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□憂鬱なスピカ 5

タクシーの窓に映るネオンサインを眺めていた。


これ以上ないくらい東京で、これ以上ないくらい大人の世界。
それなのになぜか──甦るのは、「あの頃」の景色。

カレシのことを無視するなんて子どもっぽい行動に出たのは、そもそもは侑のとった行動が原因だった。
高校3年、実際まだ子どもだった。

当時の侑は稲荷崎バレー部のキャプテンとして、最後の公式戦を終えたばかり。
推薦で決まった大学進学を控えて、多分どこか開放的な気分になっていたと思う。
私の方は受験生、試験勉強は追い込み真っ只中で、夜中まで過去問と向き合う毎日だった。

すれ違い?
それだけじゃない、よくある話。
「ファンの子」って枠には収まらない女友達が侑にできて、次第にその子と一緒にいることが増えていった。
他校生の女の子、すごく可愛い子だったのも余計に私にプレッシャーをかけた。

喧嘩して、仲直りのきっかけを掴めないまま彼を無視した。
「いい加減にせえや」と侑が言ったのは、LINEの画面の中。
素直になったところで、きっと大して変わらなかった。
私の合格発表の頃には、「その子」が侑の彼女になっていた。


引きずってない。
ほんの昔話、どこにでもある話、別に特別じゃない。
毎日泣いて、泣いて、だけど「戻りたい」とは言えなかった。
春休みの間中流した涙は、4月になればさすがに乾いた。

東京に引っ越しての新生活、新しいカレシもできたし、合コンもよくいった。
広がっていく世界の中で思い出は霞んでいって、いつしか侑のことを思い出すことも──なくなっていた。

恋をした、好きだった。
流した涙さえ、今はいっそ美しい。




「すみません、次の信号で止めてください。」
スマホのナビが目的地を知らせて、私はそこで声をかけた。

お釣りとレシートを無造作に財布に突っ込んで、すぐにバッグの中。
それからまたスマホを見る。

──侑から突然の電話があったのは、今から30分前のことだった。


『あー、ゆい。今、何しとう?』
とっくに私は消してしまった電話番号を侑が知っていたことは意外だったけど、それよりも先に思ったこと。

『……あんた酔っ払ってるの?』
金曜日の残業を終えて同僚と一杯、という時だった。
とはいえ受話器の向こうの侑の声はかなり酔っていると思わせるもので、私を呆れさせるには十分だった。

見知らぬ番号からの着信に「もしかして」と思ったけど、あの日、自宅最寄り駅のカフェで別れて以来それっきりだったから、多少驚きはした。
連絡先を聞くでもなく、私の現状を尋ねることさえしなかった、あの日の侑。

だからもう、会うことはないかもしれないと──思っていたから。


『うん、酔っとう。それで、ゆいの声聞きたくなってん。』
耳に押し当てたスマホの向こう、聞こえる声は地に足などついていない。

『あっそ。ていうかスポーツ選手がそんなことでいいの?』

『んー、ええんちゃう。』

『ふぅん。』

『どうでもええやんな、もう。なんかほんま、どうでもええわ……。』
放っておけばいい。
こんな酔っ払い。
おまけにただの元カレで、今の私には関係ない。

そう思うのに、聞いていた。

『今、どこにいるの?』


何がしたいってわけでもない、必死なつもりもない。
だけど、足が動いていた。

侑が言った店をスマホで検索して、タクシーを止めた。



「ロクなもんじゃないな。」

下世話な雰囲気を隠そうともしない店の看板に、ため息を漏らす。
今更引き返すわけにもいかなくて、薄暗い店の扉をくぐった。

背の高い侑の姿は、すぐに見つかった。
カウンターにもたれるようにして、ハイチェアに座っている。
その横に、女の子が3人。

「侑。」
ためらう余地なんてない、だってもう来てしまった。

最初にこっちを見たのは、女の子の中の一人だった。
若い、印象はそれだけ。
水商売という様子でもないけど働いている感じでもないから、女子大生か流行りのプロ彼女というやつかもしれない。


「宮さん!」
高い声に名前を呼ばれて、侑が頭を持ち上げる。

「なにやってんの、あんた。」

「なんや、ゆい。ほんまに来たん?」

「あんな電話かけてきといて何言ってんの。ホラ、帰るよ。」
腕を引いた。

「えー、マネージャーさん?宮さん、大変だねー!」

「ねえ、大丈夫?確かに飲み過ぎカモ。」
スーツ姿の私を見てそう思ったのかもしれないが、マネージャーなどでは断じてない。
そんなものがいるのかわからないけど、もしいるならちゃんと管理してほしいと思う。


「ほーら!起きなって。行くよ、もう!」

「ん、せやな。確かに飲み過ぎたかもしれん。ゆいも迎えにきてくれたし、お開きにしよか。」
マネージャーと呼ばれたことは否定しなかった。
むしろ好都合のような気がして、彼女たちに「ごめんね、連れてくね」と言えば快く彼を解放してくれた。

「じゃあね、宮さん。またね!」

「ほなね、また連絡してや。」
調子よくへらりと笑った顔から目をそらして、だけどそのまま腕を引いて歩いた。

「行こ、タクシー拾うから。」


何があったのって、聞いておけばよかった。
そしたら、こんなにイライラしなかった。

だって今、本気で頭にきてる。
ちゃんと聞いてたら、少しは許せてた?ううん、無視することだってできたかもしれないって思うから。


それなのにまた──揺さぶられる、心。

「ほら、乗って。家どこ?住所言って。」
侑を押し込んだタクシーで、そう尋ねる。

「んー、わからん。」
泥酔といってもいいくらい。
揺れる頭をタクシーの背にもたせて、侑が言う。

「何言ってんの、ちゃんとしてよ。」

「せやかて、」

「いいからもう!ちゃんとしないと引っぱたくよ!」
苛立って、いい加減にしてよって思ってた。

いい年して酔っ払いなんて情けないし、こんな侑、本当は見たくなかった。
侑が意味深なことを言うからせっかく迎えに来たのにって。

殴ってやろうかって、本気で思ったくらい。


だけど、

「そうしてや。」

「え?」

「ゆいに殴られたら、少しは目ぇ覚めるかもしれん。なあ、せやから──。」
そんな目で見られたら、私は──


「なんでそんなこと言うの……。」


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