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■透明な媚薬 4

おかしいなとは、少し前から思っていた。
それは、アイツのことだ。

三日月と籍を入れたアイツ───それは俺の同期でもあった。


バランス感覚のある男だった。
他人にはないひらめきがあったし、それでいてひけらかすところもない。
だから、三日月がアイツと付き合ってるんだと知った時は、なんとなく納得して……自分の気持ちを諦めた。

ずっと、好きだった。
三日月のことが好きだった。


仕事柄、酒の席は多い。
それは接待だけでなく、同期同士の集まりも同様だ。
だから、アイツとはしょっちゅう顔を合わせた。
友人だと思っていたし、それに相応しい関係もあった。

同期の男ばかりの酒の席に、ある日知らない女を見かけた。
アイツの隣に座っていたその人を、それからよく見かけるようになった。
会社に派遣で来ている少し年上の女性だということは、しばらく後で知った。

女に溺れるような男じゃない。
三日月を裏切るなんてあり得ない。
だから、感じた違和感を封じ込めた。


『招待状、受け取ったよ。』

『ありがとう。忙しいと思うけどよろしくね、澤村くん。』
幸せそうな笑顔の三日月。
少しだけ苦しくて、諦めたつもりでいた感情がまだ自分の中で燻っていることに気付いたけれど、俺は何をどうするでもなかった。

挙式の前に籍を入れた二人が、結婚式を中止すると聞いたのは直後の出来事だった。


いろんな噂があったし、その1つ1つに俺は気を揉んでいた。
上司のところをまわった後で、俺たち同期に式の中止を詫びに来た三日月は憔悴しきっていて、俺はただ「わかった」とだけ告げた。
気の利いた言葉を言えれば良かったと思うが、そんな言葉は今になったところでやっぱり思いつかない。

次に三日月に会ったのは、それから半年が過ぎた頃だった。
挙式の中止を決めたすぐ後に三日月が離婚したこと、社内ベンチャーの立ち上げメンバーに決まっていたアイツが上司と一悶着起こした末に会社を辞めたこと、それももう皆の噂にはあまり上らなくなっていた。

『あ、なんか澤村くんの顔見るのって久しぶり。』
少し線の細くなった三日月は笑顔で、だけど僅かに怯えを覗かせる表情に───胸が騒いだ。


俺は、三日月のことが好きなんだ。
諦められてなどいなかった。
三日月が別れたことを知って、傷ついている三日月を見て、また気持ちが燃え上がっていることに気が付いた。

それなのに、

『じゃあ、飲みに行くかー。』
目を逸らして、だけど精一杯の勇気で二人で飲みに行こうと誘って、それなのに俺は───、三日月を傷つけた。


『同期会、全然こねぇじゃん。』
ざわつく店内で肩を並べて座った。

『そ、だね。まぁ、ちょっと……ホラ、行きづらいじゃん。』
カラリとグラスの氷をまわして、三日月が瞳を伏せた。

『色々言われてるでしょ、私。』
作り笑いに歪んだ口唇。

『……どうだろうな。俺はあんま、そういうの気にしないから。』
あまりにも短い結婚生活は、憶測と好機の的だったし、本当は、色々聞いていた。
三日月の束縛が激しかったとか、強引に結婚を迫ったとか、新しい恋人のできた相手を散々に責めたとか、そういう種類の噂のことを言っているのもわかっていた。

『友達まで、なくしちゃった。』
実際、男の方を擁護する者も多かった。
それは多分、三日月に対するやっかみもあったのだろう。

三日月は会社の役員の覚えが目出度く、アイツもまた社内ベンチャーの旗手として注目される立場にあった。
実際はプロジェクトについて揉めたことが原因だろうと察しながら、それでも三日月がアイツを辞めさせたらしいという根拠のない噂話を面白可笑しく口にする連中もいた。
それは、三日月が親しくしていた相手の中にもいたらしい。


『私にも悪いトコあったのかもだけどさ、やっぱ言われるのって……キツくて。』
悪いところがあったなんて思う必要ない。
仕事に躓いて女に逃げた、それだけだ。
三日月に悪いところなんてない。

