■キャロル 3
──いいの?
ねぇ、本当にいいの?
──自分で自分に問いかけた。
『休みの日に会おう』って言われたのは、初めてのことだった。
『ゆいちゃんの私服見てみたいし』って言われて、嬉しかった。
だけど、なんか……思ってたのと違う。
ううん、本当は「もしかして」ってちょっとだけ思ってた。
いつもより優しい彼。
手を繋いで歩いたのは初めて、スタバでは学校のこととか色々聞いてくれて、それで──公園のベンチで、初めてのキスをした。
キスなんてしたことないから、どれが「正しい」キスなのかわからない。
突然で、強引で、気がついたらふさがれていた口唇。
それが、「正しい」って思えない自分がいる。
好きな人とのキスなのに。
すごく優しくしてもらってるのに。
だけど、このキスは違うって思った。
「行こっか。」
「え、あ……。」
キスした時に胸を触られてビックリして、そしたら彼が身体を引いた。
「行こう」って言われて戸惑う。
どこに?
え、もしかして怒らせた?
「あ、あの……。」
「なに?」
さっきまでと……雰囲気が違う。
「え、と……ごめんなさい、私……その、初めてでビックリして……。」
もう手は繋いでくれないのかな。
怒らせちゃったかなって思うと悲しくて、
でも、同じくらい怖い。
嫌われたくないって思うのと同じだけ、怖い。
「いいよ、別に。」
別にってなんでって、思ってる。
でも、言えない。
彼が怖い。
「ねぇ、ゆいちゃんは俺のこと好きだよね?」
「え!あの……ッ、どうして?!」
そんな風に聞かれると思わなかったから、急に恥ずかしくなって俯いた。
「俺がLINEしたら絶対返すし、会おうって言ったら来るし、それに夏期講習の時からずっと見てたっしょ、知ってるよ。」
笑ってる気配がする。
だけど、優しい気配じゃない。
「俺の彼女になりたい?」
「え……。」
聞かれて、顔を上げた。
相変わらず、格好いい。
だけど──
「うん」って言えない。
それなのに、
「ゆいちゃんのこと、俺もいいなって思ってるよ。だからもっと知りたい。」
「え、あのッ……!」
手を引かれた。
最初の頃の優しい感じじゃない、少し強引な歩き方で彼が先を歩いてく。
いいの?
ねぇ、本当にいいの?
意味、わかってるんでしょ?
このまま、彼に付いて行ったら……。
どうしよう、どうしよう。
好きだって思ってた。
昨日まで、ううん、たぶんさっきまで。
でも、怖い。
今は、本当に好きなのかわからない──!
公園を出て、道路を渡って、コンビニの前を通り過ぎて、それから駅の反対側に抜ける。
ドキン、ドキン、ドキン……心臓の音が大きくなって、破裂するんじゃないかってくらい。
駅の反対側、線路沿いの道、人の流れが変わる。
その時だった。
「久しぶりじゃん!」
──ああ、この人の登場はいつも突然だ。
「なに、知り合い?」
言葉を発せないでいる私に向かって、彼が聞いてくる。
「友達ですよ。」
その彼に、その人──フタクチくんは事も無げに言った。
「初めまして、フタクチケンジです。」
今までと違う丁寧な言葉。
だけど、低い声だ。
「なんだよ、おまえ。」
「だから、友達だって言ってるじゃないですか。それよりあなたも名乗ってくださいよ、コイツの彼氏なんでしょ?だったら後ろめたいことなんてないじゃん。」
フタクチくんの顔が笑っている。
だけど、まるで怒ってるみたいだった。
「別に彼氏ってワケじゃ……。」
彼の声が揺れている。
ああ、そうなんだ。
そうだよね。
頭のどこかでわかってたこと。
彼の言葉で改めて突きつけられて、今更みたいに愕然とした。
「彼氏じゃないんだ?でも、コイツはアンタのこと好きみたいですよ。」
彼の手が、私の指から離れていく。
「責任……取れんの?」
低く低く、地の底から響くみたいな声だった。
「ッ、なんなんだよ。ガキが調子のりやがって……!」
どうしよう、喧嘩になったら……!
