梅雨前線
I lost him.

神前恒一とみんな



 クラスメートになるはずだった人が、亡くなった。
 白血病だった。
 その人は長く入院していた人で、しかも留年で上からおりてきた人だったから、全く面識はなかった。
 同じクラブで、同じ楽器だったらしいけれど、サッカー部落ちの俺は1年の後期になってから吹奏楽部に入って、その人は2年の夏のコンクールが終わってすぐ入院したらしいので、一応先輩、という、なんとも希薄な関係だった。


 1学期末考査期間中だった。以前から、お見舞いに行こうと言う話は、その香田さんと同中で仲の良かった國田がしていた。だけど、香田さんの体調が思わしくなく、結局その日まで行けずじまいだった。
 最終下校まで学校に残り、いつものように寮に帰ると携帯が國田からの着信で埋まっていた。
「今すぐ病院に来て、やばい」
 いつも気楽で肝の座った國田が、珍しく焦っていた。だが、今は考査期間中だし寮生でかつ高3である俺が、こんな遅くに出歩けない。
 泡を食って担任に電話すると、今は大丈夫だということだったので、掛川に連絡して、2人で明日いこうということになった。
 次の日、さすがに部長には言うかと、その日のテストが終わってから西城を呼び出した。
 西城は黙って俺たちのしどろもどろな話をきいてくれたが、最後に少し焦ったような顔をした。
「それなら藍埜はつれていったほうが良い。あいつ香田さんとものすごく仲が良かったから」
「今日残ってるよな?」
足早にB組の教室に戻ったが、窓際一番前の席に荷物はなかった。
「信じらんねえなんで帰ってやがんだよ」
思わず藍埜の机を蹴ると、教室は一瞬静まり、また元通り昼休みの喧騒を戻した。
「仕方ない。また明日いってもらおう」
「ああ、高2のテスト終わったら、俺、國田とか摘草とかに今日行くかきいてくるわ。そっから堺とこにいこう」
 担任である堺に俺は、今日病院に行くメンバーを連れて来てくれと言われていた。俺自身は、堺にメンバーを預けて、自分は病院に行く気はなかった。
 知らねえ、人だし。
 B組に戻ると佐原が気遣わしげな目でこちらを見たが、何があったか言うわけにはいかなかった。
「藍埜のやつ、いてほしいときに限って帰りやがって……」
「あいつはそういうやつだから……」
 思わず舌打ちが漏れる。佐原に頼んで買ってきてもらったオレンジジュースにストローをさして一気に半分ほど開ける。一応コンビニおにぎりはあったが、あまり食べる気にはなれなかった。
「神前、食べないの?」
 佐原がイチゴオレを飲みながら言った。
「いや、あとで食う」
「ちょっとで良いから食べときなよ。しんどいよ」
 柔らかい声だった。言われるままに、おかかのほうを開ける。
 結局、朝を抜いた体は貪欲で、おにぎりはあっという間になくなった。
「うん、ちゃんと食べられたじゃん」
 その声にちょっと落ち着いたとは、赤面モノすぎて言えない。
「あっりがっとよっ、おかーさん!!」
「違う!!」
オレンジジュースの残りを飲み干し、佐原の頭を軽く叩いて教室を出る。階段をおりると、すぐそこに國田がいた。
「あ、神前さん」
「よう、お前さ、今日行くの?」
「自分昨日行ったから今日はいいよ。多分悠然も凪も瑳都もいいと思う」
「わかった。じゃあこっちの学年は、今日いってくるから」
「わかったー。気をつけてー」
「毎回言うけど敬語つかえよな」
「えー、なんてー?」
 この野郎。
 言っても治らないことは知ってるし、これは一種挨拶みたいなものだ。國田と別れて掛川と西城をつかまえ、堺のところにおくりこめば俺の仕事は終了、
「神前も行ってくれんねやろ?」
のはずだった。
 そりゃ、なんかいつもなんとなく気にはなって、ノート大丈夫ですかやら卒業アルバムどうするんすかとかいろいろいってはいたけど、何度もいってるように、俺は知らな
「俺昨日突然すぎてなぁ、これ持っていかれへんかってん。神前に頼んでいいか?」
 机の下から、堺は黒い紙袋を出した。
「あっ」
 見覚えのある鮮やかな青が、紙袋から覗いた。
「体育祭のクラスTシャツやねんけど、委員長が香田にってとっといてくれたやつやねん」
「……」
「渡してきてくれるか?」
 これを断るわけには、いかなかった。俺の中は、すでに決意しているようで、外側の極うすっぺらい部分だけが、少しびびっていた。
「はい」
 手渡された紙袋は、とても重かった。



