■はじめのいっぽ
「岩泉くん、岩泉くん!」
「あのね、岩泉くんお願いがあるんだけど!」
自分は相手のことなんて知らないのに、相手は俺のことを知っているなんておかしなことだが、そういうことは意外と多い。
見知らぬ女が俺の名前を知っている理由。
それは、簡単だ。
「あの、コレ……及川くんに渡してもらえますか?」
……まただ。
いつものことだと思ってしまうのだから、慣れというのは恐ろしい。
幼なじみの腐れ縁。
友達なんて絶対に呼びたくないが、とにかくガキの頃からずっと一緒の及川徹は腹の立つ男だ。
調子がよくて、根性捻くれていて、何が本気でどれが遊びかわからない。
そんな男のどこがいいのかとはまったく思うが、残念なことに及川は女にモテる。
「ああ、わかった。」
今日もまた、見知らぬ女から預かった手紙を手に部室に向かう。
手紙を及川に手渡せばまた調子に乗ってアレコレ言うだろうが、それもいつものこと。
一発殴ってやれば大人しくなるし、第一もう慣れた。
仕方なしに受け取った手紙をスポーツバッグに突っ込んで、廊下を歩く。
その時だ。
「岩泉っ!」
「三日月。」
軽快な足音と弾む声。
「部活、一緒にいこ!」
えへへと笑った顔が俺を覗き込む。
三日月ゆいは、俺や及川の同級生であり───バレー部のマネージャーでもある。
高校に入学して2年と少し。
勉強熱心で明るい性格の三日月はチームに欠かせない存在だ。
実際俺も頼りにしている。
頼りに──……それだけなら良かったのだが、最近は別の種類の感情を自覚してしまったのだから始末に悪い。
そんなもんは部活の邪魔だ。
それ以前に、俺が三日月とどうこうなる確率なんて───ほとんどないようなもんだろう。
「岩ちゃん!ゆいちゃん!おっつかれさん!」
「………。」
せめて少しの間くらいこの空間に浸らせてくれと願うも虚しく、聞き慣れた騒音が俺を襲う。
「チョット!無視はよくないよ、無視は!」
「ゆいちゃん今日も可愛いね!」
「ね、岩ちゃんもそう思うよね?あ、でもダメだよーゆいちゃんは俺のなんだからね!」
……ウザイ。
ウザイしうるせぇ、少しは黙れクソ及川。
大型犬が尻尾を振るみたいに飛んできたソイツに、思わず眉間に皺が寄る。
本当は───別に及川が嫌いなわけじゃない。
バレーに関しちゃ真面目なヤツだし、軽いのは調子だけでそんなに中身は悪くない。
だから、俺だって長い間一緒にやってきたんだ。
ちゃんとわかっている。
わかっているのだが……最近は、少しばかりマジにイラついてしまっている俺がいる。
それは、
「ゆいちゃん、今日部活の後駅前のカフェ寄らない?」
この男一流の態度のせい。
「あー、でもあたし勉強あるし。」
「勉強?さすがゆいちゃんエライねぇ。じゃあ、30分だけ。ね、ちょっとでいいから寄り道しようよ。」
「や、でも早く帰らないと親も心配するしさ。」
「わかった!じゃあ、ゆいちゃん家のバス停まで送っていい?」
「……3人で駅までなら。」
「やったー!一緒に帰ろうね!絶対だよ!」
どこまでが本気で、どこからが冗談か。
「今日も大好き、ゆいちゃん!」
岩ちゃんも大好きだから拗ねないでね!と笑った及川の頭を一つ叩いてやると、
「暴力はんたーい!」
と今度は泣き真似をした。
『ゆいちゃん大好き。』
俺をイラつかせる原因。
及川と三日月がくっついちまうんじゃないかって心配なのか、そんな風にストレートに言えるヤツが羨ましいのか、それともただ単に及川がムカツクのか(結構ありえる)、自分でもよくわからない。
ただ、及川の態度にムカついて───そんな自分にはその倍腹が立った。
「クソ川。」
「ちょっと、岩ちゃん。俺の名前はですね!」
「手紙、女から。」
先ほどの女から預かった手紙をずいと差し出してやる。
そうすると、
「え、またぁ?困ったなーモテる男は辛いよねぇ」
などと軽口を叩いて受け取った手紙を開くと、
「ふーん。」
とか、
「へーえ。」
とか言いながらニヤニヤと中身を読み始めた。
……ったく節操のないヤツ。
とはいえ、これもいつものこと。
及川の様子にため息をついて、チラリ……さりげない風を装って覗いた三日月の顔。
(え……。)
そこに、「あからさまにほっとした顔」を見つけて俺は愕然となった。
───三日月は、及川が好きなんだろうか。
女からの手紙を軽くあしらう及川に安心したとでもいうような表情を、俺は見てしまった。
胸の奥をドスンと叩かれたような痛みが走る。
ああ、知らなきゃよかった。
こんなことなら、今ここで手紙を渡すんじゃなかった。
だからわかってたのにな、こんな感情は部活の邪魔だって。
そう思って、
いや、思ったのだけれど───……
「……岩泉。」
隣から見上げた視線。
それは、さっきのショックが消し飛ぶくらいに俺の心臓を直撃した。
困ったような、照れているような表情の三日月。
だって、こんな顔は……見たことがなかった。
ドキドキドキドキ……
心臓、うるせ───!!!
ちょっと黙れ!
心だけは賑やかに、けれど黙って見返した先で、
「よかった。」
「え?」
「さっきの、」
小さな三日月の声は、前を歩く及川には聞こえない。
その声が、
「女の子から手紙もらってるの、見ちゃったから。岩泉にかと思った。」
確かに、そう言ったのだ。
「………!」
え、ちょ!
ちょっと待てよ!
それってどういう……どういう意味だッ??!
「お、俺なワケねぇじゃん!」
急に大きな声を出した俺に、三日月だけじゃなく及川までが振り返る。
「えー、何?岩ちゃんどーしたの?」
「なんでもねぇッ!」
「いやいや、何?もしかして今更俺に嫉妬?もー慣れたでしょ、俺の方がモテるのは。」
へらへら笑う及川に───なぜだか今は救われた気がした。
だってさ、
「うっせークソ及川、ぶん殴るぞ!」
「てか、いつも殴ってんじゃん!」
今は三日月の顔なんて、マトモに見れそうにない。
ああ、だけど。
だけど……、
『やっぱり今日は二人で帰ろう』
って、後で三日月に言ってみようか……なんて。
俺が決意を固めるまで、あと5分。
5分だけ、もう一度考えてみよう。
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