鏡張りの慕情 | ナノ


▼ そういう事




「お母さん、持ってきた」

「ああ、そこ置いといてくれる?」


健良が風呂場のドアを開けると、バスチェアに腰掛けたなまえが頬を赤く染めながらスカートの裾をたくしあげ握りしめていた。
紅潮する頬とその仕草を、何故か見てはいけない気がしてさっと視線を泳がす。視線を落とした先の、風呂場の白いタイルによく目立つ赤い血が次々と排水口に流れていった。


「…」

「…」

「…健良、そこ開けてると寒いでしょ」

「あ」


じゃあ僕部屋で待ってるから、と脱衣所に救急箱を置いて風呂場のドアを閉める。
健良は言いようのない罪悪感にかられながら脱衣所を後にした。立ち止まりなまえの様子を思い出す。風呂場のタイルとは似ても似つかないフローリングに、さらさらと流れる血が透けて見えるようだった。











「おかえりージェン」

「ただいま」


部屋に戻るとテリアモンとガブモンがパソコンを触る手を止めて健良を出迎えた。
自分の足元まできたガブモンが酷く心配そうな顔をしていたので、頭を撫でて抱きかかえ優しくベッドに降ろしてやる。
なまえは大丈夫だよ。そう伝えると嬉しそうに尻尾をふった。


「ねえガブモン、ちょっと聞きたい事があるんだけど」

「なに?」


ガブモンとテリアモンをベッドに座らせて、健良は二人に向かい合うようにデスクの椅子に腰かける。


「なまえは、君のテイマーなんだよね?」

「テイマー?」

「?」


ガブモンは黙り込み静かに俯いた。何かを思案している様子でんー、とかええと、などと呟いている。
途中ちらちらとテリアモンの顔を覗き込んでいたが、テリアモンが特に何も反応を示さなかったので、意を決したように自ら口を開いた。


「……テイマーって、なに?」

「知らないのー?」


健良は面食らった様に目をしばたたかせた。テイマーというのは、デジモンと、彼等に関係する全ての者達にとって既知の事だと思っていたが。
それでも、テリアモンの言葉におろおろと狼狽するガブモンが嘘をついているとも思えない。それにこんな事で嘘をついてもなんの得もないだろう。

テレビ、ネット、その他のメディアミックス。今時街を歩くだけでもデジモンの存在に(そしてテイマーという存在にも)遭遇するというのに。
デジタルワールドのデジモンにテイマーは存在しないが…。ならガブモンはリアルワールドに来てまだ日が浅いのだろうか?


それとも、なまえがガブモンに何か隠してる?


口元に手を当てて黙り込んでしまった健良を見て、ガブモンがとうとうごめんなさい、と頭を下げた。
健良が慌てて弁解する。


「あ、違うよ。怒ってるんじゃなくて、なんて説明したらいいか悩んでたんだ。テイマーっていうのは…友達、みたいなものかな…」


何か言いたげにこちらを見るテリアモンを横目に、健良はポケットからデジヴァイスを取り出しガブモンに差し出した。


「これはデジヴァイス。これがテイマーっていう証拠なんだけど、なまえは持ってる?」


デジヴァイスをしばらく眺めていたガブモンの顔に、ぱあっと光が差し込むようだった。
千切れんばかりに尻尾を振り両腕を嬉しそうにぱたぱたと上下に動かすと、ベッドから降りてデジヴァイスをもっとよく見ようと健良の手に縋りついた。


「持ってるよ!なまえこれの黒いの持ってる!じゃあなまえがおれのテイマーなんだ!?」

「そうだよ、良かったね。…なまえの前で戦ったのは今日が初めて?」

「…ううん。前に1回だけ。でも、その時なまえがすごく落ち込んじゃったから、あんまり戦いたくなかったんだけど…」

「レナモン?」

「わかんない、違うと思う。公園を歩いてたら草陰から火の玉が飛んできたんだ。おれが攻撃したらすぐいなくなっちゃったけど」

「そう…」


テリアモンやギルモン達のようにテイマーが存在するデジモンの他に、ゴリモンの様に単独で行動するデジモンも徐々にリアルワールドに侵入してきているのかもしれない。

それなら…。
健良の脳裏にギルモンと啓人、レナモンとそのパートナーが浮かび上がる。保守的な自分達と、狩る者と、攻撃的な野生のデジモン達。
まだ確実では無いけれど、きっとなまえも戦いは望んでいないはず。ならば徒党を組んで何かあった時に助け合った方が良いのではないか…。


