「ねえXANXUS、」


彼は問う。
生きるとは何か、と。
冷めた眼差しで、嘗(かつ)て彼が今座しているその椅子を賭け、争ったあの時からは想像も出来ぬほど冷ややかに。

あの頃とは全く異なる世界で、彼らは生きている。
己の過去を語ることを好かぬ男が、殺したいと強く想った彼は今、とてもとても疲れて見えた。


「興味ねえな」

「 、そう」


ふう、と小さく息を吐いて、彼はデスクに肘をつく。
その後、彼はしばしば自嘲気味に口唇を歪ませて、じゃあ、と明るく言葉を繋いだ。


「死ぬ、って、何なのかな」

「くだらねえ」


一笑に付してやれば、存外に明るく笑って、けれどその声色とは裏腹に濁った瞳で、彼は男を見据えた。それから、また小さく口許に弧を描(えが)き、綺麗に、本当に綺麗に微笑った。


「先に謝っておくよ」


何を、と問う前に、彼は立ち上がる。あまりに自然で、流れるようなその仕種に、男──XANXUSは身動きを忘れた。


「 、」

「どうやらね」 


未来は、変えられなかったみたいだ。

不可解な呟きのその先は、聞けなかった。
パタンと閉まった扉の軽い音が響いただけで、XANXUSはただその場に立ち尽くす。


「あの、ドカスが…っ」


固く握り込んだ拳の中で、彼が残した"証"は鈍く光っていた。


『モレッティが殺られた』

『山本の親父が死んだ』

『コロネロが、──』

『トマゾの十代目が 、』


そんな報告が相次いで入ったのは、彼がボンゴレファミリーを引き継いでから、僅か2年後のこと。
当時反対勢力としてボンゴレの内部から監視下に措かれていたヴァリアーは、当然のことながら真っ先に疑われた。
その嫌疑を、たった一言で払拭したのが他でもない、現十代目である彼だったから、XANXUSは驚いたと同時に──惨めだった。


『どういうつもりだ…!!!』


怒りに任せて怒鳴り散らした男に、彼は悠然と笑い、こう言ったのだ。


『焦らなくても、もうすぐこの椅子は君の物になるよ』 


あまりにも落ち着き払って言われたそれは、どこか寂しささえ感じた。当時のXANXUSにはそれが何なのかも解らなくて、男はもどかしい憤りを抱えたまま、今日この時まで過ごしてきた。


『髪を伸ばしてるんだって?』


まるでS・スクアーロのようだと言って笑った彼に、カス鮫と一緒にされて堪るかと思った。髪を切ろうともした。けれど彼が──。


『そっちの方がいいよ』


伸びた髪にそっと触れて笑うから、XANXUSはまだ伸ばしたまま。言い訳には、彼が自分にその椅子を寄越すまでの間だと毒吐いた。


「短い髪の君も、嫌いじゃないけどね」


閉めた扉の向こうから、だん、と鈍い音がした。
彼は小さく呟いて、男が憤りをぶちまける部屋を去った。


「椅子も、"証"も、全部あげる」


清々しいほど爽やかに笑って、荘厳な屋敷を後にした彼は数日後、眠ったままで帰ってきた。
ただ、彼の心にはぽっかりと、小さな風穴が空いていた。


「俺は 、」


守護者は、泣いていた。
空も泣いて、どんよりと暗く、空気は澱んでいた。


「俺、は っ」


男は、泣かなかった。
三十路も半ばを過ぎてから、いくばくか涙脆くなったはずの、男の紅い瞳は乾いていた。


「 っ」


生きるとは何か。
そう問うた彼の眼差しを思い出して、男は広い部屋の中、ぽつりと置かれている彼の"椅子"に触れた。

死ぬとは何か。
茶化すように問われた言葉に、男が左手で握った"証"は鈍く光った。


「全く以て、笑わせやがる 、」


どっかりと、男は高級感溢れる牛革で誂えられた"椅子"に体を預ける。
背もたれにゆったりと沈んだ頭は、柔らかいそれに包まれて、彼の匂いが男の鼻を擽った。


「……一度くらい 、」


そうだ、一度くらい自分の主張を聞き入れたって良かったんじゃないか。
男は明かりも点けず、暗い部屋の真ん中にぽつんと置かれたチェアに腰掛けたまま、小さく呟く。男を照らすものはただ、彼の伏せた瞳を思い出すくらい煌々と輝く、下弦の月だけだ。
目を覆ってしまいそうなほど長く伸びた前髪を掻き上げて、細く長いため息を零したら、背もたれに遺る微かな彼の匂いに包まれた。…そんな、気がした。


「…俺の求めたものは、」


こんなものじゃなかった。
富も、権力も、名声も、力も。
彼が得た全てを欲していた男は今、彼の椅子を手に入れた。
それなのに、男の心には満たされぬ感覚ばかりで、何も、ない。
不意に、彼の心にぽっかりと空いていた、小さな小さな穴を思い出す。


「 っ!」 


男の、修羅のように紅い瞳が、下弦の月に照らされて滲む。

彼の葬儀に、男は行かなかった。
ただ、彼が遺した"証"を掌に転がして、彼が最後に使った"椅子"を見つめていた。

いつの間に日が暮れたのか、いつからそうしていたのかは、もう思い出せない。
男は滲んだ瞳から溢れた何かに、そっと触れた。


「 、はっ」


絞り出すような声で一笑したあと、男は"椅子"の上で膝を抱え、俯く。
押し殺したようにくぐもった嗚咽が、彼の部屋を満たした。


(月が、綺麗だ)


柄にもなくそんなことを思うほど、下弦の月は、男が握る"証"を引き立てるように、男を包むように優しく輝いている。
数ヶ月も前の会話を思い出して、それから数日前の彼を想う。


『XANXUS』

『あ り が と う』


「……っあ 、」


下弦の月は、優しすぎる彼に似ていた。
空は晴れて、どこまでも澄んだ夜の闇に溶けてしまえそうな気がした。
堪えきれず、嗚咽から声を滲ませた男は、握りしめた"証"に雫を落とした。

彼は、──静かに、眠った。


(一度くらい、言えばよかった)
(行くなと、言えなかった)


プライドが、邪魔をした。


「許さねえ」


男の瞳は、紅く燃える焔のように、ゆらゆらと揺れていた。


(おまえが我が儘を通したなら)
(俺も好きにさせてもらおう)


掌に握られた"証"は、男のその手で砕かれた。






To.とかげさま

素晴らしい小説を頂きまして本当にありがとうございました!
絶対わたしが書けない雰囲気を産み出すそのセンスはたまらなくわたしを掻き立てます。


こちらを御覧になりました方も、是非とかげさまの雰囲気に酔いしれて下さいね^^
しかも、とかげさまの感性は懐が広いのです!


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