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■透明な媚薬 5

社内で会った三日月は、いつもと変わらない様子だった。
スガと三日月と、二人を引き合わせた後にそれぞれから連絡をもらったが以降は何も聞いていない。

もし順調ならそれでいいという思いと、自分の中にもう1つ───黒い塊が燻っている。
もしもスガと上手くいかなければ、なんとなく自分にまたチャンスがまわってくるんじゃないかと、どうしてだろうか、いつの間にかそんな風に考えるようになっていた。

傷つく三日月を見たくないという反面、傷つけばいいと願う自分がいる。
恋に傷ついて、また俺を頼ってくれたらいい。
そうしたら今度こそ───

こんな感情は初めてだった。


「おー、三日月。休憩?」

「あ、澤村くん。お疲れー、ちょっとコーヒー買って来ようと思って。」
昼下がり、エレベーターのドアから出て来た人波の中に三日月の姿を見つけて、声をかける。

「俺も行こうかな。」
左手にぶらさげたコンビニの袋の中にはスポーツ飲料が入っている。
コーヒーを買うつもりなんてなかったけど、言葉は自然に口から出ていた。


「カフェラテ。えーと、アイスでお願いします。」

「俺は、アイスコーヒー。」
オフィスビルのエントランス階にあるコーヒーショップ。
午後の一服がてら立ち寄る人も多く、2人ほどが並んでいた。

二人してコーヒーを買って、どうしようかと視線を巡らせた俺に三日月が言った。

「ちょっと、休んでく?」
ガラス張りのオフィスから階下を見下ろす窓際、そこに並んだカウンター席に腰を落ち着けた。

うっすらと窓に映る自分と三日月。
視線だけを動かして隣を見れば、その横顔が俯いた。

「疲れたね。」

「まぁ、木曜だかんな。」

「だよねぇ。」
サラリーマンだなぁと思わされる会話。
こんな会話を三日月と交わして、もう何年になるのか。

同僚で、ライバルで、好きだったのに届かなかった存在。
何度も諦めて、だけどこうして隣に立てばまた感情が揺れる。

女らしい外見と対照的に溌剌とした性格で、入社当初から三日月は人気があった。
俺も、最初は三日月のそういう部分に惹かれていた。
だけど、少しずつ違っていった。
親しくなればなるほど、一番魅力的に感じたのは三日月の誠実な性格。

優しいとは少し違う。
三日月の物言いはどちらかと言えば辛辣だったし、皮肉屋でもある。
だが、誰よりも誠実だった。
相手の言うことに耳を傾けて、気持ちを推し量って、それは、仕事についても同様だったと思う。

見た目と人当たりで役員に人気があるからなんて言うヤツもいたけど、俺は違うと思っている。
華やかな見た目と対照的に三日月の仕事ぶりはどちらかと言えば地味な方で、その代わりきちっとした実績を残してきた。
それが、上司にも信頼されたんだと思う。

三日月の誠実さは、人に対しても同様だ。
相手の気持ちに、自分の気持ちにいつだって向き合おうとする三日月と一緒にいると、楽しいよりも俺は安心した。
軽薄さや嘘偽りのない三日月の言葉は、いつだって安心して聞けた。


だから、
そんな三日月だからこそ───好き合った人に裏切られたことは、大きな傷になったはずだと思う。
現に離婚後の三日月は、人付き合いを意識して避けているようにも見えた。

「まーでも、あと1日か!」

「2日だろ。」

「いーの、今日はもうノーカウント。」

「ハハ、前向きじゃん。」
その三日月が、あの日俺に見せた素顔。

自分を傷つけた相手が憎くて仕方がないって、相手を憎む自分が怖いって、ありのままの本音を俺に打ち明けてくれたのに───

『他人の不幸を願うとかさ、やっぱり良くない。三日月のためにさ、ならないだろ。』
なんて、呆れるくらい教科書通りの言葉。
説教臭い言いぐさだと、思い出してもそう思う。

受け入れてやればよかった。
頭にくるのが当然だよなって、むかついていいんだって、でもきっと楽になるから大丈夫だぞって、言えればよかった。

綺麗でいてほしいなんて、都合の良い詭弁だ。
俺は、三日月の悲しみを受け入れるだけの度量がなかったんだ。

本気で傷ついて、自分を見失って、きっと苦しんでいるだろう三日月を受け入れるだけの覚悟が───あの時の俺にはなかったんだと思う。


「あのさ、」
俯いたままで三日月が言った。

「菅原くんにさ、もし会ったらゴメンねって伝えてもらえる?」

「え……。」
心臓が跳ねた。
ドキドキと動悸が止まらない。
途端に汗ばんだ手の平を、俺は握り締める。

「自分で言った方がいいのかもだけど、それも重いかなって思うし。なんか機会あったらでいいから。」
三日月は、俺の目を見てはいなかった。
手元のコーヒーを見つめたままで、まるで用意してきたみたいにそう言った。

「澤村くんにも、ゴメンね。せっかく紹介してもらったのに、無理っぽい。」
乾いた笑いが、三日月の口唇から零れた。

「バツイチとかさ、やっぱ面倒くさいじゃん。」
三日月の口調は、軽かった。
だけど、俺は軽くなんて捉えられなくて、

「それ、スガが言ったのか?」
思わず語気を強めていた。

「え、ううん。違うけど。」
驚いたみたいに、三日月が顔を上げる。

「違うけど……でも、困らせちゃったなとは、思った。」
こんな風に悲しい顔をした三日月を見るのは、初めてだった。

震える睫毛から、雫を浮かべた瞳から、溢れ出す悲しみが零れ落ちそうで───目が離せない。


「三日月……。」
苦しそうに息をする三日月を抱き締めたくて、だけど三日月の発した言葉は、そのまま俺の胸に突き刺さる。

「困らせちゃったな」って、あの時の三日月も思ったんだろう。
開きかけた心を閉じてしまったあの時、三日月は俺に対して───きっとそう思った。
気が付いて、胸が痛んで、また何も言えなくなる。

「だって、ホラ!」
三日月が笑う。
瞳に浮かんだ涙を誤魔化すみたいにして、笑う。

「普通、面倒だよね。だってなんでもない女の子だって他にたくさんいるんだから、わざわざ私のこと相手にする必要ないよねーっていうかさ。」

「そんなこと、ないだろ。」
カラカラに乾いた喉の奥から、絞り出した声。
目の前のカップの中で溶けていく氷が、どこか歪んで見える。

「そうかなー。でも、とりあえずそんな感じ。」

そんな感じってどんな感じだよ?
なんでまた無理して笑うんだよ?
俺はおまえを傷つけたから、だからやっぱり俺なんて頼りにならねーって、そういうことか?

ずっと三日月が好きだった。
泣き顔だって怒った顔だって、綺麗じゃない三日月も、きっと俺は好きなんだ。

そう思うのに───
一歩を踏み出せないのは、同期の距離?それとも俺が臆病だからなのか?


わからない。
わからなくて、握り締めた手の平に爪を立てる。


「じゃあ、ね。」

笑えない俺と泣けない三日月と、二人の距離はまた縮まらないままで。
答えはまだ、見えないままで。


俺は───背を向けた三日月の姿を追いかけることはできなかった。


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