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□憂鬱なスピカ 8

照りつける日差しに目を細める。

スーパーで買ったビールの缶が、ビニールの袋の中でカチリと鳴った。
日曜の午後にロング缶2本。
誰かと飲むワケじゃない、だけど必要かなと思った。

汗をかいたビールの缶を冷蔵庫に閉まって、クーラーの電源を入れる。
GAPで4割引のワンピース、誰のためでもないファッションが開放的な気分を演出する。

スマホの画面をスワイプして、ブックマークを呼び出した。
カラフルな画面に、連日の試合日程が並んでいる。


今年は、オリンピックイヤー。
世界中が熱狂する4年に一度の夏の祭典。

「まだちょっと時間あるな。」
そう思ったけれど、テレビを点ければ中継番組はとっくに始まっていた。

『試合開始まで、残すところ30分となりました!』
興奮気味に伝えるスポーツキャスターの横で、テレビでお馴染みのタレントが力強く頷いた。

春に行われた予選大会で、全日本男子チームは数大会ぶりのオリンピック出場を勝ち取った。
そのメンバーによく知った名前を見つけた時は、素直に嬉しかった。
ほっとしたという方が近いのかもしれない、とにかく「よかった」と正直に思えた。


「よかったね」とも「頑張ったね」とも、私は言わなかった。
なぜなら──身体を重ねたあの夜以来、1年以上私は侑に会っていない。

嵐のように訪れた非日常は、翌朝の朝日とともに消えていた。
求め合う理由も与え合う理由も最初からなかったように、それでも私たちは笑って食事をして、その日の昼に別れた。

それきり、侑からの連絡はない。
私も、連絡していない。

不思議と感情は穏やかで、あっさりと戻ってきた日常の中で変わったものはたった1つだけ。
侑の試合をチェックするようになったこと。

ネットで結果をチェックして、スポーツ記事を読むだけ。
それ以上はしない。
「宮侑」の文字を画面に見つけると、ほんの少しドキリと鳴る胸。

だけど、それだけ。
見守るなんて大げさなものじゃない。
気になるからチェックしている、ただそれだけだった。


それでも、翌年のナショナルチームに復帰したという記事には感じるものがあったし、オリンピックの出場を勝ち取ったという報道にはしばらく興奮が消えなかった。

そして、夏。
画面の中で躍動する侑を見た。


『はじまるね、3位決定戦!』
テーブルの前のスマホが震えて、同僚からのメッセージ。
久しぶりの本戦出場から決勝トーナメント進出、そして準決勝へ進むという快進撃に沸いているのは何も私だけではない。

日本中、いや世界中がこれから始まる試合に注目している。

『ビール買ってスタンバってるよー。』
スタンプをつけてメッセージを返せば、笑い転げるキャラクターが返ってきた。

日本中で試合を見守る大勢の観客の一人、それが今の私の立ち位置。
もちろん同僚たちにも、コートの中心に立つ彼が自分の知り合いだなどということは言っていない。

ビールとポテトチップス、それくらい暢気な観戦者でいい。



これまでの試合のダイジェスト映像の後、試合開始を告げるメッセージとともに大会ロゴが画面いっぱいに映し出された。

コートに響くホイッスル。
燃える赤が躍動する。

『悲願のメダル獲得に向けて、試合スタートです!』

殊更に暢気さを強調するようにビールのプルタブを開けたのは、無用な感情移入をしたくなかったからかもしれない。


センターラインからのアタックで口火を切った日本の攻撃は、相手を前後に揺さぶるサーブで攻めどころを変えながら巧妙に展開していく。
平均身長では、相手チームに及ばない。
それでも精緻に組み立てられた作戦がキッチリと機能しているようで、相手レシーブを乱しながら試合を優位に展開していった。

緊張する場面は、幾度もあった。
渾身のバックアタックがブロックに封じられ、次いでサーブミス。
流れが変わるのではという場面では、聞く人がいるわけではないのについ声が出ていた。

「お願い、渡さないで……!」

テーブルの上で震えるスマホも無視して、テレビに齧り付く。

『嫌な流れを断ち切りたい!ここでセッター宮、誰を使う?!』
解説にも熱が籠もる。

『もう一度センターから!強気のセットアップ……決まった──ッ!』


第一セットを押し切って、第二セットは互いに譲らない展開。
それでも2セットを連取。

運命の第三セット、24-20のセットポイント。
あと1球が決まるまでの間は、まるで時間が止まったように感じるほど──。


『レフトから強烈なアタック!これは止められません……!』

最後はブロックアウト、それで試合が決した。

激戦と思われたメダルを賭けた一戦は、終わってみれば3-0のストレート。
こうして、1972年以来となるメダルが日本チームにもたらされた。


「や、った……。」

スタジアムに響く歓声、コート上で抱き合って喜ぶ選手たち。
メダル獲得を告げるキャスターの声も興奮に掠れている。

頬を伝った涙の理由──それは、私にもわからない。


『試合、ストレートだったね!』

『でも、マジ緊張したあ。ビール空だよ!』

『何それ、ウケるw』
なんて、スマホの向こうの同僚とも喜びを分け合って、


「はー、なんか久々コーフン。」
酔っ払いのひとり言。


画面の向こうで笑う侑を見る。

めっちゃ喜んでる、可愛いじゃん。
あんなにフテ腐れてたのが嘘みたい。

良かったね、元気になって。
ちょっとは感謝しなさいよね、コノヤロウ。


それで、もう一度スマホを手に取った。

電話をかける相手は、もちろん侑じゃない。
5回のコール音、それをじっと待った。


「あのね、話があるの。」

私も前に進まなきゃ。

腐れ縁になりかけていた恋人に、電話をかけた。
前に進むことも、過去の輝きを取り戻すこともできないままで、ダラダラと続けてきた関係だった。

だけど、それも終わり。
大丈夫、私は強い。

一人でだって生きていける。


「さよなら、侑。」

遠い空の下で戦う彼にメッセージ。

いつかまた会えたら、その時はビールの一杯も奢ってよ。
そしたら、「誰のおかげなの」って二杯目も集ってあげるから。


ねえ、侑。
疲れてたのは、あなただけじゃない。

私もあなたに勇気をもらったよ──。


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