オレにとっての彼は、唯一無二の大切なともだち。
それはオレにとって、とてもとても大きなことなのだけど、彼にとっては違ったみたいだ。
「ツナ 、」
「なに…、やま 、」
夕方、随分と肌寒くなり始めたこの時期には、既にセーターとブレザー、マフラーまで装着した冬の完全装備で挑まないと寒くて堪らない。
二人きりの教室で、ぶるりと背を這う寒気に、今からこんなに寒いんじゃ、真冬はどうやって乗り切れば良いんだよ、なんて毒吐きながら笑うオレに、それまで和やかに相槌を打っていた『ともだち』が声を掛けた。
何の気なしに振り向いたけれど、そんなオレを見つめていた彼の瞳はどこか──何かが、いつもと違うような、何となく恐いような、そんな視線を送っていて。
(何を 、)
恐い、だなんて。
彼は、山本は、たいせつなともだちじゃないか。
(恐いなんて、そんなはず…)
そんなワケ、ない。彼はいつもオレを安心させてくれる。だから──。
「………」
「どう、したの …?」
「俺って、ツナの…なに?」
「…え 、?」
突拍子もない問い掛けに、オレはただ目を丸くするばかりだ。
「何 を、」
「ツナにとっての俺って、何?」
「ともだちだよ。…大切な 、」
その答えに、嘘なんてなかった。
当たり前じゃないか。オレにとっての山本は、ぜったいなくしたくない大切なともだち、大事なひと。
けれど彼は眉を顰めて、自嘲気味に笑う。
「──ねえよ」
「なに 、」
「それじゃあ足んねえ」
一歩、山本が足を踏み出した。
何となくオレは後退って、なに言ってんの、と笑う。けれど顔は引き攣っていて、きっと上手くは笑えてないと思う。
「なあツナ、」
一歩、また一歩、山本が近づく度にオレは後退り、気が付けば教卓にぶつかっていて。
そのまま、教卓の後ろ側まで回り込んだけれど、彼がそんなこともお構いなしに迫ってきているのは、何となく判る。
「 ふ、」
思わず教室を飛び出したとき、『鬼ごっこな』なんていつもの、けれど心持ち低い声が聞こえた。
( っなんで 、)
そうだよ、なんでオレ逃げてるんだ。相手は山本で、オレのたいせつな──。
そんな当然の疑問を頭に浮かべながらも、オレの足は何故か逃げようと必死に動いていて。
「なんでオレ 、山本から逃げてんの!!!」
思わず叫んだ声と共に階段を駆け上がって、目の前にあった扉を開けた。
そこは、いつだったか山本と大騒ぎを起こした屋上。ここで、オレにとっての彼はただのクラスメイトじゃない、大事なともだちになった。
(…逃げるな 、逃げるな!!!)
逃げちゃいけない。どのみちもう逃げられないのは、後ろから聞こえた、扉が開く重たい音で判っていた。
「 っなに、今日のやまもと 、何か変だよ っ」
がしゃんと、フェンスが悲鳴をあげた。屋上に高く聳(そび)えるそれは、例の騒ぎのあと、新しく取り付けられたものだ。以前にあったそれよりは幾らか丈夫で、きっともう外れたりはしないんだろう。
もう逃げない。逃げられない。
縋るような視線を送ったら、山本はまた苦しそうに笑って。
「判ってる」
「じゃあ っ」
なんで、は言えなかった。
彼が、あんまり苦しそうな、辛そうな顔をしたから。
「ツナ 、ごめんな」
「やま …」
ふわりと、彼の匂いがして。
二の腕のあたりが少し痛い。のは、山本が掴んでいたから。
「ごめん 、俺たぶん…普通じゃねえのな」
「 、」
さっきから、山本は何だか哀しそうな顔をしているし、オレも…──ずくずくと胸のあたりが疼いて、何か変だ。
「好きなのな」
「 っ」
ともだちじゃなくて。
小さかったけれど、聞こえた声は震えていて。
「ツナの手とか首筋とか見てたら、襲いたくなる。俺、へんたいなのな」
「やまもと、」
「キスしたいし、抱きしめたいし、ツナが嫌がりそうなことだってしたい」
「やまもと」
「今だって、ちょっとボタン外したシャツから鎖骨が見えてて、中途半端にマフラーで隠してんのがチラチラしてて、正直……目に毒なのな」
「やまもと!!!」
「判ってんだ っこんなの気持ち悪いって!!!
だけどしようがねえだろ 、俺は…男に欲情しちまうような っ」
「違うっ」
聞いた内容は確かに、少し気持ち悪いと思う。でも、泣きそうな顔して言う山本は、全然──。
「気持ち悪くなんか 、ないっ」
「………無理すんなよ」
震えてるくせに。
掴まれていた腕はもう感覚がなかった。山本が触れているところがやけに熱くて、火傷しそうなくらい熱くて、眩暈がした。
「……本当、だよ」
「嘘だ」
「嘘なんかじゃない」
「嘘」
「違う!!!」
もう、泣きそうなんてもんじゃない。
山本は、本当に泣いていた。
何度も本当だよって言うオレに、嘘だって弱々しく答えて、掴まれていた腕が放されたとき、彼は俯いていて。
「…俺、ぜったいツナに嫌われるようなことしちゃう」
「嫌わない」
「うそ」
「またそれ?」
ずくずく、ずくずく。
胸は痛いくらい脈打っていて。
「……好き 、ツナ」
ぎゅうっと抱きしめられたとき、この大きな脈が伝わってばれるんじゃないかって思った。
でも、それよりももっと大きな音が鼓膜を揺らして。
「好き、ツナ 、ともだちじゃ嫌だ。──こいびとになって」
こんな山本をオレは、気持ち悪いなんて思わない。
抱きしめていた腕を放して、オレの顔、両側のフェンスについた山本が、同じくらいドキドキしてるんだって気付いたから。
「…でもオレ 、」
「なって。こいびとに」
「………よく、判んないよ」
「じゃあ 、」
キスして。
返事をするよりも早く、暖かい何かが口唇に触れた。
「……いや?」
不安そうにオレを見つめる彼は、どことなく可愛くて。
俺はただ、ゆっくりと首を振る。
「……やまもと、」
オレは、山本が好きだ。
ぜったいぜったい失いたくない、大事なともだちだ。
( でも 、)
この、どくどくしてて、思考を全部持っていかれそうな感覚が、少し恐い。
「……やっぱり 、まだ… 判んない」
また逃げようとしてるみたいで嫌だったけど、本当に恐いんだ。この、全部持っていかれそうな、彼に全てを握られてしまいそうな予感、その感覚が。
「待ってる」
見上げた彼は少し、笑っているような気がした。
オレは彼を失いたくなくて、傍にいたくて、けれど彼の気持ちに応えられる自信もなくて。
「 でも、」
「待ってるから 、」
「…………」
オレはずるい。
山本の気持ちは嬉しいと思うくせに、全然嫌だとか思わないくせに、答えを出すのが恐い。
だから、そのまま彼を置いて逃げるように帰った。
(逃げちゃ 、だめなのに)
ごめんね、と何度も言いながら、結局逃げたオレは、なんてずるいんだろう。
(失いたくない)
(だから 、今は──)
その日、幾度となく後悔を重ねたオレはそのとき、まだ彼の何をも判ってはいなかったのかもしれない。
「ばかだな」
(もう、)
(君に選択肢はないのに)
「俺を失いたくないなら」
「受け入れるしかないんだぜ、」
(もう、逃がさないのな)
(おまえは俺のものだ)
襟巻蜥蜴様