□憂鬱なスピカ 3
どうしてこうなったんだろう。
そう思うけど、すぐに思考を止めた。
だって、私にはどうすることもできない、最初から決定権なんてない。
相手は──あの「侑」なのだから。
高校バレー界のスターだった侑は、そのまま大学でもバレーを続け、今はプレミアリーグで活躍する強豪チームのメンバーだ。
あの頃のままに、いや、あの頃以上に人気者で、雑誌でもよく特集が組まれたりしている。
強気で、華のあるプレースタイル。
スポーツ選手のくせに口まで達者で、おまけに結構顔もいい。
初めてナショナルチームに選ばれた時は、会社の女の子の間でもちょっと話題になっていた。
だけど、私にとっては、今は「思い出」。
侑と別れてからの私は、大学進学を機に東京に引っ越して、それから少し背伸びをした遊びに夢中になった。
合コン、ダイビング、それからクラブで夜遊び、社会人のお兄さんたちにも随分いろんな遊びを教えてもらって。
それを2年で卒業してからは、今度は留学とインターンシップ──で、今の職場に入社。
仕事仕事仕事の毎日。
背伸びをして、格好つけて、ちょっぴり無理した毎日が今も続いている。
だけど、おかげ様で、この東京で少しばかりの優越感を味わえてもいる。
少しいいマンション、少しいい服、少しいいバッグにアクセサリー。
それが意味あるものかはわからないけど、きっとないよりはマシだ。
少なくとも惨めな気分にはならない──彼氏にフラれて何日も泣いてたような女の子とはもう違うんだって思える。
「ねぇ、何考えてるの……?」
さっきの質問よりは、多分ずっと建設的だと思う。
自問自答なんかするくらいなら、侑に聞いてしまった方が早い。
だけど、当の本人はまだ夢の中。
答えはすぐに得られそうにない。
「う、ん……。」
せまいベッドの中、侑の顔がすぐそこにある。
何がどうしてって思うけど、昨晩私たちは1つのベッドで眠った。
眠っただけ、本当にそれだけ!
だけど、それだって十分奇妙でしょ?
ソファーで寝ると一度は言ったクセにベッドルームに向かおうとする侑とは、当然一悶着あった。
『いやいや、あんたソファーで寝るって言ったでしょ!』
『けど俺、アスリートやし。』
『何それ、関係ないし!それにここ、私の家なんだからね!』
『別に一緒に寝たらええやん。』
『いや、おかしいでしょ。なんでそうなるのよ。』
泊めてあげようなんて親切心がいつの間にかアダになってる。
──侑は、いつだって強引なのだ。
「子供みたい。」
寝顔ばかりは穏やかで、悪魔のように強引で横暴な昨晩の気配は微塵もない。
明るかった髪色は、今は落ち着いている。
首筋、顎のライン、それから──絡みつく腕は、あの頃よりも逞しい。
この身体がしなやかに床を蹴り、この指がまるで身体の一部のように自在にボールを操る。
戦うために鍛え上げられた男の身体。
高校生の侑も背は高かったけど、それでもまるで違う。
「ゆい、おるん……?」
厚い目蓋がしばたいて、黒目が姿を覗かせる。
「ん、いるよ。」
「うん……。」
抱く腕が強くなる。
頬を寄せる仕草、それが──あの頃と変わらないことにドキリとした。
だけど、
「……まだ寝とってええ?」
彼はまだまどろみの中。
「練習とか、ないの?」
「う、ううん……。」
返事ともつかない答えを残して、また寝息が聞こえてきた。
それでまた、夢の中へ。
もしかして、何かあったのかな。
なんて、少しだけど思ってしまう。
昨晩の侑はやっぱりどこか変だった。
高校の頃から食わせ物で、強引で手に負えないところのあった侑だけど──あんなに突飛な性格だったっけ。
強引だったかもしれないし、突飛なところもあったかもしれない。
だけど、あんな風に意味なくはしゃいだり甘えたり、「帰りたくない」なんて。
あれは、眠かっただけ?
それとも何か意味があるの?
意味なんかなくていい。
ない方がいい。
侑はずっと「思い出」のままで、お互いの人生はもう遠く離れていて──それでいい。
追憶の日々は少しだけ切なくて、だけど今はもう遠い。
恋する喜びも、失恋の苦しささえも、今の私には甘すぎるくらいだ。
苦くて硬いチョコレート。
砂糖の成分のまるでないそれを石切り場みたいに削って、日々を過ごしている。
それが、現実。
そして──
私にとって侑は、「現実」から一番遠い存在なのだ。
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