▼ 泡沫

(デ・リーパー:捕らえた生命体の記憶、感情等を分析し成長する。また、生命体の声を使い、外部とも接触する。いつ、どこで、誰が作り上げたプログラムなのかはいまだ不明)








果ての無い肉色の世界だった。
空を無数のケーブルが覆い尽くし地面は肉塊のような細胞で覆われ、呼吸をするのもためらわれるような、そんな薄気味の悪い空間であった。


「…」


インペリアルドラモンはその空間にあってなお溢れんばかりの恐ろしさを身に纏っていた。
背の大砲はいつでも発射できるように配備され、暗い闇の中から赤い瞳だけがぎょろぎょろと満遍なく辺りを見回していた。


『後から必ず向かう!無茶はするな!』


デュークモンの言葉が耳鳴りのようにインペリアルドラモンの頭の中で反響していた。
しかし、その言葉は彼女の頭の中で雑音のように無意味な物へと変り果て、その胸に秘めるは、己のテイマーを攫ったデ・リーパーに対する憎しみがあるのみ。彼女は己を震わせる怒りを誇示するかのように空に咆哮した。


「インペリアル、ド、ラモン」


彼女の鼓膜を不愉快な音が撫でた。
脳裏に電気が走り、その目が眼下を這い回る異様な肉塊を捕らえた時、インペリアルドラモンはすでに体勢を変えていた。

己の翼を下流からの風が撫でる。強く息を吸い込んだ。


「――ッ」


瞬きの後には、強烈な熱風と、どこまでも木霊するであろう砲声が肉の世界に反響し、溶けていった。
砕け散るコンクリートが己の身に傷をつけようとも、彼女は全く気にしていない様子だった。

メガデスによって飛散したデ・リーパーの細胞が空中を侵していく。
インペリアルドラモンは口に残る煩わしい熱気を呼吸と共に吐き出し、細胞の一片も無く穴の空いた地面に降り立った。


「私のテイマーを返せ」


足下に転がる無様な化け物を足蹴にし、問う。
デ・リーパーは答えない。インペリアルドラモンは爪を立てデ・リーパーの身体を形成しているケーブルを一本、また一本と引き千切る。細胞と似た肉色の液体が飛び散るも反応は無い。
インペリアルドラモンの足下では、まだ、血流が脈打っている。


「殺すぞ」


背の大砲が熱を持ち、まわりの空気が蜃気楼に歪む。それでもなお、動かない。
ネットワーク初期に現れた、許容量を超えたメモリを排除するだけのプログラム。言葉を理解する頭も無いのかもしれない。

それならば今足下に転がるこれに構う時間は無い。マザー、もとい本体を叩こうとインペリアルドラモンは飛翔した。


「ワ、ワワワワワワ、ワ、ワ私私私私、私ハハハ」


その時。
壊れた機械がより集まったような、幾重にも重なった雑音が言葉を紡ぐような、そんな奇妙な音がインペリアルドラモンのまわりで輪唱した。


「人間になりたい」


インペリアルドラモンは凍り付く。
意味をなしたその言葉は、その声は、まぎれもなく自分の声だった。


「……あっ」


風が頬を撫でたと思うと、凄まじい力で地面に叩き付けられ、眼前には星が散った。
チカチカとモノクロに瞬く視界の中でインペリアルドラモンは自らを観察するビデオカメラの存在を見た。
カメラにはデ・リーパーのケーブルが二本繋がれ、一本は地面の肉塊、もう一本は先程の裂傷を介し、インペリアルドラモンの腹にまるでへその緒のように繋がっている。
叩き切ってやる、と振り上げた拳が頑として動かず、彼女はここにきて初めて自らの四肢を拘束するケーブルの存在に気が付いた。


「メモリー照合 インペリアルドラモン 究極体デジモン メス」

「…喋るな」

「テイマー 人間 オス」


インペリアルドラモンはメガデスを作り出そうとして、気が付いた。
彼女の顔がさっと青ざめ体は硬直し自身の汗が額を伝う。

自分の気管を何かが塞いでいる。


「……処理中断 不可解」


メガデスによって空中に飛散していたデ・リーパーの細胞が蠢き、徐々に形作られていく。
飛散していた細胞も生きていたのか。インペリアルドラモンはいつの間にか自分に繋がれていたケーブルや気管を塞ぐものの正体が分かりかけてゾッとした。

目の前のアメーバ状の物質が形作ったのは、まさに異形であった。
人間の肌を一枚綺麗に剥いだような、赤く熟れたザクロの断面のような外皮。およそ頭とは言えぬ程の小さな出っ張りが人間で言う「首」の部分から生えていて、鼻は無く、鳥のくちばしのような黄色い口と目玉をくり抜かれた穴だけがぽっかりと空いていた。


「俺は君のテイマーになれて凄く嬉しいよ。よろしくねインペリアルドラモン」


黄色いくちばしから唾液とも言えぬ液体をまき散らしながら化け物が言い放ったその言葉は、まぎれもなくインペリアルドラモンの、テイマーの言葉であった。
聞き間違えるはずが無い、テイマーの声。彼女は言い難い恐怖に見舞われた。
ひゅうひゅうと、わずかに空いた隙間から呼吸が漏れる音がする。


「ねえインペリアルドラモン。君の力はきっと、この世界を守るためのものだね」

「この子が…みんなが暮らすこの世界を、デ・リーパーなんかに壊させたくない。お願いだインペリアルドラモン、俺に力を貸してくれ」


脳裏に見知った笑顔が浮かび上がる。燃えるように鮮烈な夕日も、どこかで鳴く鳥の声も、乾燥した風の匂いも。

先ほどまで目の前に広がっていた細胞の海はもはや消えていた。
脳が直接揺さぶられているかのような衝撃に、彼女はたまらずぎゅっと目を瞑る。
いつか過ごした思い出が走馬灯のように脳内を駆け巡り始めた。