そう言ってやればよかったのに。
俺が口にした言葉は、全然違うものだった。

『結婚て、他人にはわからない色々があるんだろうけどな。』

『……そう、かな。』

『でもさ、前向いて頑張れよ。三日月なら大丈夫だって!』
教科書通りの言葉をなぞる俺に、三日月は笑って曖昧に頷いた。


それからはまた違う話をして、互いの仕事のことやあれこれと他愛もない話題を行ったり来たりした。

『澤村くん。』
どうして、その手を取れなかったんだろう。
どうして、三日月の味方をしてやれなかったんだろう。

『私、やっぱり大丈夫じゃないよ。』
どうして、気付かないフリをした?
三日月が見せた一瞬の感情の吐露を、三日月が俺に寄越したただ一度のサインを、どうして俺は───。

『三日月……。』

『毎日毎日苦しくて、変な考えが頭から離れなくて……悲しいとか惨めとか、それに……憎んでる、彼のことも相手の人も。』
どうして俺は、三日月を傷つけることを言ってしまったんだろう。

『そんなこと、考えるなよ。』

『考えるよ。』

『でも、よくないだろ。』

『よくなくても思っちゃう。許せない、憎い、幸せになるなんて認めないって……だけど、そんな風に思う自分が怖い。』
三日月がどんな顔をしていたのか、俯いていたからわからない。
違う、そうじゃない。
俺が、見ようとしなかったんだ───そんな三日月が見たくなくて、俺が目を背けたんだ。

『他人の不幸を願うとかさ、やっぱり良くない。三日月のためにさ、ならないだろ。』

『……そっか、そうだよね。』
それきり、三日月は口を噤んだ。


嫉妬や恨みの感情が醜いことくらい、三日月だってわかっていたはずだ。
わかっていたからこそ、きっと苦しんでいた。
それなのに、俺は三日月に理想を押しつけた。
綺麗でいて欲しい、なんて独りよがりの理想を押しつけて───三日月を傷つけた。

好き合った相手を失う悲しみ、信じていた相手に裏切られる苦しみ。
自分の生き方を否定されることの重み。
それでも誰も恨むななんて、俺の身勝手な押しつけだ。

俺は三日月に理想を押しつけて、三日月を傷つけて……それで、三日月に触れるただ一度のチャンスを失った。
───三日月はもう、俺に弱音を吐いたりはしなかった。


そんなことがあってから、もう1年が過ぎた。
三日月の表情は目に見えて明るくなったし、同期会にも顔を出すようになった。

「出会いとか、全然ないし。でも、結婚したいよねー。」
そんな風に軽口を叩く三日月と俺の距離は、また元通り。
多分あの日の一瞬が、人生で一番、三日月に近づいた瞬間だったのだと今更のように思い知る。

「合コンとかは?」

「えー、そういうの意味なくない?」
三日月の笑う顔に今はもう偽りはないのだと思うけれど、それでも胸が苦しい。


「じゃあ、どんな男がいいんだよ。」

「そうだなぁ……。」
酒の席の戯言さえ、胸に突き刺さる。

「優しくて穏やかで……笑って、なんでも受け入れてくれる人、かな?」
おまえじゃないって、言われた気がした。

そのことに傷ついて、だけど同時に浮かんだ顔。
一番の親友の笑顔、その笑顔に俺も何度も救われてきた。


スガなら、勝手な理想を押しつけたりはしない。
相手の言葉を聞いて、気持ちを推し量って、寄り添うことのできる男だから。

傷ついた三日月の心を、俺が傷つけた三日月を、スガなら癒せるんだろうか。
歯を覗かせて笑う親友の顔を脳裏に描きながら、気が付けば言っていた。


「俺の友達にさ。ピッタリのヤツ、いるよ。」
紹介するという俺と遠慮する三日月と、押し問答を繰り返して、結局は「スガに聞いてみるな」と押し切った。

三日月が笑えるなら、それでいい。
心から───おまえが笑ってくれるんなら、それでいいよ。


そう思いながら、頭の隅にあった小さな小さな感情の芽。
浮かんだ考えの醜さに自分でもゾッとなる。


もし、
もしも───三日月がまた傷つくことがあったら、


その時は、きっと俺は……。


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