¶¶¶



 病院の最寄り駅につくと、雨が降り始めた。
「だれだよ雨人間」
「私じゃない」
 綺麗に晴れる7月生まれの掛川ではないだろう。
「……俺でもない」
「なんだその間(ま)は」
俺はついこの間、梅雨真っ盛りの日に18になった。いやでも俺のせいじゃない。
 少し歩くと、民家が立ち並ぶ通りに入った。
「紫陽花、はじめて見た」
「それはやばい」
「どこもやばくねえよ」
目の端に、淡い青紫と水色が踊った。
「確か紫陽花って土壌のpHで色が変わるんだよな?」
「あー、アルカリだと赤で酸性だと青とか」
「リトマス紙と逆?」
 西城の問いに少し自信をなくすが、昔に、「普通一緒だろ」と思った記憶があるので正しいはずだ。
「多分、ここだな」
 地図を広げていた西城が言う。目をあげると、大きい病院が、ずっと奥まで伸びていた。
 案内された病室の外には、当たり前だけど香田さんの札がかかっていた。
 俺の眉が寄った。西城が、手を握り締めた。掛川が薄い唇を噛んだ。廊下まで、香田さんのお母さんが泣きながら香田さんを呼ぶ声が、こだましていた。痛々しい声だった。喉の下辺りを揺さぶられる。息が詰まる。
 病室に忙しなく出入りする看護師さんたちが、来てくれたのに悪いけど、少し待ってね、と優しく言った。
「神前、Tシャツちゃんと持ってるな」
「うん」
 紙袋も、喉の奥も重かった。
 掛川の顔を横目で見ると真っ白だった。廊下は薄暗く、あまり背の高くない西城と、そこそこ背の高い掛川と、結構背の高い俺で、並んで、声のでないまま立っていた。
「……っ」
 病室から聞こえる声が、一際大きくなった。
「お友達よね? 中に入って、名前を読んであげて!」
 その声に急き立てられて、病室に入った。廊下の時計を見ると病院に着いて、30分くらいたっていた。
 予想に反して、中にベッドはなかった。香田さんは布団に寝ているみたいだった。俺は、前にお父さんらしき人の頭がかぶって、香田さんの顔を見ることは叶わなかった。
 お母さんが、声、かけてあげて、と、涙でぐしゃぐしゃになった顔で言ったが、西城と掛川はもちろん俺も声は出なかった。
 いよいよ本当に危ないとみえて俺たちは看護師さんに促されてまた廊下に出た。
「……ぜんぜん、面影がなかった」
 掠れた声が聞こえた。西城の声だとわかるまで、しばらくかかった。



 頼むぜ、頼むよ。
 あんた、お母さん泣かせてんなよ。
 ここでかわいい後輩が待ってんだよ。
 3年B組はいつまでたっても揃わないじゃねえか。
 死ぬなよ。
 頼むよ。



「あ……」

 願いは届かなかったようでもう一度病室の扉が開き、家族の方が出てくるまで、そう長くはかからなかった。
「来てくれたのに悪いけど、今、亡くなったよ」
 お父さんが沈鬱な表情で言った。俺の顔が強張るのがわかった。お母さんが、横で泣き崩れた。隣で、西城と掛川がどんな顔をしているか、見たくなかった。Tシャツの入った紙袋が、また重く、手に食い込んだ気がした。
 そのあとのことはよく覚えていない。次々と香田さんの友達がやって来て、俺達はずっと立ちっぱなしだったからロビーの椅子で休ませて貰ったりした。