「ねーガブモンもやっぱりぬいぐるみのフリするのー?」

「うん、外では」

「大変だよねー。あれ?家族にはもうばれちゃってるの?」


再度黙り込んだ健良を置き去りにテリアモンとガブモンの擬態話に花が咲く。


「ううん、なまえの家誰もいないし」

『え?』


健良とテリアモンが揃えて声を上げた。ガブモンがたじろぎながら恐る恐る言葉を紡ぐ。


「んと…なまえの家族が今遠くで暮らしてて、なまえは叔母さんと一緒に住んでたけど喧嘩したって…」

「なまえは叔母さんと一緒の家じゃないの?」

「うん、なまえ1人。でも、時々家に叔母さんが来てるみたい…なんだけど」

「けどー?」

「なんか、あんまり仲良くないみたい」

「えーなまえか「テリアモン」


テリアモンの言葉を遮るように健良が口を挟む。
なにさーと頬を膨らませるテリアモンをなだめながらガブモンに向き直った。


「ガブモン、教えてくれてありがとう。でも今の話を僕達が聞いた事、なまえには内緒にしておいてくれるかな?」

「…う、うん…。…おれ、なんか駄目な事言っちゃった…?」

「駄目じゃないよ。でも家族の話って、人間にとってはとても大事な話なんだ。なまえはガブモンととても仲良しだから、ガブモンに話したんだと思う。でも、僕達となまえはまだ友達になったばかりだし…」

「なるほどねーなまえが自分から話してくれるようになるまで、知らんふりするってわけー」

「そういう事」

「…」


それに、今日知り合ったばかりの人間に話せる程、軽い話でもないだろう。
健良は、自分にそう言い聞かせ詮索するのを止めた。誰にだって人に知られたくない事位ある。ただ、ガブモンが落ち込んでいるのが可哀想で再度口を開いた。


「ガブモンは、なまえ以外の人と話すのは初めてなの?」

「うん」


その時、
コンコンと遠慮がちに響くノックにガブモンとテリアモンが硬直する。
どうぞと招くと少し開いたドアからなまえが顔を覗かせた。


「お邪魔しまーす…」

「なまえ!」


なまえが部屋の扉を閉めるやいなや、ガブモンがなまえに飛びついた。
慌ててガブモンを受け止めるなまえ。素足に来客用のスリッパを履いていて、脚に巻かれた包帯がやけに目についた。


「…」

「ジェン君、ガブモン見ててくれてありがとう。それにジェン君のお母さんにも…こんなに良くしてもらって…」

「…ああ、別に…。そこ、座って。脚はどう?」


健良がベッドに腰かけるように促してなまえとガブモンとテリアモンが座ったベッドが重みで軋む。


「うん、もう全然大丈夫。…お母さん、優しい人だね」

「? そう?」

「ジェンのママさんはねーお饅頭作るのがとーっても上手なんだよー」

「お饅頭?そうなの」


自分の母親の話題が出ると、健良は先ほどの話を思い出してどきりとした。
テリアモンと楽し気に話すなまえの耳がほんのりと赤くなっているのを見て、話題を変えようとしたその時。

こんこんこんっ

リズミカルなノックの音に今度こそ部屋中の全員が凍り付いた。
テリアモンはそのままぱたりと後ろに倒れ、ガブモンはなまえの腕の中でぐったりと首を垂れる。
健良が返事をするのと同時に勢いよく扉が開いた。





(ジェンにーちゃーん!お母さんがこれお姉ちゃんにって…わあーガブモンだあ!)
(小春!)
((げぇー!))
((?))

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