“情”態変化
未満な二人/総司の朝目を覚ましたとき、隣に居たはずの男の姿はどこにもなかった。
そういえば朝稽古の約束があると耳にしたような気もする。
遅くまで飲んで帰ってきたあげく、灯した火が消え東の空が白ずんでも尚、己を抱いていたというのに。全く以って元気なことだ。
一人きり、それならば。すっかり窮屈さを感じなくなった布団の上を思う存分堪能してやろうじゃないか。しなやかな肢体を猫のように伸ばしてから、総司は手足を“大の字”に広げた。
冷え切った布団の感触は、男が居なくなってからかなりの時間が経ったことを物語っている。
一人寝が寂しいとか、狂熱的な一夜をともにした相手に声もかけずに部屋を出て行くなんて…とか、生憎そういった感傷にひたるような関係ではない。少なくとも総司はそう思っている。
――にもかかわらず、だ。
そんな甘い関係ではない筈なのに、男はいつも濡れた総司の身を清め、肌触りのよい新たな夜着へ整えていく。
これが総司には不思議でならない。
互いに行為が終わってしまえば、目の前の相手など不要ではないか。自分だったら絶対に、そんな面倒をしたいとは思わないし、引き受けたりもしない。随分と世話焼きで物好きな男だと思う。
そんな面倒なことしなくてもいいのに。
言ったこともあったが、柔らかい笑顔で『当然の礼儀だろう?』と突っぱねられた。以来、総司もそのことについて言及しない。ベトついた肌を拭ってもらえるのは有難かったし、服だって布団だって清潔なものの方が嬉しいに決まっているからだ。
総司は大きく息を吐くと、伸ばした指先に触れる畳の目を弄びながら重い瞼をもちあげた。すでに明るい部屋の中、視線の先にある見知った天井。ぼんやりとした意識の中で、己の体の疲弊を測る。
男が満足するまで身体を好きにさせていると、最後には意識を手離してしまうことが殆どだったから、目を覚ますと先ずこうするのが癖になってしまっている。
普段は包み込むように温かな空気を纏っていることが多いのに。
最中の男はまるで獣のようだ、と総司は思う。
心地好いそよ風に身をまかせていた筈が、いつの間にか激しい灼熱の焔に包まれ…身を焼かれている――そんな温度差がある。
男が秘めていた凶暴なまでの熱、少なくとも総司は、それが気持ち良いと感じたのだけれど。
「女は守ってやるもんだ」などと戯言をぬかしているあの男は、きっと、その凶暴さを女にぶつけられないのだ。
「当然の礼儀だろう?」なんて微笑んだあの柔らかな空気で、あくまで相手優先の、牙を隠したままの情を交わすのだ。自分は満足なんか出来やしないくせに。
そうして薄っぺらで甘ったるい言葉を並べて、女を毒牙にかけている。それで「優しい男」だなんて、性質が悪いったらありゃしない。
――夜を共に過ごす女には困らないであろうに、わざわざ男である自分を相手に選んだのは、これが理由なのだろう。総司は勝手にそう解釈している。
ふあぁ、と大きな欠伸をした。
それから襲ってきた睡魔に逆らわず、ゆっくりと目を閉じる。どうやら疲れきっているらしい身体が、まだ休息を欲しているようだ。
寝返りをうって布団に顔を埋める。
すん…と鼻を鳴らすと、うっすらと男の残り香を感じたような気がした。
それとも……、
幾度も体内に吐き出された熱のせいで、己の体に男の匂いが染みついてしまっているのだろうか。(何を莫迦なことを――)そんなことを考えた自分が可笑しくて、総司は肩を震わせて笑った。
(本当に満足させてあげられるのは、僕だけだよ)
ねえ、僕だけでしょう?
それは胸の奥の奥深く…よりも
もっともっと奥に潜んだ感情。
いつからか芽生えていた―優越感―のようなものの正体。知っているような知らないような、変てこで歪な心の形。
「あぁ眠い!」と大きく声に出してから、もう一度寝返りをうてば、先程と何ら変わりのない見知った天井がそこにあった。
考えてしまうと頭が痛くなりそうだ、ならば余計なことは考えず寝てしまうにかぎる―――瞼の裏にまで焼きついてしまったかのように、ちらちらと掠める強烈な緋色を消し去ろうと、総司は半ば無理やり夢の世界の扉を開いた。
情が変化する一歩手前の。← →
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