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■黒猫dance 7

南から北へ400マイル。
1時間半のフライトタイム。

手を振る背の高い影。

太陽と砂浜、青い空にそびえる高層ビル。
背を任せているオープンカーのボンネットが光を反射して眩しい。


「店寄ってコーヒーでも飲むか。それか、海行くか。」

「アイス食べたい。」

「おー、すっかりその気だな。」
照りつける太陽に目を細めて、バッグから取り出したサングラスをかける。
ケイトスペードのカジュアルなグラス、ハイヒールは履かない。
バッグはトートバッグ。

締め付けのないワンピースは木綿生地で、なんというか──日常から解放された感じがする。
早足で人々が行きかう都会から、たった1時間半でこの開放感というのはなかなかに贅沢なものじゃないかと思う。


だけど、

「ゼータク者。」

「なんだよ。」

「だって──。」
目の前の男の暮らしは、もっと贅沢。
太陽と海と一年を通して温暖なこの街が、彼の日常なのだから。


10月に咲き乱れる春の花、1月の街に降り注ぐ太陽。
日本とは真逆の季節。


「なんでシドニーじゃないのよ。」

「いいじゃねぇか、こういうのも。」
助手席に乗るのも、もう慣れた。
郊外に広がる森、いつだって賑やかなビーチ、都会とリゾートをミックスしたような街にも詳しくなった。


──東京でも湘南でもないこの街で、私はまた鉄朗と過ごしている。



『よぉ、偶然だな。』
なんて嘘くささ1,000%のセリフで、鉄朗がシドニーにやってきたのはもう1年前のこと。
最後に会った東京からは、随分と時間が過ぎていた。

忘れたわけじゃない。
忘れようともしてない。
鉄朗と過ごした時間は、ごく自然に記憶の一部を構成していた。

それはまるで──懐かしい思い出の音楽みたいに、ふと思い出されては心の襞をそっと撫でて消えていく、そんな存在だった。


その鉄朗に会った。

念願叶っての海外転勤、憧れたロンドンじゃなかったけどシドニーもいい街だ。
堅苦しくないし、適度に賑やかで、毎日流れ込む観光客は眺めるだけで退屈しない。

ランチタイムのサラダやアフターファイブに喉を潤すワイン。
休日を利用して、広い国土の端までひとっ飛び。

そんな日常に、降り立ったノワール。
私の黒猫は、本当に気まぐれだ。


『偶然』なんてそんな筈がない。
他人の居場所を知るのは、案外容易な世の中。

ブログの代わりに鉄朗が始めたシャ・ノワールのFacebook。
それを秘かにチェックしていた私。

居住地を「シドニー」に変えたことを鉄朗が知っていても不思議じゃない。


『店始めんだよ、ゴールドコースト。で、今準備中。』
そう告げた彼に、笑ったあの日。




「東京と湘南と変わらねぇだろ、時間。」
風を切る真夏のオープンカー。

「ふぅん。」
声が風に流されて、だけどそれでいい。
これでいい。

湘南の店を売った資金でオーストラリアで始めた店が、コーヒーとシナモンロールの店だと聞いた時にはさすがに吹きだした。
それが、最近になって新しくうどん屋をオープンさせたというのだから、鉄朗の胡散臭さにもいよいよ磨きがかかってきたと思う。


「私もネイルサロンとかやりたいな。ド派手なメイクで年齢不詳のおばあちゃんオーナーみたいなのさ、良くない?」
どのへんが「良い」なんだよ、と鉄朗は笑って、

「そしたら俺は、隣でアイスクリーム屋でもやるか。」

「ヤバイ、ぼったくられそう!」

「なんでだよ!」
ワハハと笑う大きな声。
私も声を立てて笑った。


あの頃は埋められなかった距離が、今は自然と縮まって。
あの頃は受け入れられなかった自分の気持ちを、素直に受け入れられるようになった。


時間は、魔法だ。

あっさりと越えていく。
固定観念、既成概念、ジョーシキ、経験則。
気が付けば、変わっている。



左にカーブを切ると、ビーチが見えてくる。
色とりどりのパラソル、波間に浮かぶサーフボード。

その瞬間、どうしてだろう。
この景色、この気持ち、隣に感じる体温──とても居心地のいいこの場所が自分の居場所だと強く意識する。


「明日、山行こうよ。」

「スプリングブルック?」

「ううん、キュランダがいい。ケーブルカーから川見たい。」

「ケアンズは遠いんじゃねぇ?」

「かもねぇ。」

「でも、いいな!」
無茶を言うなと、鉄朗は決して言わない。
昔もそうだった。

いつだって、NOと言うのは私の方だった。


「グレートバリアリーフも見に行くか。で、誓うだろ。」

「誓うって、何を?」

だけど、私だって変わるのだ。

時間は魔法。
それに、南半球の空と海は私をずっと自由にした。


「何って、なぁ。」

──永遠の愛に決まってんだろ。


「愛」なんてって。
鉄朗の口からそんな言葉を聞くのが可笑しくて思わず笑うけど、

「いいね。」
言葉は素直に出てきた。


「いいんじゃない。」

「だろ。」
ハートのリーフに永遠の愛を誓うなんて、ベタすぎて笑っちゃう。
だけど、悪くない。


「真っ白いチャペルでウエディングドレス着て、それからガーデンパーティーね。」

「んで、夏にバーベキューして、クリスマスにカード書いて、正月は日本で炬燵に潜ってな。」

「うそ、寒いよ!」

「じゃあ、温泉。」

「なら、賛成。」


いいんじゃない、そういうのも。
どういう未来も。

ゴールドコーストのうどん屋でも、東京のビル群でも、どっちでもいい。

どんな場所でも楽しめるって、今は思うよ。
だって、ホラ──


「おまえとならさ、何してたってどこにいたって笑えるよ。」



うん、私も同じ気持ちだよ。


遠回りなんかじゃない。
これが二人のペース。

今だからわかる、気持ちが重なり合う心地よさ。
ねぇ、そうでしょ?


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