ラビさん熱ですか
ピピピ。小さな機械音が部屋に充満。外では変わらずして雨が窓に猛突進してくる。山積みになった新聞がまるで追い打ちをかけるように背後から迫ってきた。
「38.8度。やっぱり熱あるじゃない。大人しく病室行ったらどう?」
「うう。オレあそこ嫌いなんさー」
「嫌いとかじゃなくって」
はぁ、と深いため息。先ほどからこの様子。子供じゃああるまいし。彼をその気にさせようと体温計まで借りてきたのに、なんの意味もなかった。この埃っぽい部屋に居たらもっと悪くなるのに。
任務から帰ってきたラビだったけど、最後なんて土砂降りだったみたいで全身ずぶ濡れで帰ってきた。大丈夫さー、なんてヘラヘラしていたのもつかの間。この通りである。
そもそもエクソシストたるもの、風邪なんてものに負けている暇が無いというのに、どうも彼はその辺の理解が少ない気がする。
「薬飲んで寝たらすぐ治るってー。別に病室行くこともないし。まだ新聞読んでないし……へっぶし」
「もう。とりあえず水とか持ってくるからね」
いつもどおりの笑顔。違うのは真っ赤な頬とぐずんだ鼻。怠そうな体。病人そのものだった。変わらない笑顔もどこか無理をしているように思える。
それから部屋からこっそりと出て、病室へと向かう。病室は一つ下の階だから近いし、早く行こうと自然と早足になった。彼が風邪で辛いということくらい分かっているが、自分はどうも上機嫌になっていた。久しぶりに会って嬉しいのもあるが、自分で看病できるのが少しだけ嬉しい。彼を独占できるのが、嬉しかった。彼には悪いとは思うけど。
ザアザアと外から聞こえる雨音。誰も居ない廊下。みんなどこに行ったのだろうか。時間帯的に夕ご飯か修練場にでも行っているに違いない。科学班も変わらずだろうし。兄さんも相変わらず忙しいだろう。
なんて考えていると病室に着き、重い扉を開ける。
そっと覗いてみると、婦長さんがファインダーさんの手当をしている。それほど今日は患者が少ないようで、手が空いている看護師さんもいるようだ。
物音を立てないようにこっそりと入り、一番近くに居た看護師さんに声を掛けた。
「あの、ちょっと熱の人がいるのですが、ボウルとかタオルありますか? あとコップもあれば嬉しいのですが……」
「えぇありますけど、患者さんであればこちらに来たほうがいいかと思いますよ?」
「ええっと」
そうに違いない。彼を無理やりでもここに連れてきたほうが早く治るくらい分かっている。自分の都合やら彼の私用で我儘を言っているよりも、ここに来たほうが。それは分かっているのに、どうも言葉に示せない。うだうだと考えていると、何かを察したように看護師さんは部屋の奥へ行ってしまった。
「はい、ボウルとタオル。それから熱ならクズ茶がいいわよ。これ少しだけど持っていって。まだ温かいはずだから」
「わぁ、すいませんこんなに……。貰っていきますね! 彼も喜ぶと思います」
「ええ。早く治ると良いわね」
そこまで言って、自分はなんて恥ずかしいことを言っているのだろうかと我に戻る。さっきのラビ以上に頬が熱くなっている。恥ずかしい。
「えっと、じゃあ、また後でなにかあったら来ますね」
逃げるように私は病室から出る。ドアの先で私は一先ず深呼吸をし、小さく頭を振った。
「あれ、寝てる」
部屋に戻ると、案の定彼は熟睡の様子だった。小さく寝息をたてて、背をこちらに向けて布団にくるまっている。情報の山から降ろしていた椅子に持っていたものを置き、もう一つ椅子を降ろして腰を下ろす。
「やっぱり寝ているときも眼帯外さないんだ」
真っ黒な右目。眼帯で片目を被っていると視力が物凄く低下するんだっけ。ということはもうラビの右目は見えないんだろうな、なんて思慮をする。
彼が今までたどってきた人生ってどんなのもだったんだろうか。何度も何度も名前を変えて。ラビという名前もきっと今だけなんだろうな。
使い捨ての名前。それでも彼がラビであることに変わりはないんだけど。
「おーいラビー。起きてるー?」
返事は無い。当たり前か。なんて。
余りにも幸せそうな顔で寝ているものだから、思わず写真にでも収めたくなる。でも誰にも見せたくないからやっぱり頭に焼き付けておく事にしよう。なんて一人で納得。
水の入ったボウルからタオルを取り出し、少し絞って彼の額に置いた。これで少しは良くなってくれるといいなぁ。
気が付けばカクンと頭が落ちて、ベッドの淵でぐっすりと寝ていた。外も真っ暗。目が覚めた時には雨はすっかり止んでいて、空には月がハッキリと浮かんでいる。
目線を下げるとコップが写り、クズ茶は無くなっていた。いつのまに彼は起きて、いつのまに飲んでいたのだろうか。なんとなく損した気分。
「リナリー、起きた?」
彼はそう言いながら専門書から視線を反らす。頬はいつもどおりだし、熱も落ち着いたように見える。眠気眼を擦ってなんども見直したが、見間違いではなさそうだ。
「よっこら」
「ひゃっ」
私の脇に腕を通し、思い切り持ち上げる。そのまま私は彼のベッドの上に乗り、終始瞬きをぱちくりと何度もした。
「んーありがとう」
そう言いながら彼は私を精一杯抱きしめる。熱だったので厚着をしていたはずなのに、そこからでも感じる温もり。まだ熱残っているんじゃないかと思うくらい熱い。
「ちょっと、移ったらどうするの?」
「そうしたらオレが看病するから問題ないさー」
呆れた。最初からあまり抵抗が無かったのはこういうことだったのだろうか。呆れて物も言えない。それでも嬉しいと思う自分は幸せ者なんだろうな。だから何も言わないけど。
「もう降りてもいいかな――」
「ダメ」
今度はキミの脳内が風邪を引いたんだろうな。思考回路がいつもよりおかしな、と私は思うのだ。
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むしろ風邪引いたリナリーは可愛いと思う。
2012/02/08
[
モドル]