□憂鬱なスピカ 4
もそりと背中で動く感触に、意識が覚醒する。
いつの間にか二度寝していたみたい。
「ん……ゆい?」
掠れた声に名前を呼ばれて、首を後ろに捻る。
それだけでは、背中から私を抱き込んでいる侑の姿は見えない。
だから、身体を起こそうとしたのに、
「あー、ゆいや。気持ちええなあ。」
抱く腕にぎゅうと力が籠もる。
「ちょ、っと……!」
起き上がれないよと抗議するけど、無駄な抵抗。
「んん、もうちょっとだけ。」
逃げようともぞもぞと身体を動かしてみるけど、侑の力に適うはずもない。
「も、離してってば。ていうか今何時なの?!」
「ええやん、何時でも。」
侑に抱き寄せられて、ぴったりと張り付いた互いの身体。
密着した太ももに当たる──感触。
「ちょ、やめて!それ……!」
「なに?」
いよいよもってタチが悪い。
「当たってるから!!」
二人で一つのベッドに寝ているというだけでも異様なのに!
どこのエロマンガよっ!
「フッフ、朝やししゃあないやん。」
「ちょ、やめてよ。押しつけないでってば!」
「ええやん、ちょっとくらい。ゆい抱き心地ええし。」
「ばか!もー!離してよ!」
悪ふざけにしたって、ほどがある。
笑えるような関係じゃ、私たちはない。
「いった!」
「離しないさーいー!」
「なんやもー、抓ることないやん。」
「離さないと今度は爪立てるからね!」
背後にあった侑の脇腹をつねって、ようやく解放された身体。
「まったく、ふざけてないでさっさと起きなさいよね。」
「はいはい。」
一度離れてしまえば、ホラ──あっさりと遠ざかっていく体温。
悪戯なだけ、彼はいつも。
ベッドを抜け出した私の後ろで、小さく欠伸。
「ん─、なんや久しぶりによう寝たわ。今、何時?」
なんて、何事もなかったみたいにもうこの態度。
振り回されるのは、いつも私のほう。
「……11時。」
デジタル時計の表示に自分でもびっくり。
侑じゃないけど、確かによく寝過ぎ。
「なにこの状況」と頭を捻るけど、それで何かが変わるわけでもない。
「ほんま?もうそんな時間?」
さすがの彼もそう思ったようで、私の後に続くようにして寝室からリビングへ。
「なあ、着替えとか。」
「あるわけないでしょ。」
なんでよ?と呆れるけど、「せやんなあ」と侑からは呑気な答えが返ってきた。
「とりあえず、顔洗って歯磨きしたら。」
「歯ブラシあるん?」
「まあ、それくらいは。」
シンク横の棚に確か買い置きがあったはず。
思い出しながら、リビングを出る。
それに、侑もついてきた。
「あー、あった。」
「おん。」
手渡したケースに入ったままの歯ブラシをもって、侑がこちらを見る。
「なに?」
「ん、いや。男おるんやなって。」
別に隠していたつもりはないし、隠す必要なんてない。
シンクのコップに置かれた2本の歯ブラシについて言っていることは、すぐに合点がいった。
「あんただって、彼女くらいいるでしょ。」
質問には答えずに、そう返した。
「そんなもんおらんし。」
「うそ。」
どうでもいい、どうでもいいはず。
こんな会話が必要な関係じゃない、そう思うのに。
「ほんま。」
「……あっそ。」
「信じられない」なんて、誰のセリフ。
言いかけてから気づいて、その言葉を呑み込んだ。
「……傷つけるのイヤやしなあ。」
つぶやくように告げられた言葉に、「ふぅん」とだけ返した。
「傷つけるから付き合わない」、つまりはソウイウことなのだろう。
彼女未満の女の子はたくさんいると理解して、けどそれ以上聞く理由もない。
侑が誰と何してようが、関係ない──今の私には。
なんとなく、虚しくなった。
虚しくて、バカバカしくて、少しだけ惨めな気分。
土曜の昼、下着姿の元カレ。
ずっと前の思い出。
何かがあったわけじゃない、二人の距離はもう遠い。
お互い別々の世界があって、それぞれに別の相手がいて。
だけど、それでも──昨晩の突飛な態度の侑を見なかったことにはできなくて、
「ねえ、」
何あったの?──そう尋ねようとした。
けれど、
「さて、と。」
左右に首を伸ばす仕草をしてから、一息。
そして、侑は言った。
「腹減ったわ。シャワー浴びたらメシ食いにいかへん?」
「はあッ?!」
なんで、ええやんと昨晩からの言い合いをまた繰り返して、それでまた侑の思い通り。
「タオル、借りるな。」
「わかったから、早くしてよね。」
繰り返して、呆れて、繰り返して、結局全部が侑のペース。
「あ、ええやん。それ、似合うてる。」
「うそ、ロンスカって男ウケ悪いとか言うじゃん。」
二人してマンショを出たのは、12時半をまわった頃。
ご近所着のファストファッションにサンダルを突っかけて、近くにあるカフェに向かう。
「なんで?似合うとるよ。スーツよりそっちの方がええやん。」
振り回されっぱなし。
侑と会った昨日から、私の思い通りにいったことは一つもない。
だけど、仕方ない。
私たちはずっとこう、高校生の昔からいつだって侑のペース。
「私も、あんたはジャージの方がいいかも。」
「ええ!似合うとるやろ、スーツも!」
「アハハ。」
だけど、笑った。
やっと、笑えた。
気づいたら、笑ってた。
たった一晩の偶然?
それとも──
浮かびかけた思考をシャットアウトした。
これ以上、考えてはいけない。
だって、侑は──私の「大事な」思い出なんだから。
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