■ルララ 5
『それって恋じゃん!』
チームメイトに言われたから意識しているのか、それとももっと前からそうだったのか。
正直よくわからないでいた。
ただ、気になって。
会いたくて。
もっと彼女を知りたくて。
最近の俺は三日月ゆいのことばかり考えている。
部活に集中しているはずの時間ですら、ふとした瞬間にあの顔が浮かぶ。
そうだ試合に誘うんだ。
俺を見てもらうんだと──彼女と出会う前の俺とは、何もかもが違うから不思議だ。
だから、
もう通院しなくてもいいのだと彼女から聞いた時、それだけで頭の中が真っ白になった。
ただのルーティンに過ぎないマッサージも、今ではその意味がまったく違っていたから。
参考書のことを話さなければ。
それに、バレーの試合のことも。
それで、それで……どうするんだったか。
LINEのIDを聞いて、いやその前に……。
混乱した。
混乱して、
けれど、
「ちょっとだけお茶しない?」
掬いあげられて、また──胸が熱くなる。
スターバックスの新作が気になるんだと彼女は陽気に話して、それが嬉しいと思いながら歩いて店に向かう。
胸がドクドクとうるさく鳴って、まるで……彼女にまで聞こえるんじゃないかと焦った。
「ね、これ。気になってたんだよね。」
店の前に置かれた看板にある長い名前の飲料を指さして、彼女が笑う。
少しだけ照れくさそうな笑顔がまぶしい。
「牛島くんはさ、こーいうカフェとかって来る?」
「……いや、あまり来ないな。」
ちゃんといつも通りの声が出せているか不安だ。
「え、あ……そっか。もしかして、コーヒーとかダメ?バレーに差し支えたりする?」
不安そうに聞かれて、首を振る。
そうじゃないと伝えたくて、思ったより大げさな仕草になってしまってまた焦る。
「よかった。」
だけど、彼女はそんな俺を笑ったりはしなくて、ほっとしたようにはにかんで店へと入っていく。
「あ、窓際あいてるね。席とっちゃおっか。」
慣れない俺の半歩先を、彼女が歩いていく。
それから、
「うん、やっぱ美味しい!」
彼女はその新作というやつを注文して、よくわからなかった俺は結局普通のコーヒーを頼んだ。
「よかったな。」
「うん!」
話そうと思ったことがあったはずだと、ここにきて思い出す。
「牛島くんは甘いの苦手?」
「どうだろうな、あまり飲まないからわからないが。」
「そうなんだ、今度試してみたら?案外ハマるかもよ。」
参考書のことを話して、それからバレーのことを伝えて、試合を見に来ないかと誘う。
それで、連絡先を聞く──そう、予定してきた。
話さなければ、伝えなければ。
そう思っていた。
けれど、
「だが、こういう店はあまり来ないからな。色々と種類があるし。」
予定通りになんていかない。
「じゃあね、今度私がオススメ頼んであげよっか。」
だが、それがいい。
今度、という言葉を胸の内で何度も反芻する。
「ぜひお願いしたい。」
また二人で、
「うん、任せといて!」
二人きりでこうして会いたい、会えるのだと思うと──頬が緩むのを止められない。
そして、
俺は言った。
「連絡先を、」
「うん?」
「連絡先を教えてもらえないか。」
緊張した。
どんな大きな大会に出るよりも、切羽詰まった試合の場面よりもとにかく緊張した。
だけど、自然に言えたはずだ。
自然に、彼女との距離が縮まっていくんだと──そう思った。
その時だった。
慌ただしく走る足音に顔を上げる。
店の中はそれなりに賑やかだったと思うが、そのドカドカという足音はざわついた店内においても異質なものだったと思う。
「おまえは……。」
息を切らして、
俺をまっすぐに睨む視線。
青葉城西の制服。
それは、俺にとってもよく見知ったものだったが──白いブレザー、茶色地にチェック、その制服が彼女が着ているものと揃いの生地だということに今更のように思い当たる。
そういえば学校名もまだ彼女から聞いていなかった。
本当に知らないことばかりだとなぜかぼんやりと考えていた。
そんな俺とはまるで違う表情をした男が、目の前にいる。
挑むような及川の表情は、何度も見てきた。
俺と会話をする時の及川はいつだって挑発的で、そう、友好的だったことなど多分一度もない。
けれど、こんな表情は初めてだった。
怒りに肩を振るわせて俺を見る及川。
「なんでおまえがここにいるんだよ……?」
静かな声。
静かだけれど、その声はやはり怒りに震えていた。
「なんでおおまえがゆいちゃんといるんだよ!答えろよ、牛島!」
次に聞こえた声は、ほとんど怒鳴り声だった。
いかに俺といえど、その意味くらいはわかる。
及川がなぜ俺に怒っているのか想像はついた。
「俺は……。」
だが、なんと言うべきなんだ?
