■友達の領分
「だってさ、そんないいよばっか言ってたら彼女じゃなくない?」
学級日誌を書き込んでいたペンを止めて、三日月が顔を上げた。
「うーん、まあな。」
「でしょ?そんなん都合のいい女とかじゃん。」
「ああ、そういうやつな。」
わかるわかると相づちを打ちながら、「怒ってんのも可愛いな」なんて実は思ってる。
三日月ゆいと俺は、クラスメイト。
うん、クラスメイトだ。
それ以上でもそれ以下でもない、残念ながら今のところ。
仲がいい方だとは思う。
クラスの中じゃよく話す方だし、たまに一緒に帰ることもある。
たけど、毎日LINEするとかそういうワケでもない。
まあ友達ってこと、それ以上の言葉は俺たちの関係には当てはまらない。
「ええと、それで4限の化学ってなんだっけ?」
「電気分解。」
「あ、そだった。てか全然わかんなかったけど。」
「マジか、わかった顔してたけど。」
言ってしまってから、マズイと気づく。
そんなこと言ったら、授業中に三日月のことを見てたのがバレんじゃん。
「うん、そういうの割と上手い方かも。」
だけど、三日月はそんなこと気付きませんって感じで笑って、
「なんでちょっと得意げなんだよ。」
「えー、だって。」
そんなところが可愛いなってまた思ってしまうから、俺って本当に三日月のこと好きなんだと思う。
いつからなんてわからない。
気付いたら、好きになってた。
最初から気になってたような気もするし、もっと話したいっていつからか思ってた。
正直今は「普通」のフリをするのが精一杯で、気を抜くと授業中でも三日月のことばかり見てしまうからちょっと困っている。
「よし、6限まで書けた。あとは……今日なんかあったっけ?」
「うーん、あったっけな。」
あった、俺にはいっぱいあった。
三日月と一緒に日直で、黒板消したりレポート集めたり、それでこうして日誌も書いてる。
いつもよりたくさん話して、この後実は「お疲れ」なんてLINEしようと思ってる。
「なんもないよね。」
「特になし、だな。」
俺の言葉通りに書き付ける三日月の手元を見てた。
爪の形がキレイ。
これ、新発見。
指が長い、動きがエロい。
うん、ちょっと。
「よし、終わり!じゃー、先生に出して帰りだね。」
「だな。」
終わり、だけどそれが名残惜しい。
「あ、古森は部活か。じゃあ、私出しとくよ。早く行かなきゃでしょ。」
「いや、いいよ。なんかあったらアレだし、俺も行くって。」
大丈夫って三日月は言うけど、一緒にいたいんだから譲るつもりなんてない。
「優しいなあ、古森。」
「……お、う。」
なんか、照れる。
そんな風に言われると、ぶっちゃけちょっと照れる。
別に優しいワケじゃない。
三日月と一緒にいたいだけ、だけどやっぱりそう言われると嬉しい。
「三日月の優しいの基準低いな。」
気恥ずかしくて。
だから、そう言ってからかったら、
「えー、そうかな。だって、私のカレなんてさあ、」
あ、やっぱソッチいっちゃう?
うーん、今のは失敗だった、三日月の彼氏の話なんて聞きたくないのに。
「そう怒んなって。」
「怒るよ。」
彼氏が女友達と遊ぶのがイヤだって話、さっきから三日月の話は何度もそこをループしてる。
「だってさあ、友達だからって二人で会うのおかしくない?」
「うーん、そだな。」
イヤなら別れればなんて言えないし、だけどアドバイスなんてしたくない。
三日月が傷つくのとかはイヤだけど、敵に塩を送ってやるほど俺はお人好しじゃない。
「男女の友情は、的な。」
「そう、それ!」
ペンケースをスクールバッグに片付けていた三日月が振り返って、ビシリと指を指した。
「あはは、青春だなあ。」
「何ソレ、もう。」
三日月がまたむくれるから、心の中で一言「そんな男やめちゃえば」なんて。
「じゃあさ、」
日誌を手にして立ち上がった三日月に合わせて、俺も椅子をしまった。
「じゃあ古森は?古森は彼女いても女の子と遊びにいく系?」
このまま職員室に向かうには名残惜しくて、だから足を止めて答えた。
「いかないよ。」
三日月の目を見て、言ってみる。
俺ならいかないよって。
三日月のこと大事にするし、悲しませたり心配させたりしないよって。
そんなこと言えるはずもないけど、心の中は雄弁だ。
「……だよねえ。」
少しだけ、少しの間だけ三日月は俺をじっと見上げて、それからため息と同時にそう言った。
それで終わりだと思った。
今度こそ二人で日誌を出しに行って、職員室までの廊下もきっと三日月の愚痴を聞いて、話のわかる男友達のポジションで今日も終わり。
ずっとそうしてきたし、別に普通のこと。
だけど、
これは──三日月がいけない。
「古森はさ、彼女とかいないの?」
それ、俺には聞いちゃいけないヤツだって知ってた?
