■黒猫dance 番外編
「何だよ、研磨〜。」
「別になにも言ってない。」
「目が言ってるだろ、目が〜。」
「別にクロのことなんて、見てないから。」
さっきからこの繰り返し。
「……自意識過剰。」
「なんか言ったか?!」
──面倒くさくなって、いよいよ無視することにした。
俺と……この店のオーナーのクロとはずっと昔からの知り合い。
地元が一緒、高校も一緒、学年は違ったけど大学はまた一緒。
で、学部は別々。
そんな風にしてずっと身近な存在だったクロが、入ったばかりの会社を辞めると言った時はちょっと驚いたけど、次の仕事も早々に辞めたんだと聞いた時は確かにびっくりしたかもしれない。
だって、俺が働くことになった研究所の近くのレストランを居抜きで買って、店を開くんだなんて言い出したから。
「テーブル、終わったよ。」
「おー、悪ぃな。」
「……別に。」
この店で”バイト”をするようになったのは、ごく最近から。
といっても、人の増える週末に片付けとかを少し手伝うだけだけど。
「なんかおまえ、別にばっか言ってねぇ?」
「別に。」
「おいおーい!」
クロは俺をヘンだって言うけど、本当はクロの方がずっとヘンなんだ。
今日は注文を2回も聞き間違えるし、オムレツを焦がすし、サラダのドレッシングはしょっぱすぎて作り直すことになった。
いつの間にか料理を覚えて調理士の免許まで取得していたクロだけど、こんなことが続いたらせっかく順調になりかかったこの店だって潰れかねない。
「……気になるなら、調べればいいじゃん。」
「何をだよ?」
「別に」と言うとまた何か言われそうだと思ったから、今度は黙ることにした。
「なんだよ、黙るなよ。ケンメァ〜〜。」
「クロ……。」
無視しようとしたのに、テーブルを拭いた布巾を洗う俺の方を背面から抱き込もうとするから、すごく邪魔だった。
「なんか……。」
「おう。」
「今日のクロ、面倒くさい。」
「ぬあッ!!!」
こういう時はハッキリ言った方がいいんだ。
大げさにリアクションしたクロだけど、結局はそれっきりで客席のメニューを入れ替えにホールへと出て行った。
ランチタイムが終わったら、5時半までお客さんは来ない。
土曜の夜の営業を途中まで手伝ったら、今日は帰る約束だった。
「昼飯にすっか。」
「うん。」
「何食う、研磨?」
「サンマ以外。」
「ッ、ぐう。」
ちょっとヒドイかなって思ったけど、仕方ないんだ。
今のクロには、少しお灸が必要なんだよ。
だから、面倒だけど構ってあげてる。
塩味の効いたアサリのパスタ。
窓際の席で二人向かい合って、フォークを使う。
「研磨。」
「……ちゃんと美味しい。」
「そりゃ良かった。」
何があったのなんて聞かない。
でも、なんとなく想像くらいできる。
先々週、クロの店に来たら知らない女の人がいた。
最近よく店を手伝ってた「彼女」って言ってたのとは違う人。
会社を辞めて別の仕事をしてた頃のクロの知り合いだなって、すぐにわかった。
──その頃のクロが、俺はあんまり好きじゃなかったから。
女の人は、俺の苦手な匂いがした。
派手に飲み歩いてお金を使ったり、ギラギラした仲間で集まってまたお金の話。
そういう世界があったって別にいい、興味ない。
けど、そういう中にいるクロは好きじゃなかった。
だから、ほっとしたんだ。
大学の同期と始めたアプリの会社を売ったんだって──この店を買ってクロが引っ越してきた時。
お金とかお酒とか女の人とか、そういう苦手な匂いはもうしなくて、ほっとしたんだ。
その女の人は、少しの間店にいてクロと何か話をしてた。
その人と俺にクロはお茶を淹れて、アップルパイを切ってくれたけど、俺は食べなかった。
「アップルパイ食べたい。」
「!」
アサリのパスタを食べ終えて、紅茶をひと啜り。
「あんま苛めるなよ、研磨。」
そう言ったクロは──初めて見る顔をしてた。
余裕なんかなくたって余裕たっぷりに笑うクロが、初めて見せた顔。
情けないよなんて俺の言うことじゃないから、
「フェイスブック。」
「え、」
「FBとかやってるかもよ、見てみたら。」
この店を始めて以来「ネットはもう御免なんだ」といつも言っていたクロに、少しだけアドバイスしてあげることにした。
その次の週、今度こそ本当に情けない顔をしたクロがコレドのアップルパイを買ってきてくれたのを二人っきりで一緒に食べた。
クロの店にあの女の人がアップルパイを買ってくることはもうなかったけど、俺の苦手な女の人が出入りすることも二度となかった。
──店のページを作ったんだってクロが自慢して、それからFBだけは熱心に更新するようになった。
そのうちオーストラリアの情報ばっかり収集するようになるんだけど──これは、また別の機会にね。
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