


「俺の好きな三日月でいて欲しいなんてどうかしてる。だけど、俺は格好つけていたかったし、おまえには綺麗でいて欲しかったんだ。本当にこんなの……どうかしてるよな。」

だから、後悔してた。
ずっとずっと後悔してた。

ちゃんと聞いてやればよかった、一緒に考えてやればよかった。
三日月が打ち明けてくれた思いに、応えればよかった。

憧れるだけが恋じゃないと、今なら言えるのに。


「なあ、スガのこと……なんとも思ってないのか。」

好きだと言った後に他の男の話をするなんて、自分でも間抜けだと思う。
だけど、俺はもうみっともない自分も卑怯な自分も隠すべきじゃないと思っていた。

破れかぶれのラストゲーム。
こんなことしたって、後味の悪さしか残らないかもしれない。
退くことだって大人だってわかってる。

それでも伝えたかった。
悪あがきでもいいから、ただ伝えたかった。

苦しくて、しんどくて、それでも俺は──三日月を想ってる。


「……菅原くん。」
ただ名前だけを繰り返すのみの答えで、三日月の考えは読み取れない。


「アイツ、本当にいいヤツだろ。多分、俺が知ってる限り一番いい男だ。優しいし気遣いができるし、嘘とか虚栄とか、そういうのが本当に一切ない、真っ直ぐなヤツなんだ。」

ずっと昔から知ってる、親友。
唯一無二だって思う相手で、それでスガもまた──俺の憧れだった。

「綺麗なんだよ、アイツは。」

澄んだ水。
まるで、そう。
アイツの笑顔はいつも真っ直ぐで、透明で、だから「強い」。


「……そうだね。」
短いつぶやきの後、三日月が言った。

「私もそう思ったな、綺麗な人だなって。だからなんか、ありのままを見せてもいいような気がして、だけどそれがちょっと怖い気もした、だって……私はそんな綺麗じゃないから。」
黙ったままで会うのが辛くなって、離婚のことを告げたのだと三日月は言った。
その時のスガの反応も聞いた。

「いい加減なことは言わない人だよね。だから、困らせちゃったなって思った。」
三日月の視線は、足元に置かれたまま。
薄汚れた灰色の地面、それをじっと見つめていた。

「否定されるのが怖くて、逃げちゃった。”よく考えたけど無理”とかね、もし言われたらキツイなって。」

「そう、か。」

「ごめんって思ってる。」

三日月は違うというけど、やっぱり三日月も──綺麗だ。
自分の弱さを認めることができるのは、本当は強者だけだと俺は思うから。


「ちゃんと話したら上手くいくんじゃないかって思うよ。」

俺も、強者でありたい。
三日月の心に相応しい心を持ちたい。

だから、告げた。

「だけど、それでも言いたいんだ。」

傷ついてもいい、ちゃんと向き合いたい。
いい男でいられなくたっていい、本当の俺を知って欲しい。
蔑まれても拒まれても、それでも──この想いだけは汚したくないと思うから。


「ずっと好きだったし、今でも好きだ。俺は、三日月が好きだよ。」


言えなかった、言わなかった。
俺は卑怯者で、何もかも今更で、本当にもう出口なんかないのかもしれない。


それでも、この気持ちだけは──混じりけのない想いだと。

それだけを伝えたくて。


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