整骨院で会ったんだと及川に説明するのか?
それで、及川に聞くべきなのか?
──おまえは、彼女と付き合っているのか?
「よせ、及川……!」
「離してよ、岩ちゃん!」
「誰が離すか、ボケ!いいから、行くぞ!」
逡巡して、しかし言葉は出てこなくて、青葉城西のスパイカーが及川を店から引っ張り出すのをただ見ていた。
及川が怒っている。
俺が、彼女と会っていることに。
それは、つまり及川と彼女は──
「あの、」
導き出された答えをどう口にしていいかわからずに、ただ及川を見送る。
参考書のことを話して、それからバレーのことを伝えて、試合を見に来ないかと誘う。
それで、連絡先を聞く──計画してきたことからは、もう何もかもが遠い。
「あの、牛島くん……なんか、」
及川に向けるはずだった疑問を彼女に投げかけてしまったのも、予定外だった。
「及川と付き合っているのか?」
「えっ、」
大きく見開かれた視線。
ああ、こんな顔もするんだなとどこか遠くで思った。
「及川が怒っていた。だから、付き合っているのかと思ったんだが。」
「………。」
彼女が困っている。
困らせるつもりじゃなかった。
笑っていてほしかった。
今までもよりももっと色んな顔が見たかった。
それなのに──。
「違う、よ。」
ただのクラスメイトだし、と小さな声が言って寄越して、
「よかった。」
ああ、何もかも予定通りにいかない。
それは、きっともっと……ずっと先で言うはずだった言葉。
しかし、怒った顔の及川に思い及んだ答え──それを彼女が否定した。
そのことにほっとした。
本当にほっとした。
よかったと心から思った。
そう思った次の瞬間、俺は今日一番予定外の一言を発していた。
「よかった。」
「え、」
「ほっとした。」
「え、と……。」
何もかもが予定外。
だけど、行き着く先は決まっていた。
どこをどう通ったって、答えは一つだったはずだと確信する。
「初めて会った時から好きだった。だから、及川と付き合っていないと聞いて安心した。」
顔を染める彼女に、「こういう顔もいいな」と密かに思う。
好きだ。
初めて会った時から好きだった。
俺が気づいていないだけだった。
照れくさそうに笑う顔、はじける笑顔、少し困った様子の顔。
全部好きだ。
最初から惹かれて、だから俺はここにいるんだ。
「今度、大事な試合がある。良かったら、見に来て欲しい。」
スクールバッグの中から取りだしたノートをちぎって、連絡先を書き付けた。
今日の内で一番、なぜかその時だけは冷静だった。
明日、部の連中にあれこれ聞かれるかもしれないが、今日のことは黙っておこう。
それで、練習に集中して、練習、とにかくみっちり練習だ。
大会には、青葉城西ももちろん参加する。
及川との対戦もあるかもしれない。
俺は負けない。
いつも通り打って、いつも通り勝つ。
それで、もう一度言おう。
──好きだ、だから俺と付き合ってほしい。
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