■アフター ザ レイン
わかっていたことだ。
きっとこうなるって、わかってた。
電話に出なくなって、ラインの返事が遅くなって、「既読じゃん」とか気軽に言えない雰囲気になって、ああもう終わるんだなって気付いてた。
奇跡を期待してたわけじゃない。
こんな関係つづけたって意味ない。
わかってるのに───だけど、置き去りにされた心は宙にぶら下がったまま。
好きって気持ちも、ケータイのアドレス帳みたいに削除できたらいいのに。
「別れよう」の言葉を待っていたであろう彼に、私から最後のプレゼント。
いいよ、自由にしてあげる。
どうぞご勝手に、って友達の前では強がって笑った。
だけど、やっぱり……気を抜けばすぐ消えてしまう笑顔。
放課後の教室から一人で見下ろしたグラウンド。
運動部のかけ声、吹奏楽部の練習の音色。
彼との待ち合わせがあった時は、全部輝いて見えた。
今は見事なモノトーン。
調子外れの金管楽器の音が、嫌に耳に付いた。
「三日月?」
それが自分の名前だと認識するのに少しだけ時間を要した。
振り返れば、そこにあったのは見慣れたトサカ頭。
黒尾鉄朗はクラスメイト。
こんな時間に珍しい制服姿の彼が廊下からこちらを見ていた。
「何、なんか面白いモン見えんの?」
まっすぐに教室に入ってきた背の高い影が、背を丸めて開いたままの窓を覗き込んだ。
「や、別に。」
「ふーん、そっか。」
「うん。」
「やっぱなんか隠してねぇか?」
今度はこちらを向いた視線が細められて、
「だから、何も見えないって。」
「そーじゃなくて。」
私の頭に、大きな手の平が触れた。
「何、泣きそうな顔してんだよ。」
頭1つすっぽり包まれてしまう大きな手の平。
人肌のぬくもりに水分を増した瞳を慌てて伏せるけど、
「んな顔されるとなぁ、気になっちまうだろ。」
黒尾は私の頭に手を当てたまま、伏せた顔を覗き込んだ。
「……ッ見ないで!」
「なんでだよ。」
「見せたくない。」
「だから、なんで。」
言いながら、声が震えた。
だって、黒尾の手があったかい。
すぐ近くにある広い肩、縋る理由なんかないのに手を伸ばしたくなってしまう。
「みっとも、ない、から……ヤダ。」
泣いていることはきっとバレバレだけど、でもそんなの黒尾に関係ないし。
誰彼構わず甘えるみたいな、そんな女だって思われたくなかった。
「ん──、そっか。」
ため息の音が頭の上で聞こえて、離れていく手の平のぬくもり。
それにまた胸が締め付けられて、俯いたままでぎゅっと手を握った。
呆れられたかもしれない。
こんなトコで泣いてたことも、そのクセして可愛げのない態度も。
だけど、お願い。
もうこれ以上───
「え、あ……ッちょ、っと!」
思考を遮ったのは、逞しくてあったかい二本の腕。
驚いた私の背中に、あの大きな手の平が触れる。
黒尾に───抱き締められてる。
どうしてとか、どうしようとか、言葉を見つけるよりも早く、
「これなら、見えない。」
ぎゅうと抱く腕と聞いたことないくらい、優しい声音。
「もう見ねぇから、気ィ済むまで泣けよ。」
なんて言われたら、もう何も考えられないよ!
「黒尾、私失恋した。」
「そっか。」
「最近すごいそっけなくて、だけど別れようとか言われなくて、自分から言った。」
「そっか。」
「好きだったのに、別れたくなんかなかったのに。」
「そっか。」
しゃくりあげる声は、きっとみっともない。
だけど、気が付けば涙と一緒に言葉が溢れてきて、
「だけど、もう好きじゃないんだもん、私のこと。だから別れるしかないじゃん。」
「そっか。」
溢れる言葉のままに、ただ───泣いた。
「でも……好きなんだもん。」
「そっか。」
「……辛いよ。」
「そうだな、辛いよな。」
いっぱい泣いて、言葉を全部吐き出して、黒尾の腕に抱かれたままでやっとため息が出た。
「ちっとは落ち着いたか?」
だけど、その言葉にまた、溢れ出す涙。
「わ、かんな……ッい!」
泣いて、泣いて、泣いて泣いて、吐き出した嗚咽は、黒尾の腕の中に消えた。
「ご、ごめん。」
ひとしきり泣いて、ようやく引っ込んだ涙に顔を上げれば、
「ぶはッ、おまえ!マスカラ、すげー落ちてる!」
「え、ウソ!ちょっと見ないで!」
目の前にあった笑顔に、途端に恥ずかしくなる。
「おまえなぁ、見られたくないとか意味ねーじゃん。」
「うっさい、黒尾のバカ。」
「怒んのかよ。」
「……ゴメン。」
バッグの中から取りだした鏡とハンカチで目の下の黒を拭う。
その間も、黒尾は「ブハハ」とか「つーかマジでパンダ目とか言うだけあるな」とか笑っていたけれど、だけど───おかげでなんだか気が済んだ。
「なんか、すっきりした。」
「お、マジでか。」
きっとまだ目は赤いけど、ようやく戻ってきた笑顔になんだか心も軽くなる。
「てかさ、なんでまだ制服?部活は?」
「おー、それな。今日進路指導だったんだよ、だから今から部活。」
「え、あ、本当?なんか、やっぱりゴメン。すごい遅刻だよね。」
急に申し訳ない気持ちになって慌てたら、
「いーって、別に。」
「いや、でもさ……。」
ポンポンと手の平で頭を叩かれた。
黒尾の手は、やっぱり大きくてあったかい。
「三日月が元気になったんなら、いいって。」
そう言って、今度は顔を覗き込んで笑って、
「けどさ。」
企み顔の視線が見つめる。
「遅刻のお詫び的なヤツ、もらってもいい?」
「え、」
何何とか、思わず一歩後ずさると、「逃げんなよ」って黒尾はまた笑って、
ちゅ、
一瞬だけ───触れた、口唇。
「!!!」
声を立てて笑う声に我に返って、だけど急速に沸騰した思考。
ていうか、何コレ───!
だけど、
「失恋の傷を癒すには新しい恋が一番、つーだろ。」
頭から手を離した黒尾は、それから廊下に足を向ける。
振り返った視線に見つめられると、ドキドキと音を立てる胸に心臓まで揺さぶられる気分だ。
「彼氏候補に俺、考えとけよ。」
失恋したとか好きだったとか、多分どうでもよくなる予感。
それって節操ないのかな、だけど、だって───
すごく胸が熱いよ。
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