――成長期のまだブイモンだった頃にこのリアルワールドに迷い込み今のテイマーに保護された。生まれて初めて感じた優しさに彼女の心は喜びで満ち溢れていた。
――ブイモンのまま彼と過ごしている。デジモンは戦いの道具なのか、そう彼が嘆いていた。
――少女がリアルワールドに迷い込んだデジモンに襲われていた。ブイモンとテイマーは戦い、勝利し、テイマーは少女を守ったパートナーを誇った。
――それからも暴れまわるデジモン達を倒してはロードし、遂には究極体にまで進化を遂げた。この世界を守るために戦う君は美しい、とテイマーはインペリアルドラモンの頬を撫でる。
――テイマーの不在が続く。ブイモンの姿のまま彼のベッドに横になり窓から月を見上げる。
――白いチャペルの前で着飾ったテイマーと女性が祝福されながらキスを交わす。彼女は物陰に隠れながら、ただ2人をじっと、見つめていた。
――嬉しそうに微笑むテイマーの隣で、女性が膨らんだ腹を愛おしげに撫でる……。











粘着質な音が響き、インペリアルドラモンの胸を、自身の嘔吐物が汚していく。
まだ食道の途中でつかえている嘔吐感が苦しくてげほげほとむせ込んだ。
記憶の波は止んだが、胃がねじ切れそうになる程の嫌悪が己の身体を蝕んでいく。


「……」

「私は産めない」

「…う、るさい…」


デ・リーパーがインペリアルドラモンの記憶と、内に秘めた感情を不躾に覗き見し、かき乱す。
記憶の混沌から帰ってきたというのに視界が不安定に揺れていた。体の奥底で湧き上がる怒りと、果ての無い絶望が、行き場をなくし脳が沸騰しかけていた。


ドクン


その時。
インペリアルドラモンは、表情を失った。感じていた怒りも何もかもを一瞬で失くしてしまった。
下腹部に、外からの鼓動を感じる。
気付けば目の前のビデオカメラは消滅し、デ・リーパーとインペリアルドラモンを繋ぐケーブルが密着していた。


「インペリアルドラモン欲求 こども。異種間の交配の可否、不明」


内臓を乱暴に握りつぶされたようだった。話の通じない化け物と繋がっている恐怖が、彼女の心臓を凍り付かせた。


「―」


息をのんだ。言葉を失った。視線が固まった。
沸騰するお湯のように細胞が活性化しぼこぼこと形を変えていく。次第にそれは、硬質化しグロテスクな、そそりたった男性器へと変化していった。


「……お、…」


うまく呼吸が出来ない。凝固するインペリアルドラモンの頭に聞こえるはデ・リーパーの先ほどの言葉。異種間の交配――


「めろ…やめろっ、やめろっ、やめろっさわるな!!!」


ケーブルから逃れようと四肢をがむしゃらに動かすも、一向に逃れられない。
デ・リーパーの細胞だらけの空間で次から次へとケーブルが現れインペリアルドラモンに纏わりつく。拘束された部分の皮膚が剥け、肉が覗いた。
自らの太ももに割って入る異形の化け物。生臭い息が彼女の顔にかかる。のしかかる肉塊…。


「あああぁ!」


インペリアルドラモンの悲痛な叫びは、化け物には響かない。
乾いた膣内を巨大な男性器が引き裂いていく。裂けた膣口、こすれ、千切れた肉壁からあふれ出た血が自身を汚そうともお構いなく腰を振り続けるデ・リーパー。

恐怖で口元が震えがちがちと歯が鳴る。噛みしめた下唇が千切れ、収まらなくなった唾液が辺りに散らばる、腰を抑えるデ・リーパーの指が肉を突き破った。


「いっ、いっ……ああああッ」


下腹部の裂傷を躊躇なくかき乱される痛み。子宮を突き抜け、内臓まで達しているのでないかと思われる程、腹をぐちゃぐちゃに突かれる痛みにインペリアルドラモンは泣き叫ぶ。
捕らわれた四肢もケーブルで巻かれた部分が凹む程締め付けられ、視界の隅に映る指先がどす黒い紫に変色し、今にも破裂しそうだった。
首にまかれたケーブルが徐々に締め付けられていき、眼球のひとつが眼窩から垂れ下がり揺れていた。


「あああ―――――ッ!!」


痛みに開かれた口を反撃の準備とみたのかデ・リーパーの細胞が覆っていく。空気が、息が。脳がしゅーしゅーと音を立てて視界が闇にのまれていく。


「…ていまー、……テ…イマー…」


薄れゆく意識のなかで、彼女は、自らの最も愛する存在に手を伸ばしていた。だが、白い靄が邪魔をしてどうにも手が届かない。
愛してる、愛してる、愛してる。
長い年月を共に過ごした。その中でどうしても言えなかった言葉を彼女は繰り返し繰り返し呟いていた。











デュークモンらの活躍により、デ・リーパーが消滅した。残された街の残骸の中を、一人の青年が駆けまわっていた。
自分の額を伝う汗や、これまでの戦いで負った傷などは気にもせず、声が枯れるほど友の名を叫び続ける。

ふと、何かが自分の頬を撫でた気がして青年は立ち止まる。
背伸びをして空を見上げる青年を一陣の風が通り過ぎていった。火照った体を冷ますように深呼吸をして、青年は再び走り出す。



上空にて、一片のデータが風に舞い、消滅した。





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