■Because it is November
部活から帰る道が暗い。
気が付けば、いつの間にか冬になってたななんて胸の内で思って、ぐるぐるにまいたマフラーに顎先を突っ込んだ。
「ねぇ、もうクリスマスだね。」
「ああ?」
「だからぁ、」
ポケットの中で手を握る。
その俺の横で「クリスマス近いよね」とまた及川は繰り返して、鼻歌交じりに歩く。
「まぁさ、岩ちゃんにはカンケーないかもだけど。」
ヘッドロック。
それか、ここで一発ストレート。
───いつもなら。
それが、咄嗟に答えを返せなかった。
「ねぇ、岩ちゃんってば!聞いてる?」
「……ッせ。」
「ねぇねぇ、だからもーすぐ!さみしー岩ちゃんにはカンケーないけどクリスマスだよね!」
そんな俺に張り合いがないとでも思ったのか、こちらを覗き込む無駄に整った顔。
「うっせーぞ、こンの!クソ川ッ!」
「いったぁッ……!って、反応遅いし!まだボケるには早いよ、岩ちゃん!」
薄茶の頭にゴツンと拳をお見舞いしてやると、大げさに及川がわめき立てて───なんとなくそのことにほっとする。
ああ、大丈夫。
いつも通り。
(……って、何が「大丈夫」なんだよ!)
自分の感情が自分でもよくわからない。
ソレにツッコミを入れてみるけど、やっぱりわからなくてイライラする。
なんとなく、モヤモヤする。
だけど焦れったくて、こそばゆくて、楽しいなって浮かれた気持ちもあったりする。
で、それを及川に知られたくねーなって、なんとなくだけど思ってる。
だって、及川に知られたら冷やかされるに決まってる。
面白がって言いふらすだろうし、絶対にからかわれるし、そんなのは絶対に御免だ。
けど、多分「ケーケンホーフ」な及川に聞いてみたい気もする。
その───クリスマスの過ぎし方ってヤツを。
「ワリ、母親からメール。駅前で買い物して来いって。」
ポケットの中で震えたスマホ。
画面の明かりを素早く消して言えば、
「あ。じゃあ、俺も一緒に行こっかな。」
などと及川が言う。
「ざけんな。二人で買い物とか痛い以外に何があんだよ。」
「えー!だってさぁ……てか、何頼まれたの?」
「あ……っと。」
ヤベ、そこまで考えてなかった。
「だから、その……アレだよ。」
「アレって何?」
「だから……ッと、豆腐!豆腐!買って来いって!」
豆腐。
なんて、我ながらマヌケなことこの上ない。
アホか、俺。
豆腐買ってどーすんだよ。
第一豆腐なら近所のスーパーでだって買えんじゃねーか。
「ウハハ、おもしろ!豆腐買ってる岩ちゃん、ちょー写メりたい!」
「ざッけんな!絶対来んな!つーかさっさと帰れ!」
だけど、及川は俺の恥ずかしい嘘を真に受けてくれたようで、俺たちは逆方向のバスに乗った。
及川がバスに乗ったのを確認して、ほっとする。
それから、急いで取り出したスマホのアプリを開いた。
『駅まで、迎えに行く。』
短く返したメッセージ。
そう、さっきの連絡は、母親からのものなんかじゃない。
『予備校、今終わった−!つーか外暗いね、めっちゃ冬だ!』
なんて、三日月からのメッセージ。
三日月が俺の何かって、言い表す言葉を俺は知らない。
クラスメイトで、だけど最近ぶちゃけ仲いいし、ラインとかもずっとしてる。
で、送られてきた写真とか「部活頑張って」的なメッセージとかが滅茶苦茶嬉しかったりする相手。
友達?仲の良いクラスメイト?なんかちょっと……い、イイカンジ……っつーのかも?