 かなりの時間が経って、化粧を済ませた先輩に会うことが出来た。お父さんの考えで、制服を着ていた。
 楽器など吹けるはずもない、痩せ細った小さい体だった。すっかり色の抜けた骨ばった手が、布団から出ていた。
 来ていた保健の先生に、俺はTシャツのことを話していた。体に、かけてあげて、と言われたが、俺は動けず、西城が畳にあがり、香田さんの体に、青地に黄色で柄の描かれたTシャツをかけてくれた。
「先輩、おれ、体育祭のTシャツ青組に負けちゃったんですよ。旗も頑張ったのに」
 西城は、今年赤組だった。音楽だけでなく絵も得意な西城は、今年鮮やかな夕日を掲げて旗手リレーに出ていた。
 泣き笑いで語る西城に、掛川がつられて、香田さんに声をかけた。
「先輩、何してるんですか。まだ、先輩にアンサンブル聴かせてないじゃないですか。國田も、神前も、すごくうまくなったんですよ」
端正な顔が歪んで、涙が流れた。
「いかないでくださいよ」
 俺は一人だけ、泣けなかった。
 ただ、泣くほどこの人と、仲良くなっていたかった。

 香田さんが、家に帰るとのことで、制服姿かつ考査期間中かつ高3の俺達は家に帰された。
「まさかこんなことになるとはな」
 ぽつりと西城が呟いた。
「明日テストか……」
現実感がなかった。古典とリーダー。今からなら、そりゃ睡眠時間を削れば間に合う。
「勉強したくないな」
 思わず言うと、いや、と西城の声がかえってきた。
「おれはやるよ」
どうせ今日は寝付けないだろうし、と付け加える。
 まあそりゃそうだった。俺達に勉強しないという選択肢はない。
 そのあと、いろいろ話したような気がするが、耳の底にいつまでたっても、香田さんのお母さんの泣き声が残っていた。
 寮に戻ると21時を過ぎていた。帰り際に西城が、おまえらちゃんとなんか食べろよ、といっていたのを、ぼんやりと思い出した。

 コンコン

「よお」
「なんだよ、お前か」
 テスト期間だから今は懸命に勉強しているはずの、年子の弟が俺の部屋を訪れた。
「なんだよってなんだよ。あ、普通のとシーフードと、どっちがいい?」
手には割り箸2膳とカップラーメン、提げているレジ袋にはいくつかスナック菓子が入っているようだった。
「シーフード」
「うっわ予想外れた」
 弟の浩二は、悔しげな顔をして、すぐに表情を戻し、勝手知ったると言ったふうにポットに水をくみ、その間に持ってきたぼんち揚げを食べた。
「太るぞ」
「あ、大丈夫、エネルギー使うから」
 俺の忠告が意味を為さないのは知っている。こいつは國田と同類だ。
 ネクタイだけとって椅子に座っていた俺の前に、カップラーメンが置かれた。
「兄貴、おつかれ」
「……國田からきいたのか?」
「ん? 何を? 普段絶対普通派の兄貴がシーフード選んだし、顔色悪いし、俺がおしかけたのに文句ひとつ言わないから、こりゃ相当弱ってんなって」
今苦しいのは事実なので言い返せずに黙って箸を割った。
「ありがとう……。いただきます」
「はい、どうぞ」
 にっこり笑って浩二が自分のカップラーメンをすすりはじめた。
「あ、俺今日ここで徹夜するから」
「……ブラコンってからかわれんじゃね?」
「ひっでーかわいい弟がこんなになついてんのにさー」
「いや、お前がいいならいいけど」
 ゆっくり麺を口に運ぶ。ああ、うまいなあ。

 ああ、生きてんだなあ。

「なあ恒一」
 あっという間にカップラーメンをあけた浩二が、珍しく真剣な声を出した。
「長生きしろよな」
「……なんだよソレ、いきなり変なこというなよな」
 あまりに胸に突き刺さって、一瞬声がでなかった。
「お前こそ、こんなんばっか食ってたらいつか体壊すぞ」
「大丈夫ですー、俺まだ若いからー」
「……そうかよ」
 半分も入らなかったので残りは浩二に押しつける。よく食べるな。
「もうさ、風呂はいって寝れば? どーせノー勉でも欠点はないっしょ?」
「そう信じてる」
「俺、起きてっからさ、大丈夫」
 そういう浩二の顔が、佐原や西城の笑い顔にだぶって、なんだかよくわからないけど泣きそうになった。














































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