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■純情ミッドナイト

大学時代は人生の猶予期間──なんて先輩が言ってたけど、案外そうでもない。


授業はソコソコだけど部活は楽しいし、最近はバイトも始めた。
部活の合間に週二回、半分は社会勉強のようなものだけどこれがなかなか面白い。



西麻布は、夜が華やかな街だ。
近隣の会社に勤める金回りのいい大人たちが、青山や六本木で一軒目を過した後少し落ち着いた店を求めてやってくる。

味自慢のレストランや有名雑誌に掲載されるような趣向を凝らした飲み屋に混じってこじんまりとしたバーが点在する。
その中の一つが俺の職場。


バーテンダー見習いなんて少しばかり背伸びをしたバイトは、昼間とは違う東京を見せてくれる。
プロなんかにはほど遠いが、大学生の自分とはどこか別人になった気がして楽しい。



「それじゃあ、よろしくお願いします。」
酔って足下の怪しくなった客をタクシーに乗せて見送って、ふと息を吐く。

店に戻ろうと視線を戻す途中、ため息をついた横顔が目に入ってきた。


うつむき加減の視線はスマホをじっと見つめている。
タップした画面の灯りが、白い頬を浮かび上がらせる。

その憂い顔に、なんとなく惹きつけられて──


「!」
気づいたらしばらく眺めていたらしい相手と、目が合った。

「……こんばんは。」
なんて、間抜けな挨拶。


「………。」
あからさまに不審な目をして、だけど酔っているのかあまり警戒感はない様子でこちらを見る女。

水商売って感じじゃない。
けど、会社員とかそんな風にも見えない。
客商売をしていれば、なんとなく見る目がつくもので。


「大学生?」
自分と同じ学生だろうと察しがついた。

「……ソッチもでしょ。」
返ってきた言葉に、眉が上がった。


「へえ、なんで分かる?」

「見ればわかるよ。」
シャツにベストのこの格好も随分サマになった気でいたが、そうでもないのかと少しばかり残念な気分になる。

「ふーん、遊んでんだ?」
学生だと見破られた意趣返しのつもりで言ってやると、


「別に、暇だからテキトーに付き合ってるだけ。」
隣の店を指さして、そっけない返事が返ってきた。

お隣さんは所謂ギョーカイジンが好んでつかう派手なイタリアンで、確かオーナーは有名なベンチャー企業の社長だと聞いた気がする。

若い起業家や金融業の連中、広告代理店に勤める社会人なんかがよく出入りしていて、女子大生やらモデルやらを引き連れて合コンした後でウチの店に流れてくることもよくあった。
要するに、彼女もそんな女子大生の一人ということだろう。


「へー、合コン?楽しい?」

「だから、別にって。」
また素っ気ない返事だ。
けど、鼻持ちならないって感じじゃない。

どこか拗ねたような言い方が、なんだか──可愛いなって思った。


こういう街で大人に混じって遊んでいるような子は、大学生には案外多い。
歓楽街の安居酒屋でピッチャーで乾杯!なんていう学生同士の遊びには飽きてしまって、若さという財産を最大限に活かして無料の社会勉強中──男には絶対真似できないお得な夜遊びは、ちょっと羨ましい気もする。

「……まぁ、今だけだし。」
呟いた一言になんとなくシンパシーを感じたり。


「まぁなぁ。」

「でしょ。あと2年もしたら社会人で、こんなトコもう来なくなるし。」

「お、大学3年?一緒だな。」
そう言った俺に、彼女が笑った。


今日初めて見る笑顔。
だけど意味深なそれに、「なんだよ」と返せば、

「先輩かと思った。4歳くらい。」
綺麗に弧を描いた口唇が、軽やかに嫌みを言って寄越す。


「おいおい。浪人留年なし、現役ピチピチだっての!」

「ふふッ。」
笑う顔は年なりで、それがまたいいじゃんって思う。


「戻んなくていいのか?」

「そのうちね、もう2軒目だし。」
どうせみんな酔っ払ってるし、と投げやりに言う指先が、またスマホに向かう。


「彼氏?」

「……一応ね。」
うまくいってないのだと、眉を寄せた笑顔が言っている。

「ふぅん。」
聞いてくれるなという風でもなくて、曖昧に続きを促せば、


「連絡なくてさ。」
アハハ、と笑う声が乾いた夜空に吸い込まれて消える。


派手な大人と遊び回る一方で、彼氏からの連絡を期待してスマホ片手に店の外へ。
酔い切れてない表情の意味、そのアンバランスさに惹かれていく。

大人びた態度と裏腹の強がりが、愛しく思えるのは夜の魔法か。



「ウチの店、来れば?」
気がつけば、そう言っていた。
金と欲にまみれた喧噪の中に、なぜだか彼女を帰したくなくて。


「高いでしょ。」

「じゃあ、俺の家の鍵貸すか?タクればすぐだし。」
強引な物言いだとわかってる。
だけど、帰したくなかった。

もっと──彼女を知りたいと思った。


終電ももう出てしまって、どこに住んでいるのか知らないが学生の身でタクシーで午前様もないだろう。

「ウケる。」

「んでだよ?」


「親切っていうか、」
親切じゃなくて必死なんだけどな。
だけど、そう思ってくれるなら悪くない。


「……早退させてもらうから、ちょっと待ってて。」

「え、」
なんで?って彼女は驚くけど、構わない。
このまま会えないなんて考えたくない──それだけだ。


「家には行かないよ。」

「わぁってる。」
ご親切な念押しに、苦笑い。


ヤりたいんじゃねぇから、別に。
そういうんじゃない。

もっと──ちゃんとしたヤツ、多分。



六本木のネットカフェ。
「家には行かない」なんて言ってたクセに、ペアシートで肩を持たせた彼女から聞こえるのは静かな寝息だ。


「なぁ、名前……なんての?」
届くはずのないささやき。


その答えは──予想外のところから返ってきた。

パソコンの前に放られたスマホに、ふとともる灯り。


『ゆいちゃん、ごめんね。部活の打ち上げで朝までコースだった。』


LINEのメッセージを知らせる通知に触れれば、あっさりと現れたトーク画面。


「ロックくらいかけとけよ。」
この無防備さがまた、ギャップだ。

これ以上はさすがにルール違反だと画面を閉じようとして、


「……マジかよ。」
トーク画面の背景に、思わず手が止まった。


大学でバレーをやってるなら、知らないヤツはいない。
大学は違うけど、試合会場で何度も見かけたことがある相手。


「ゆい、ね。」

本当に「部活の打ち上げ」かどうか知らないが、大事にしまって置かないと誰かに取られたって文句は言えないぜと胸の内で呟いて。


「なぁ、オイカワくん。」

宣戦布告、とばかりに眠る彼女に口唇を寄せる。


口唇にキスするのは、次までお預け。
額にそっと口づけてから、決意した。



なぁ、ゆい。

このまま二人、落ちてみようぜ。
恋のワナってヤツにさ──。


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