そういうのって───なんて言うんだろうな。
そんな三日月を、最近はこうやって予備校まで迎えに行って一緒に帰ったりする。
ちょっと……なんつーか、デートっぽい?みたいな気がしてる。
浮かれてる自分を自覚してるし、
「岩泉──!」
駅前のロータリーで手を振る三日月に、口元が緩むのを止められない。
とりあえず───及川にだけは絶対に知られたくないけど。
「おう、今日もおせーな。」
「うん、岩泉も部活お疲れ。」
制服の下にカーディガンを着込んで笑う三日月に、俺もつられた。
「行くか。」
「うん。」
そのことがなんだか恥ずかしくて、次の言葉はついぶっきらぼうになる。
けど、三日月がそれを気にする様子なんてなくて、また楽しそうに笑うんだ。
「今日ね、模試の結果出たんだ。」
「マジか。でもなんか嬉しそうだな。」
最初の頃はづげー緊張したけど、こうやって二人で話すのもだいぶ慣れた。
「わかる?!あのねぇ、志望校、初めてA判定!」
「マジ?すげぇじゃん。」
「でっしょー、今日はちょっと浮かれちゃう。」
俺なんて、いつだって浮かれてる。
おまえの隣にいるだけで、おまえと一緒に歩くだけで……おまえのこと、考えるだけで浮かれてる。
三日月の志望校は東京の難関校で、俺の志望校も同じく東京。
夏までは地元の大学と迷っていたが、東京の大学の推薦を受けようと決めたのは、ぶっちゃけて言えば三日月のことが結構影響している。
卒業まであと4ヵ月。
だけど、その先ももし三日月といられたら───最近は、正直そんな想像さえしてしまう。
その前に、やんなきゃいけねぇことがあんのに!
「……さみぃな。」
やたらと賑やかな心の中に言い訳するみたいにそう言うと、三日月が俺の顔を覗き込んで笑った。
「ホントだ、鼻赤い。」
「え!」
「風邪ひかないでよー?」
言葉と同時、手の甲に触れた熱。
「カイロ、あげる。」
ジャージのポケットに押し込まれた覚えのある柔らかい紙の感触に、心臓が跳ね上がった。
ただそれだけのことなのに、三日月の顔がマトモに見られない。
だって俺、今ぜってー顔が赤い。
指先で感触を確かめて、それから手の平に握り締めた熱。
さっきまで三日月の手の中にあったのかと思うと、それだけでたまらなくドキドキした。
「……ッおまえが、」
「え?」
「おまえがさみぃじゃん。」
らしからぬ自分の行動に、一瞬だけ過ぎった腐れ縁の男のにやついた顔。
「あ!」
ポケットのカイロを引っ張り出して、その手で三日月の手を掴む。
───繋いだ手の中にあるカイロの熱。
夜の帰り道は冷え込んでいるはずなのに、全身にカッと汗が滲んだ。
拒否られたらどうすべ、なんて不安になって……だけど、
「あったか、い、ね。」
チラリと巡らせた視線がはにかむ笑顔にぶつかって、ほっとする。
ほっとしたはずなのに、心臓の音はやけにドキドキとうるさい。
初めて───
初めて繋いだ手。
好きな女の手に、初めて触れた今日。
手の中の熱に、背中を押されて。
「ッ、のさ。」
「え?」
「あの、さ。」
「うん?」
高校最後のクリスマス。
どうしたいかなら、もう決まってる。
及川になんて聞かなくても、本当は決まってる。
「クリスマス、さ。」
ぎゅう、と握る手の平に力を込める。
断らないでくれよと心の中で念じて、俺は言った。
「クリスマス、さ。学校終わったら二人でどっか行こうぜ。」
声が震えるんじゃねぇかって思った。
ドキドキとうるさい心臓の音が三日月に聞こえるんじゃないかって、つーかむしろ口から心臓飛び出るんじゃねぇかってくらい───緊張した。
けど、
「……うん!」
はっきりと鼓膜に届いた声。
また心臓がバクバクなって、だけど白い歯を覗かせて笑う三日月に「ヨシ!」なんて心の中でガッツポーズ。
「ライン、するわ。」
「うん。」
「あとさ、電話とか……してもいいか?」
「うん。」
「あ、」
「え?」
一歩。
踏み出した先に、確かに広がっていた世界。
「おまえも鼻あけーじゃん。」
「うっそ!ヤダ!」
「アハハ。」
ドキドキしてワクワクして、キンチョーだってするけどめっちゃ楽しくて、
「岩泉。」
名前を呼ぶ声だって、特別に聞こえる。
「おう。」
「ねぇ、」
寒い夜の帰り道なのに、たまらなく胸が弾む。
だから───
「おう。」
クリスマス、きっと言う。
三日月が好きだ。
だから、もっと一緒にいたい。
ちゃんと言うから。
『付き合って』って、俺の気持ち。
きっと、クリスマスに伝えるから……!
「なんか、すっごい楽しみ。」
笑う三日月。
つないだ手はそのままで、耳元で弾む声。
本番まで、あと1ヵ月。
ちゃんと伝えられるように───
(……ヤベ、練習しねぇと!)
及川になんて頼れない。
だから明日から鏡の前で猛特訓だな、なんて恥ずかしい自分に思わずツッ込んだことは───誰にも言えない。
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