なんて、思うだけ無駄だった。
私の手を離した彼が、足早に駅へと引き返していく。
フタクチくんて、「アオネくん」がいなくても十分……迫力あるよ。
「来いよ。」
「え、あ……!」
触れる体温のなくなった指先に、新しい感触。
「行くぞ、ホラ。」
強引なのに、優しい。
それがわかる。
彼の仕草とは、全然違うソレ。
気がついたら、涙が溢れていた──。
「あ、ありがと……ッ!私、本当……ごめん、ありが、とう……。」
バカな女だって思う。
背伸びして、ムリして、自分に言い訳しながら好きになった人。
そんなのうまく行くわけない。
相手になんかされてないって、最初からわかってたのに。
「なに泣いてんだよ。」
「だって!」
立ち止まる長い足。
「バカ女。」
「わかってるもん……!」
「あんなんヤりたいだけに決まってんだろ。」
「……ッ!」
「何ノコノコついてってんだよ。」
「い、言わないでよ……!」
わかってる、わかってるもん。
そんなの、一番自分がわかってるもん。
だから、言われたくないよ。
そう思ったのに、
「死にそうな顔してついてくくらいなら逃げろよ。」
「で、きなかった……だって、」
怖かった。
最初は、嫌われるのが怖いって思った。
次に、怒られるんじゃって怖かった。
それに、男の人が──怖いって思ったら、身体が動かなかった。
「バカじゃねぇの、ホント。」
わかってるから、もう言わないでって。
だけど、言葉が出てくるより前に──包まれた背中。
「バカ。」
「ッく、ひっく……わかってるってばぁ……。」
「本当バカ、バカ女。」
バカバカって、もう何回言われたかわからない。
だけど、もうイヤじゃない。
「本当にわかってんのかよ、バカ。」
抱き寄せられた腕が、背中に触れる手の平が──すごく優しいって知ってるから。
バカって言われたって、もうイヤじゃないよ。
ずっと、泣き止むまで、フタクチくんはそうしていてくれた。
道端で抱きあって恥ずかしかったはずなのに、そうしていてくれた。
「ご、ごめんね……。」
「本当だよ。」
ようやく顔を上げるけど、そこにあったのは声のまんまの仏頂面。
しかも、だ。
「ッはは!なんて顔してんだよ!」
メイクの崩れた私を見て、今度は大笑い。
「すっげーブサイク。」
「ひ、ひど……!」
酷いよ!と思うけど、あれだけ泣いたら自覚もある。
慌ててポーチから鏡とティッシュを引っ張り出して、目の下のマスカラを拭う。
「バカだしブサイクだし。」
「だから酷いってば……!」
いつの間にか言い返せそうなくらいに元気が戻ってきていて、勢いよく顔を上げた視線の先。
「でも、なんか気になる。」
「え……。」
本当にフタクチくんは、いつも突然。
ねぇ、それ。
どういう意味?
もう一回言ってよ。
言おうとして、だけど言葉が出てこない。
パクパクと、私はただ口を動かすだけで──。
そしたら、
「お、ちゃんとしてれば悪くねぇじゃん。」
なんて、フタクチくんが言うものだから、顔が熱くなる。
「なぁ、」
「え?」
「名前、なんての?」
手を繋いで、また歩き出す。
「あ、えと……三日月ゆい、デス。」
「ふぅん、ゆいね。」
名前を呼ばれただけで、また体温が上昇した気がした。
「俺の名前はさっき言ったよね。二口賢治。」
出会って三度目の今日。
初めての自己紹介。
なんだかくすぐったくて、だけどちょっとあったかい。
「なぁ、LINE教えろよ。」
「エッ!」
思わず、「彼」のことがチラついて肩が揺れた。
「なに?嫌なの?」
「そ、そうじゃなくて!」
「なんだよ。」
相変わらず、口が悪い。
「あんなクソヤローと一緒にすんなよな。」
だけど、本当は優しいって──今ならわかるから。
「ほ、本当?」
「バカかよ、アンタ。」
「もー!バカバカ言わないでよッ!」
抵抗してみたけど、二口くんは笑うだけ。
「だって、バカだろ。だから俺が見張っといてやるんだよ。」
ねぇ、だから──
さっきからそれってどういう意味?
気になるよ。
気になって、聞きたくて、それに──ドキドキする。
まだ3回。
もう3回。
だけど、4回目に会うのはきっと偶然じゃない。
予感と期待に気持ちが揺れて──ちょっと追いつかない、かも。
今度こそ本当に、
恋してもいいのかな……?
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