「……いないよ。」
目の前にいるのは、いつもの三日月。
俺の気持ちなんてまるで知らない、いつもの三日月。
安心しきった顔で俺を見て、自分がどれだけ俺の心をかき乱してるかなんて知りもしない。
いいんだ、それでいい。
三日月と俺は友達で、それでいい。
玉砕覚悟の告白なんてしたくないし、三日月の彼氏から奪ってやろうとか別にそんなつもりもない。
そんなつもりはないんだって思ってた──この時までは。
だけど、
「そうなんだ。でもなんか勿体ないね。」
そんな風に三日月が言うから。
「古森って優しいし、背も高いし格好いいじゃん。」
ああ、ホラ。
そんな風におまえが言ったりするからだぞ!
──喉が、ヤケに乾く。
「でも、好きな子ならいるよ。」
気付いたら言っていた。
割りかしマジな感じで、うわちょっと痛いかもって感じで、そう言ってた。
なのにさあ、
「マジでっ!」
──まったく人の気も知らないで。
飛びつくように聞いてきた三日月に苦笑い。
「マジマジ。片思いだけどな。」
こうなると、いっそ笑えた。
だから、これは開き直り。
「えー、うそ。」
「ホント、全然相手にされてねーの。」
「えー、信じられない。」
そうだよな、信じられないよな。
こんな風に笑って話してるのにさ、実は俺がおまえに必死って知ったら──三日月はどうする?どうすんの?
そう思ったら、ちょっと笑えた。
ああ、だけど。
これ以上は分が悪い。
「じゃ、そろそろ行こうぜ。職員室。」
だからそれで、切り上げようとしたんだ。
うん、だから
この先は──本当に三日月がいけない。
「あ、うん。」
そう言って、俺の後を追いかけながら、
「ねえねえ!相手の子は古森の気持ち、知ってんの?」
俺が終わらせようとした話題なのに、やたらと三日月の食いつきはいい。
「んーん、知らないんじゃない。」
「えー!じゃあ、言ってないんだ。」
「そうだね。」
言ったところでどうにもならない。
それどころか気まずくなるだけ、だから言ってない。
それなのにさ、
「なんで言わないの?」
「んー、なんでだろ。」
「勿体ないって!」
またそんな風に三日月は言う。
ホント無責任だな、おまえ。
これ、おまえのことなんだぞ?
「うーん、自信ないから……かな。」
放課後の廊下。
人気のないそこに三日月の賑やかな声だけがよく響く。
「そんなのって本当勿体ないってば!」
さっきからなんなんだよ、おまえ。
勿体ない勿体ないって、三日月はもったいないお化けかっての。
ああ、でもお化けならいいよね。
おまえが本当におばけでさ、もしかして俺をさらってくれるならそれはそれで悪くない。
「ふぅん。」
「ふぅんてなに?」
「いや、三日月ってイヤに俺を推すんだなって。」
「当たり前じゃん!古森、超いいやつだもん。」
なにがきっかけだったんだろう。
もういっかなって思ったような、意外といけるんじゃないかって思ったような。
だけど、確かに──箍が外れた。
「じゃあさ、言っといてよ。」
「え、」
「文句しか出てこない彼氏となんか別れて、俺と付き合えばって。」
三日月の目が俺を見てる。
すぐ横を歩いてる視線が、俺を見てるのがわかる。
「それって、私の知ってる子って……こと?」
どんな顔してんのかな。
三日月のことだからさ、キラキラわくわく、野次馬根性丸出しって感じ?
そう思って、
「うん、そうかも。」
そう思って、三日月の顔を見た──。
「あ、」
だけどその顔は、俺が想像してたやつと全然違ってた。
三日月が顔を真っ赤に染めるのと、俺の体温が急上昇するのとは──ほとんど同時だったと思う。
「こ、古森……。」
耳まで赤い、三日月の顔。
これを嬉しいと思わずして、どうする……!
「うん。」
いつの間にか、大きく膨らんでいた気持ち。
隠しきれなくて、黙ってなんかいられなくて、いっそ暴かれてしまえばいいと願っていた。
困らせたくない、だけど欲しい。
我慢なんてできない、だけど無理強いはしたくない。
行ったり来たりの繰り返し。
だけど、もう待ってなんていられない。
友達の領分なら、俺の気持ちはもうとっくにはみ出してる。
──それを、知った。
「そ、ういうことだから。」
告げた声はいまひとつ締りがなくて、ちょっと決め切らない。
緊張と興奮と──それから、期待。
多分俺も真っ赤で、格好なんて全然つかない。
「考えといてよ、三日月。」
「うん」と答えてくれた三日月の顔を、世界で一番可愛いと思った。
二人して赤い顔をして訪れた職員室で先生は怪訝な顔をしていたけど、それはそれ。
だってさ、今の俺は俄然無敵。
なあ、三日月。
返事は早いほうが嬉しいな。
だってさ、楽しい時間は少しでも長い方がいいだろ。
だから、聞かせて。
俺の声は、三日月に届いてる──?
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